我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

自然と生活圏とが入り交じる融合美 独歩とともに武蔵野を見る…

f:id:toshi-kuma25317:20170208043547j:image                                                                 武蔵野 情景 画

 

飽くまで 個人的な好みで言えば

私が最も好きな景色は 街場に隣接している郊外

である

 

河岸や丘陵地などがあれば 尚更 心焦がれる

 

その中でも都心の郊外である武蔵野は

私の中に於いては かなり魅力的なところと言える

 

抑え気味に言ってしまったが直接的に言えば

私は武蔵野が好きである

 

国木田独歩の随筆に触れ そして その情景は勿

論のこと風物詩に焦がれ

 

宿泊がてら ひとりで何度も足を運んだ

 

街と自然とが絶妙に交じり合って その境目が見

当たらない

正に 入り交じるとは このことであろうか…

 

街が自然の一部となり また自然が街の延長上にある

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043636j:image                                                                武蔵野の はやし

 

独歩が 今の武蔵野の姿に大きな影響を与えてい

るのは 紛れも無く確かなことであり

 

ひとりの随筆家が この様な形で

街づくりは勿論のこと

 

周辺の自然と人間社会との関わり方にまで

その想いの息吹を吹き込めるということは

余りにも稀なことでは ないだろうか

 

 

国木田独歩「武蔵野 」より 次にお届けしたい

 

『 武蔵野を除いて日本に このやうな処が どこにあるか

北海道の原野には むろんのこと 奈須野にもない

そのほか どこにあるか

 

林と野とが かくもよく入り乱れて

生活と自然とが このやうに密接している処が

どこにあるか 』

 

これは 明治の随筆家 国木田独歩 執筆「武蔵野 」から

の ほんの短い抜粋である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043750j:image                                                                武蔵野の はやし

 

独歩は 都市からそう遠くない

人間の生活圏と自然とが入り交じる田園地帯として

新時代の武蔵野を描き出そうとした

 

そして武蔵野を主題として その風景美と詩趣を

描察した

 

そこには関東平野の 阻害するものの無い あの広がり

が起因しているのかも知れない

 

中央線を高尾山に向かい 一気に広がりが増す

私が若き頃も また四十年後の今も

 

あの広がりが 郷愁を誘い

都会に近い「粋で洒落た」雰囲気をも醸し出す

 

明治は勿論のこと 大正期にも

独歩の「武蔵野 」は影響を与え

 

後世の武蔵野のイメージ形成に多大なる彩りを添えた

様である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043839j:image                                                 子どもとのひととき 独歩

 

文化とは かくも その時代は勿論のこと

時として若者達に 向上心までをも もたらす

 

大正期の青年達が 詩歌や文学に勤しみ

芸術を愛し 常に心を清涼に保ちつつ 教養を身に付け 

ものの哀れを知る様になる

 

彼らは知的であり道徳心のみならず

想い遣りの延長にある潔い心

つまり武士道までをも 束の間に身に付けた

 

それは正に 我が国再生に於いての ある意味 真の

切っ掛けだった感が 否めない

 

 

再度 「武蔵野」の抜粋である…

 

『 昔の武蔵野は 萱原のはてなき光景をもって

絶頂の美を鳴らしてゐたやうに いひ伝えてあるが

 

今の武蔵野は はやし(里山の雑木林)である 』

 

 

JR中央線 武蔵境駅から徒歩で 程なく

 

関東平野の広がりの中に かつて

自然と生活圏との融合する理想郷を 見詰め続けた

 

あの 独歩の碑が ある…

 

 

 

                                  武蔵野を こよなく愛した

                                             或る随筆家の浪漫 より…

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170208061636j:image                                                                        国木田独歩

 

 

 

 

 

 

 

倭(やまと)の浪漫よ…ノスタルジーこの美しい湖は 北信濃 野尻湖に想う

f:id:toshi-kuma25317:20170207172517j:image                                                                 斑尾山野尻湖

 

人との出逢いは 忘れ難く

時として 心の旅路と成り得る程に 魂に染み渡り

何にも代え難き 終の宝物となる様にも想える

 

そして その忘れ難き人との出逢いには必ずや

自然や周りの風物詩が織り成す 情景のキャンバスやら

 

様々な気質の 多様な光やらエネルギーやら

風の通る音や鳥の声 更には虫の羽音などさえも

 

それらはまるで 自然界のバックグラウンドミュージッ

クが 存在しているかの様でもある…

 

忘れ難き人々と共に これらの演出も

我々の人生にとって 心の糧となっている様にも想えて

仕方が無い

 

長野県の北信濃に 北信五岳と言う 明媚で洒落た山々

がある

 

北アルプスのすぐ側に在ると言うのに

その存在は些かも 見劣りすることは無い

 

信濃に於いては それぞれが交わること無く 自らを

主張し合う

多様な個性を持つ 幾つもの古(いにしえ)の里があり

 

これらが一体となる時に

他所では見ることの出来無い 或る意味一風わった

独特の魅力を 醸し出すのだと想う

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172552j:image                                                                 黒姫山妙高山

 

北信の山々に囲まれた紅一点 野尻湖について

私が初めて訪れた時の 徐々に沸き立つ不思議な驚きと

 

湖畔に佇んで…  自分が今 何時の時代に生き

そして一体何処にいるのだろうと…

 

想わず模索してしまった あの異様な嬉しさと

微睡んでしまった あの可笑しさを

 

溢るる想いを込めつつ皆様に お届けしたいと想う

 

 

私の住む福島市の郊外旧 伊達町(現 伊達市)から

会津に向かって

左に猪苗代湖を眺め 右手に会津磐梯山を仰ぎながら

会津若松市

 

そして そこから一路 遥か新潟市へと…

 

今でこそ 東北自動車道から磐越自動車道に入り

新潟からは更に北陸自動車道へと 簡単なアクセスで

あるが

二十数年も 前のこと

 

福島市から新潟市までは 国道4号から同49号へと

一路西方へ…

それは高速無しの 仲々覚悟の要る道のりであったと

記憶する

 

新潟市からは北陸自動車道に乗り

燕市 三条市を抜け上越市で高速を降りて

 

そこから 北国街道(ほっこくかいどう)を 長野市方面

へと向かう…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172644j:image                                                                               野尻湖

 

右手には 何処に行っても余り見掛け無い程の大きな

山並みが…

妙高山 火打山 焼山である

 

何れも標高 が2,400m級の山塊である頸城(くびき)

アルプスが 目を惹く

 

加賀の白山を除けば 中部日本以外でこんなに高い

山たちは 誰も居無い…

 

ここを抜けると黒姫山 標高2,000  戸隠山 飯綱山何れ

も ざっと標高2,000弱

 

これは愉快だ 皆美しい 胸が 踊るばかり…

 

黒姫山を過ぎて直後…

長野市に向かい左手に 何か記念館を見付ける

余り目立たないのだが 小林一茶の生家である

 

或る意味 精力的な生涯を送った彼の実像とは裏腹に

それは 私の中の勝手な妄想なのか はたまた願望なのだ

ろうか…

 

私の内に於ける一茶は 儚き薄幸の人である

家族との縁が薄く 心さすらう浮き草の様なイメージ

が…

如何にしても 払拭出来無い

 

当時はナビなど無く 必然に地図を広げる

近くに 湖がある筈だ

 

一茶の観ていた湖 それに畔とは 如何なるものなのか…

大層気になったことを 覚えている

 

一茶の生家から左に入ると 其処は斑尾山(まだらお

さん)の麓である

そして 湖が見えて来る…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172713j:image                                                                 妙高山野尻湖

 

かなり広いと言うよりも 程よく広いイメージであり

早速 湖岸に 車を走らせてみた

そして 段々と嬉しくなって来る

 

今迄観た どの湖とも 何処か趣きが違う

 

湖岸を走りながら その雰囲気に慣れて来ると

趣きが 何処か違うと言うよりも まるで違うと想えて

来る

  

手付かずの自然が 溢れていて

更に 湖畔が足元まで迫り その造形美が何とも

洒落た雰囲気を 醸し出す……

 

波が能動的な音を携えながら今 目前に寄せる

 

湖岸も自然に 整っている

この湖畔に携わった人々と 土地の神々とが織り成す

この清涼なるイメージを 何と表現したら良いのだろ

うか

 

軽井沢にある塩沢湖を 何処迄も広げた様な そんな感じ

である

 

関東 東北 北海道の何処にも無い

和風でも無く 洋風でも無い

洋風でもあり 和風でもある

 

然も 全体としての雰囲気は 純倭風(じゅんわふう)

と強く想える

 

当時は 上手く 言えなかった…

 

しかし今なら 適当な言葉を知っている

勿論 良い表現も 知っている

 

大正期の景色の その中にあり

ノスタルジックで然も 皆を惑わせる

 

その小々波は まるで 吐息の様

 

浪漫チックで 洒落た雰囲気 …

 

 

野尻湖 素敵だなあ…

 

 

                          大正浪漫にこの身を委ね

                                  何処に居るのか暫し忘る

                                  あれは弥生の 野尻湖讃歌…

 

 

 

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本当の 皆んなの さいわいのために…心優しき文豪が 伝えたかったもの

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宮沢賢治銀河鉄道の夜 皆んな忘れている

だけなんだよ」の続編且つ 外伝です…

 

 

この広大で深遠なる夜空を 見上げるにつけ

まるで ついこの間(あいだ)存在した 遠い過去の

自分からのメッセージを携え

 

こちらは これから必ず訪れる 遥か未来の

自身の後ろ姿を探し そして頼もしく追いかけ

いつの間にやら 夢心地な気分にさえなって仕舞います

 

また わくわくする様な 本当の自分を

未来の自身に投影しながら ついつい愛おしん

仕舞う 今の自分は…

 

近未来のみならず何処迄も続く 未来からの招待状を

ひどく 心待ちにしている様でもあります

 

日本人には

宮沢賢治を語らせたなら自分の右に出る者はいない

と言う人たちが 多い様に想います

 

それ程迄に彼の人柄に想いを寄せ

増してや 共感するからでありましょう

 

恐らくは賢治の童話の意味や宗教観に

心ときめく と言うよりも

 

彼の人生観や優しさと言った人となりに

惹かれるのでは ないでしょうか

 

手帳の走り書き「アメニモマケズ」が

余りにも 日本人の心情に寄り添う余りに

 

律儀な余韻を清涼に残した 反響も

時空を超え今尚 大きいのだと想います

 

彼の言う 「本当のさいわい」とは…

胸踊る想いが何処からか 急ぎ足でやって来ます

 

 

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『 午後の授業で天の川について

先生から質問をされた ジョパンニは

答えを知りつつ 答えることが出来無い

 

次に指されたカムパネルラも 答えられない

家計を助ける為に始めた活版所でのアルバイト

を終え 家に帰ると配達されていない牛乳 

 

そして星祭りの夜のこと…

ケンタウル祭の夜を経て 天気輪の柱の丘で

ジョパンニは一人寂しく孤独を噛み締め 星空へ

と想いを馳せる

 

突然のアナウンスと共に 目の前が強い光に包まれる

気がつくと彼は 銀河鉄道に乗っていた

見るとカムパネルラもいる

 

ジョパンニは 自分の持つ切符だけが

「天上どこ迄も行くことが出来る 特別な切符」

である事を知る

 

ケンタウルスの村を通過するのだが

そこでは 少女達との別れの際に

「たった一人の 本当の神様」についての

宗教的な議論を交わす… 』

 

これは 宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」粗筋の

冒頭であります

 

この作品のみならず 彼の作品に共通して言える

ことは

 

作者若くして逝去の為 未定稿のまま遺されたことと

多くの造語が使われていること などがあり

依って今尚 様々な解釈が論じられている訳です

 

またこの作品から生まれた派生作品も 数多く存在

します

 

 

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銀河鉄道を旅する中…

天上と言われるサザンクロス(南十字)で

大半の客は降りて行く

 

ジョパンニとカムパネルラが残され

二人は「本当のみんなのさいわい」の為に

共に歩むことを 誓い交わす

 

しかしカムパネルラは突然 消えてしまう

 

川に落ちたザネリを救った後

カムパネルラが溺れて 行方不明になった事を

ジョパンニは 後で聞かされる

 

そして最後に…

様々な経験をしたジョパンニは 胸がいっぱいになり

 

配達されていなかった牛乳と

父の知らせを持って 母の元へ帰る 』

 

物語りの内容を極めて簡単にお伝えすると この様な

感じと なります

 

「天上どこ迄も行くことが出来る 特別な切符」

それに「たった一人の 本当の神様」

 

この部分について 賢治が何を指して 読者に伝

えようとしているのか 解からなければ

 

この物語全体が曖昧で 何を言っているのか解ら

ない 夢うつつなもので終始して仕舞います

 

その様(さま)は正に「わかるかなぁ わかんね

ぇだろうなぁ~」

容易に想像が付く感は 否めません

 

後世に於いての 様々な解釈が有ったとしても

 

法華経を終のライフワーク としていた

当の宮沢賢治自身は それ程難しくは考えてない

と言うよりも…

 

読者が理解出来ないことを 理解出来ないままに

他界してしまったのではないかと

私は 想っております

 

 

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前述した二つのキーワードが何れも「法華経

のもの」であることを

 

ほんの少しだけでも 直接的に

読者の方々に開示をしてあげれば 良かったのかも知れ

ません

 

但し 読み手に解かり易く伝えることが出来るか否かは

俗に言うところの文才のひとつ なのでしょうし

 

これについては 生まれ持ったもの なのかも知れません

 

賢治の童話から 私的(わたしてき)には 甚だ逆説的に そう想えて来る訳です…

 

心優しき文豪 宮沢賢治

大乗仏教である「法華経」を根本に置いて

 

皆んなの為に 方便を更なる方便でもって 優しく紐解き

 

物語である法華経を より解り易く 自分なりの物語で

綴ろうとしたのでは ないでしょうか…

 

そして 迷える衆生を救済しようと 努めたのではなかっ

たかと 考えます

 

これらのことを ほんの少しだけでも解った上で

この作品をお読みになると

 

今迄難解だったこの物語も 少しずつでも理解出来る様

な気がして 参ります

 

 

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余談ではありますが…

現在の暦(太陽暦)に於ける七夕は毎年 七月七日で

あります

 

旧暦(太陰暦)の場合 月の満ち欠けによって月日が

決まりますので

 

現在の暦に当てはめた時に 旧暦の七夕の日付は

毎年 変わります

 

何気に 天の川に想いを馳せながら ふと見上げれば

夜空に輝く 満点の星たち…

 

本当は 誰もが知っているのに

そこに居た記憶を ただ忘れてしまっているだけの

愛しき 遠い故郷…

 

遠い故郷である あの星たちに 願いを込める

 

本当の みんなの さいわいのために…

 

 

今年の 伝統的七夕

 

なんがつ なんにち でしょうね…

 

とても 楽しみです…

 

 

 

                        銀河鉄道の夜

                            私の心の浪漫をもって

                           皆様にお届けしたく 想いました…

 

 

 

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「遠野物語」から映画「河童」へ… 日本人に於ける約束とは

f:id:toshi-kuma25317:20170206020533j:image                                                                           遠野にて

  

民俗学者であり作家の 柳田國男収筆「遠野物語」と

楽家であり映画監督の 石井竜也監督の映画作品

「河童」…

 

この二つの作品をモチーフとして

 

私が今迄 ただ漠然と感じていたことに留まらず

この度改めて 心の奥底で感じ切ったことを

 

詳細に そして有りのままに 綴ってみました

 

双方とも極めて 深遠なる内容のものであり

必然 記事も長めになりましたが…

 

岩手県遠野と言う 遥か古(いにしえ)より続く

様々な意味に於いて風光明媚な土地柄に根差す

「ひとの想い」と言う 永遠の浪漫

 

是非に触れて頂きたいと 切に願っております…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020610j:image                                                                           遠野夜景

 

舞台は昭和二十ハ年の田舎

病床の身を推して故郷に帰る 主人公

 

子供の頃の忘れ得ぬ 家族との想い出と

幼い河童との約束を 心に抱きつつ…

 

 

私の中での 河童は何故か「真正直で純粋な

日本人」そのもの…

強引にも 重なり合う

 

「約束」は 日本人にとっては至極 当り前のこと

それが魂と魂とを繋ぎ 互いの穏やかなる記憶を紡ぐ 

何より大切なもの

 

それは まるで ひだまりの様…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020847j:image                                          映画河童のワンシーン 祖父と

 

              「ひだまり」

 

遠い記憶を 辿り行けば 

そこに 懐かしい笑顔

 

深い深い心の奥で 今も生きる

あなたのことは いつ迄も忘れない

 

あなたが残してくれた 想い出たち

赤く赤く沈む夕日は 胸を染めた

 

もう一度 せめてもう一度

逢えるなら 伝えたいことがあるんだ

今 素直になって

 

もしもいつか あなたのもとへ

行く日が 訪れたなら

青い青い 丘の小径で 逢える気がする

 

走り抜けた月日を越え その胸に

抱かれて いつまでも夢を漂っていたい

 

そよぐそよぐ 草の隙間に揺れる ひだまり

今も今も あなたは僕を包む ひだまり

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020906j:image                                             北上山地の最高峰 早池峰山

  

「恰(あたか)も片仮名の へ の字に似たり」とは

柳田國男が「遠野物語」に於いて

 

北上山地の主峰 早池峰山(はやちねさん)を表した

下りである

 

早池峰には 宮沢賢治も好んで登り

この山を彼自身の童話にも 取り入れている

 

標高1,917mの大きな山で アプローチが長い

所謂 山深いのである

 

この山の麓にあり 岩手県の内陸部に位置する遠野市

一言で言えば 風光明媚な土地柄であり

 

冒頭に述べた 早池峰山を古里の守り神とし

また 山からから見た遠野の街は さしずめ 里…

 

遠野物語

柳田國男が明治四十三年に発表した

遠野地方に伝わる 逸話 伝承などを記した 説話集である

 

そして 日本の民俗学の先駆けとも 称される

 

また柳田は「妹の力」の執筆により

今で言う世俗的な使われ方とは 解釈を異にする

 

現代とは違った意味の 古代に於いての「妹」と言う

言葉…

 

近親者や配偶者となった 男性に

女性が其の霊力を分かち与え 加護を与える

妹とは そして女性とは そう言う存在であった

 

柳田は其の事についても解説をし また明言もしている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020934j:image                                                                   遠野 田園風景

  

遠野物語には 幾つかの話がある

 

一つめは…

農家の娘と 其の家で飼われていた

立派な雄馬との悲恋が切っ掛けとなり

その悲しき結末が養蚕へと繋がる「オシラサマ」

 

この「オシラサマ」とは 眼の神でもある…

 

二つめ

美味そうな馬を食べようとした 河童がいた

 

しかし馬の力が強過ぎて 淵へ引っ張り込めずに

河童は逆に引っ張られて 馬の飼主の家に持って

行かれてしまう

 

馬の飼い主の旦那に とくとく言い聞かせられて

許して貰った河童の話「河童駒引きの話」

 

三つめは

土淵の孫左衛門の家の座敷童子ざしきわらし)の話

 

多くの豪家の屋敷や蔵に住まいし

目には見え無い家の神として 昔は畏敬されていた

 

座敷童子が其の家にいる間は 家は富貴自在だが

他人にその姿が見える様になると 其の家は忽(たち

ま)ち衰退し 

幸運は他家に移る と語られる…

 

其れ等は まるで夢物語を聴いているとしか思えない

何と表現して良いのやら ぴんと来ないのが 正直な

ところである

 

しかしながら その反面 不思議でもある

私自身の本当の心の奥底では

文化人類学に近くて遠い この物語を信じて止まない

自分が居る…

 

特に 疑ってなど いない

脈々と流れる日本人の血が そうさせるのか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021028j:image                                                                           遠野にて

  

古神道や日本神道 

そして 古来よりの日本の神話

古(いにしえ)より伝わる 様々な説話

この日本という國は何と 奥が深いことか…

 

元より此の國の民は 嘘をつくことを 良しと

しない

寧(むし)ろ 恥と考えている様だ

 

其れら 日本の風土と文化 そして特質を私は

どんな時にも 信頼している

 

 

河童の話で想い出す…

 

二十数年前になるが 石井竜也監督の映画作品

「河童」を観て

日本人の神との関わり方を まざまざと見せ付けられた

 

既に成人した息子のいる 主人公…

其の報道カメラマンの中年男性が 暫くぶりに海外から

帰る

 

彼は 小学生ぐらいの時にハーモニカが切っ掛けで知り

合った河童の子供と

 

ある約束をした事が

心の奥の 遠くて深いところに ずっと引っ掛かっていた

 

悲しいかなそれは 少年にとっては忘れてしまう程の

何の変哲も無い 日常の一言だった

 

「テン また来るからな 待ってろよ」

子河童は其れを信じて 待った

友である少年の残像を拠りどころに ずーっと待った

  

 f:id:toshi-kuma25317:20170206021121j:image                                                            少年と子河童テン

  

この 子河童は 少年と知り合った頃に

母河童を亡くしていた

 

主人公の男性が この少年だった頃

少年の自宅から友達宅への 道の途中にある

天神沼で 悲劇は起こった

 

天神沼… 所謂この河童沼が怖くて

家に帰れないと言う友達に 仕方無く少年が貸した

バット

 

天神沼の脇を通る時に

母河童が誤って立ててしまった物音に びっくりした

その友達が

 

音がした所へ思わず バットを投げ付け

其れが母河童の頭に ぶつかってしまう

そして母河童は 酷く苦しんで 亡くなってしまう

 

其の事をテンは知っていた 全て観ていたのである

激怒した父河童を 子河童のテンは押さえ そして説得

した

あれは 故意では無かったと…

 

河童は能力が高い テンは真実を知っていた

勿論 子供たち各自の 其々(それぞれ)の心根も

だからテンは その中でも純粋な 主人公の少年を庇った

 

テンは少年と心を通わせ 自らの中で 信頼出来る友と

していた

だから 少年の友達をも 庇った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021155j:image                                                河童沼と言われる 天神沼

  

しかし 悪い事は続いた…

村人達が河童を捕まえようとして 発破を仕掛ける

 

其の時 子河童テンの説得を受け入れた

父河童の悲しみの念は 如何ばかりであったろうか…

 

河童親子の住んでいた洞窟は 崩れ落ちてしまう

そして テンと外界とを結ぶ道がこの時 無くなってしま

った

 

時が過ぎ…

主人公が何かと気になり訪れた 河童沼は酷く

様変わりをしていた

 

何気に主人公が 自分の父親のこと 

かつての天神沼のことを 愛する息子に話していると

何者かが昔在った筈の 河童の住み家の扉を開けた

 

主人公の男性が 自らのカバンから溢れた玉に導

かれ 洞窟の中に入ると

 

だいぶ歳をとり 容貌は変わってしまったものの

其の眼が あの時と同じだった

眼差しが 子供の頃のままだった

 

澄み切っていて 全ての悲しみと宇宙の真理を受

け入れた 美しい瞳

 

テンだった…

 

「 テン 待ってたの…


  どうしたの  ずーっと待ってたの…


  あれからずーっと  待ってたの…


  ごめんね  ごめんね  ごめんね 」

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206024720j:image                                                     年老いたテンと主人公 

  

主人公は其の時やっと 気が付いた

「約束」が人間にとって

本当は どんな意味を 持つものなのか を

 

それなのに 自分の中では どんな意味を持って

いたのか を

 

其れと同時に

テンにとっては どんな意味があったのか を

 

私が 極めて素朴な感覚で 答えるならば

約束は「全て」…

何を差し置いても 約束は「全て」なのだと 想う

 

テンは あの時から ずっと…

数十年前に会ったきり ずっと音信不通であった

数十年越しの友の 優しい言葉の投げ掛け に対し

 

其の 年老いた顔の表情が 和み

然も 旧知の友に対する 慈愛に溢れた

 

甘える様に そして愛おしむ様に

真っ直ぐな其の眼は 何も言わなくとも 

心の中で…

 

「やっと 気付いて くれたの…

  想い出して くれたの…

 

  遠い古里へ 帰らないで

  君が約束を果たしに 来てくれるのを

  待っていたよ… 

 

  でも これで帰れる

  友人である君との 約束を 果たしたからね

 

  ありがとう…

  来てくれると 信じていたよ」

 

そう言っていたに 違い無い…

 

テンとの再会を果たし かつての少年は ここで絶命する

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022405j:image                                         テンとの再会後 主人公の最期

  

映画「河童」のラストでは

寡黙で穏やかなテンが 小型の宇宙船を操り古里

へと帰って行く

 

亡くなった我が友と その愛息へ

テンなりに精一杯の別れを告げて…

私には そんな気がした

 

末期の病であった主人公は

魂の記憶を辿りながらの 人生の最期に…

 

テンとの約束を 果たす為に

この場所に 自らの意思で…

肉体という名の 自らの乗り物を 連れて来た

 

そんな 気がする…

 

 

「約束とは 自分一人のものじゃ 無い」

其れを知り 掛け替えの無い人生を終える事が出来た

主人公は 幸せだった…

 

実は 私には今の今迄 気付けなかったこと がある

此のブログを書いていて ふと気が付いた

 

主題歌の歌詞が どんな意味なのか やっと解った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206025407j:image                                                  主人公を待っていたテン

  

              「手   紙」

 

君とはなれて ひとり想う 今は元気 それとも

あの頃のままの 笑顔なら それが本当にいいね

 

別れてから ずっと考えてた やさしさとは何かを

誰のためと言う わけでも無く 愛は自分の中にある

 

全てゆだねては また待ち望み

知らずに ときは流れて

闇にさけんでも ただ風だけが 心を吹き抜ける

 

かたすみの記憶さえ この胸を迷わせる

届くあてのない この手紙を なんどもなんども

書きつづけた

 

あんなにこらえていた恋でも 今となれば 懐かしい

選んだひとだと お互いに想い込んでた あの日々

 

 

歌詞は紛れも無く テンの

友を信じて待ちわびる心だった…

 

そして私は二十数年間も この事に気付けず

 

テンの想いに対し 

 

本当に 済まない事をしたと 想う…

 

 

 

 

                              友が 約束を果たせるのを

                                          ずっと待ち続けた

                                或る幼い河童の 心の浪漫 より…

 

 

 

 

  f:id:toshi-kuma25317:20170206022457j:image                                                                       テン 旅立つ

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022507j:image                                                                       約束とは…

 

 

 

 

 

 

 

風立ちぬ…この浪漫 あなたのもとへとどきませ

f:id:toshi-kuma25317:20170205115419j:image                                                    映画「風立ちぬ」より

  

大正 昭和初期と言う

激動の時代…

 

若者たちは文学に詩歌に焦がれ

そして芸術にその眼を潤ませる…

 

自らの魂さえも呆れるほどに

然も謙虚に見詰め続け

 

いとも簡単にその答えを

心の在り方と言うものの中に

見い出すこととなる

 

ひとの為に

自らの全てを投げ出すほどに

 

彼らの精神性は

急ぎ足で極められて行く

 

浪漫に満ち溢れる中…

真正直な彼らは

本当は何を目指したかったのか

 

大正生まれの先人たちに対し


私には

敢えて贈りたい言の葉がある

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115456j:image 

 

木立の向こうの彼方から

芳(かぐわ)しき

山河の香りを取り込んで

 

木洩れ日と戯れながら

この私の意識さえも虜にしてしまう

 

天使たちの優しき吐息よ…

 

 

誰が風を 見たでしょう

僕も貴女(あなた)も 見やしない 

 

けれど 木の葉を震わせて

風は 通り抜けて行く

 

風よ 翼を震わせて

貴女のもとへ とどきませ…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120606j:image                                                      堀辰雄 所縁 美しい村 

 

風立ちぬ

耳触りの良い言葉だ

 

聴いただけで空気が流れ 

微かな音がし 

そして風が通る…

 

心の目が 耳が 五感が

そして多次元の感覚さえも

 

過ぎて行くその姿を

悪戯に何時までも追うことは無い

 

 

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大正浪漫を彩った作家 堀辰雄

 

明治三十七年十二月二十ハ日

東京都 平河町に生を受ける

 

そして昭和二十ハ年五月二十ハ日

長野県 信濃追分にて死去す

 

日本の小説を 

それまでの「私小説」から

 

創るものとしての作品へと

所謂「浪漫」を確立させた小説家

である

 

これにより

彼の作家たる所以(ゆえん)は

正に 大正浪漫そのものとも言える

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115717j:image                                                                             堀辰雄

  

映画監督の宮崎駿

自身の映画作品「風立ちぬ」の中で

実在する堀越二郎の半生を描こうとした

 

堀越二郎

明治三十六年六月二十二日

群馬県 藤岡市に生まれ

 

昭和五十七年一月十一日に

七十ハ歳で亡くなっている

 

零戦零式艦上戦闘機)の設計者として

航空史に其の名を刻む堀越である…

 

映画「風立ちぬ」は言わば

 

堀越二郎の業績に刺激を受けた

鬼才 宮崎駿監督が

 

虚実を混ぜ合わせて創作した

大正から昭和に掛けての

意を決した 壮大なる物語である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115804j:image                                                                         堀越二郎

  

宮崎駿監督の父親は

 

零戦のライセンス製造

をしていていた中島飛行機

戦闘機部品を納入する為の会社

宮崎航空興学を経営していた

 

つまり宮崎監督にとって

堀越二郎と其の時代を描く

と言うことは

 

父親への想いと

自身の幼少期の憧れとを

心に刻み付けると言う事でもあった

 

そして更に言うならば

焦がれるものに届かんとする

正に 自身の持つ憧れへの旅であった

 

 

映画のメインタイトル

風立ちぬ」は勿論 

堀辰雄の同名小説に由来をする

 

宮崎監督はこの映画の製作に当たり

 

堀越二郎堀辰雄

実在したふたりを混ぜ合わせて

ひとりの主人公「二郎」像を創り上げた

 

この「二郎」を通して

フィクションとしての…

 

自身が焦がれる

精神性が異様に高く然も足早な

1,930年代の青春を描こうとしている

 

あの浪漫溢るる大正青年たちの

束の間の休息とも言える

 

悲しいほどに急ぎ足で駆け抜けようとする

青春を である…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195116j:image                                                                           堀越二郎

  

堀越二郎と言う

稀代の航空技術者を描くのに

 

堀辰雄と言う大正浪漫を代表する 

ひとりの作家の

波乱に満ちた生涯と其の作品を

採り入れると言う

 

誰しも想像がつかない事を

大胆にもやってのけている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115943j:image                                                                               堀辰雄

  

堀辰雄に視点を移してみたい

 

堀は母親   師  恋人  友人たちに

何故か矢継ぎ早に先立たれてしまう

 

特に母親は関東大震災

悲惨な亡くなり方をしている

 

だから堀は 何時も

自らの死の影を背負いながら

苦悩の中で静かに

生と死のモチーフを追求していた

 

そう言う小説家 であった…

 

 

堀は 室生犀星芥川龍之介に師事をする

 

しかし 師 芥川が突然の自殺 

然も婚約者 矢野綾子も看病虚しく

結核で死去す

 

そして其の後 様々な感情を抱きつつ堀は

自身に於ける綾子との生活と死別を題材に

小説「風立ちぬ」を書き上げた

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120009j:image                                                                           矢野綾子

  

余談ではあるが

群馬県にあった中島飛行機

武蔵野工場が 

 

大東亜戦争末期に

福島県福島市疎開をした

 

宮崎駿監督の映画「となりのトトロ

の中で

その主題歌「さんぽ」のモデルとなった

トトロの山こと「信夫山」…

 

街のど真ん中に

童話の世界の様に佇む山 である

 

中島飛行機

その信夫山(しのぶやま)の西側山麓に 

戦闘機部品の地下工場を建設した

勿論 極秘事項であった…

 

終戦の年 昭和二十年三月より

中島飛行機

地下工場の建設と並行して

 

航空機エンジンの生産を開始したが

僅か七台を生産したところで

敗戦を迎えてしまう

 

もしかしたら あの二千馬力

疾風(はやて)のエンジンだったのか…

 

想いは募り 尽きることは無い

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195206j:image                                  トトロの山こと信夫山の さんぽ道

  

中島飛行機

地下工場に 纏(まつ)わる話として

 

日本人なら何処かで 

聴いた事があるかも知れない

或る話が

 

私が幼少の頃の福島盆地では

マイナーながらも深遠に存在した

 

戦争が あのまま続けば 

次かその次には…

福島市原子爆弾の投下予定地に

なっていた

 

そしてその予定地たちは

日本国内に散らばる

或る氏族に所縁の拠点と一致していた

 

今となっては

事実検証のしようも無いが

 

子供時分から

周りの大人達が確かに話題にしていた

 

今 想い出しても聞き飽きる程に

密かな話題になっていたのは 

紛れも無い事実である

 

ただし その話題に触れる時

誰もが不思議な程に静かに話した

 

 

私は幼かった上に 

その時分は興味も薄く

内容まで詳しく覚えてはいない

 

皮肉にも地下工場が存在したという事実が

「其れは本当なんだよ」と

言っているかの様でもある

 

 

飽くまで 余談であるが…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120127j:image                                              武蔵野に於ける 山里の風景

  

時に 私はこのブログを綴るにつけ

とても不思議に想ったことがある

 

ひとつひとつの名前  地名

そして ひとつひとつの出来事

 

例えば 堀越二郎零戦   

 

宮崎駿監督と彼の父親の会社と

中島飛行機

 

中島飛行機零戦

 

中島飛行機武蔵野工場が

トトロの里 武蔵野から

トトロの散歩道 福島に疎開

 

航空機エンジンの地下工場建設 

そして終戦

 

沢山の点が全て線で結び付く

そして 其れ等が

ひとつの面になって行く

 

宮崎駿監督の ものを観る眼が際立つ

これは凄い…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120218j:image                                             軽井沢町 堀辰雄文学記念館

  

其処に堀辰雄の半生が

雨水の如く染み入り そして染み渡る

 

堀辰雄は戦後

昭和二十ハ年に亡くなっている

 

昭和二十年 敗戦当時の日本人は

誰しもが「死」と ある意味「潔さ」に

しっかりと

向き合っていたのでは ないだろうか

 

少なくとも敗戦後に

数多の日本国民が 豹変するまでは…

 

「自分の心を充たしているものが

死の一歩手前の存在としての 

生の不安である」

そう語る堀の 言葉の裏には

 

自身の周りの人々が 

矢継ぎ早に亡くなって行く中で

 

堀の心の内にある

元より胸を患っていると言う

自分に対する不安と

 

それでも生きたいと強く想う本音

とが 常に交差をし

また往き来していたと考える…

 

そうした堀辰雄の心の闇と

敗戦までの一途な日本人の心とが

 

死を覚悟しつつも生きたいと願う

その一点に於いて

私には重なり合って見えて来る

 

それと同時に堀が生きた戦後の八年…

 

瞬く間に様変わりをした日本人の姿は

堀辰雄の眼には

どの様に映っていたのであろうか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120242j:image                                                             堀越二郎堀辰雄

  

共に同じ時代に生まれ

浪漫溢るる青春に身を焦がした

 

ふたつの異才 堀越二郎堀辰雄

 

彼らは あの激動の時代に生まれ

何を考え そして何を想い綴ったのであろうか

 

 

潔き そして教養を愛する健気な 

 

かつての浪漫溢るる日本人たちへ

 

心を込めて この言の葉を贈りたい

 

 

ありがとう…

 

この想い あなたのもとへ とどきませ…


        

 

                       足早に そして ひとの為に

                       自らの青春を駆け抜けた 

                       気高き日本の若者たちの浪漫 を想う…

 

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170205120341j:image                                             この想い あなたのもとへ                                                                        とどきませ…

 

 

 

 

 

 

 

法華経に於ける第十二品 妙法蓮華経提婆達多品によせて… 分かり易く そのエッセンスを お伝えします

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この度は「 法華経 」の中の 第十二品

所謂「 妙法蓮華経提婆達多品第十二 」に

ついて

 

出来るだけ簡単に 然も分かり易く

私の色々な経験を踏まえつつ

お伝えしたいと想います

 

 

お釈迦さまが説かれた数々の教典の中で

最後に説かれた「 法華経 」と「 涅槃経 」

 

この二つの教典に於いて 初めて

「 女性の成仏 」「 悪人の成仏 」

「 一闡提(いっせんだい)の成仏 」が

明かされるのです

 

仏教の中の醍醐味である 

この二つの教典に於いて

お釈迦さまは この大いなる教えを

初めて 明かされたのでした

 

 

因みに「 一闡提 」を

分かり易くお伝えすると

 

仏性(仏の種)を 命に具えないが為

所謂 正法(信仰・仏道修行)に対して

 

批判的または 信仰そのものに対して

嫌悪感を抱いてしまう様な人(命)

と言う意味です

 

私が皆さんに是非 覚えておかれる事を

お勧めしたいのは

「 女性の成仏 」の部分です

 

 

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亡くなられた女性の

安らかなる成仏を願い そして祈る時

 

どのお経(経文)を唱えれば良いのか

どうしたら故人が喜んでくれるのかを

知っておくことは

 

自分の為にも故人の為にも 

幸せな事なのです

 

 

あとの 二つの場合 

一般の方々は触れない方が良いと

お伝えします

 

何故ならば

「悪人の成仏」「 一闡提の成仏 」は 

在家の皆様には 荷が重過ぎます

 

「 あの悪い奴を 改心させよう 」

「 あの不信心な奴に 信仰をさせよう 」

と言う様なもの だからです

 

皆さんがそこまで関わるのは 

止めましょう

 


話を「女人成仏」に戻させて 頂きます

 

心を込めて優しい気持ちで 

経文を唱えて下さい

提婆達多品 」を「お経本」を見ながら

で結構ですから ゆっくりと唱えて下さい

 

優しく唱えるのは 

女性がそもそも優しいもの だからです

 

こちらの気持ちを お経に継いで

 

初七日を終え 四十九日を終えたなら

速やかに 帰るべき所に帰れることを

共に祈り

 

この段階で やっと仏に成れた事(成仏)

を故人に喜んでもらい

 

また こちらの世界に降りて来るまでの間

あちらの世で幸せに過ごされる事を 共に

願って下さい

 

 

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提婆達多品について最後に

お伝えしたき事柄が有ります

お経には「 眞読 」と「 訓読 」とが

あります

 

分かり易く言えば

「 眞読 」とは あの「 漢文 」です

 

仏教で言うところの「 神 」や「 天界 」

に唱える時には

こちらで お経をおあげ下さい

 

神々にとっては「 漢文 」など 

少しも難しくはありません

 

一方の「 訓読 」は「 口語調 」の方です

 

亡くなられて未だ 四十九日となる前の段階

所謂 「 中幽界 」にいる間は 勿論のこと

 

四十九日を終えて三途の川を渡り 

無事に成仏してからも

故人たちの理解する力は この世にいた時と

何ら変わりません

 

亡くなったからと言って 

いきなり「 漢文 」で話し掛けられても

到底 理解など出来ません

 

そして お経というものは 本来

亡くなられた方にだけ上げるもの 

と言うのは間違いです

 

生きている人に対してこそ

その人の幸せを願って唱える 

本来はそう言うもの なのです

 

いつの間にか

故人に対して唱えるものがお経である

と言う風に 

人々が 取り違えをしてしまい

 

そのままになっている だけなのです

 

以上「 妙法蓮華経提婆達多品第十二 」

の意味と 本来のお経の在り方について

簡単に 解説させて頂きました

 

 

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次に 法華経に於ける第十二品

妙法蓮華経提婆達多品第十二 」 のお経

を唱えてみようと 想われた方々に対し

 

敬意を表すると同時に

敢えて お伝えしたい儀が あります

 

唱えてみようと想われた事 それ自体が

何よりも尊い仏性を

ご自身の中に見出だされた事でもあります

 

提婆達多品は 大変長いお経です

 

今生きておられる女性の 幸せを願って

或いは親しかった故人であられる女性の

安らかなる成仏を願って

 

この経文をお唱えになる その時には

口語調の「 訓読 」が 宜しいかと存じます

 

その訳は 前述させて頂きました通りです

 

その際にです

「 爾時(そのとき)に 佛もろもろの菩薩

および 天人四衆(てんにんししゅ)に

告(つげ)たまわく……  」

 

提婆達多品はここから 始まるのですが

それはそれは非常に 長いものです

 

その上で 何としても初めから全部唱えたい

と言う稀に見る 意欲に溢れた方々は

 

それはそれで 素晴らしい心の持ち様であり

頭が下がる想いでも あります

 

経文が長くて辛い方 又は

提婆達多品を唱えたい気持ちが充分であり

且つ

 

何としても末永く

唱え続けて行きたい方の為に 

お伝えします

 

 

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提婆達多品全体の

最後の方およそ四分の一程の経文を

唱えて下さい

 

お経はどの部分にも

大きな そして深い意味があります

 

増してや 経文の一文字一文字が全て 

佛でありますから

全ての経文が肝心であり

また大切でもあります

 

しかし その事を踏まえた上で敢えて

提婆達多品を永く唱え続ける為に

極めて肝心なエッセンスの部分を

必ずや唱えて下さることを お勧めします

 

「 深く罪福の相を達して  徧(あまね)く

十方を照らしたまふ  微妙(みみょう)の 

淨(きよ)き 法身(ほっしん)……  」

 

から最後の一文字までを 心を込めて

丁寧に唱えて下さい

そうです ゆっくりで 良いのです…

 

お経が 我が身に染み付き 

また心とひとつになった頃に

改めて 初めから最後までを通して 

唱えてみて下さい

 

心を 込めて…

 

 

簡単な解説では ありましたが

 

皆様の暖かい 御精読に対しまして

 

心よりの感謝を 申し上げたいと 想います

 


   何ぶんにも 寒さ厳しき折

 

       皆様どうぞ ご自愛下さい…

 

 

  

                           法華経の慈愛溢るる 第十二品

                                         提婆達多品 に於ける

                                            神々と人々との浪漫 より…      

 

 

 

  

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宮沢賢治と銀河鉄道の夜 皆んな忘れているだけなんだよ…

f:id:toshi-kuma25317:20170202034454j:image                                                     幼き日の 賢治と妹トシ

 

日本の あちこちで

 

宮沢賢治を語る集いやら

賢治さんを語る会 などなど 

 

いやはや 日本人に於いて

宮沢賢治を語らせたなら

 

右に出る者がいない人は

それはもう 数多いるであろう

 


私は多分 違うので

少々 気遅れするところだが

 

そこは又 面白そうなので

 

このまま話を

進めさせて頂こうと想う…

 


では 何故…

 

宮沢賢治を語らせたなら

それ程に凄い人たちが 沢山

 

この日本には いるのだろうか

 

 

賢治の生き方を

人知れず 熟知しているとか

 

彼の考え方を

魂レベルで 理解しているとか

 

彼と一緒の生き方を 心掛けることを

常としているとか


恐らくは…

そう言う事では 無いだろうし

 

寧ろ そんな事は誰も

持続すること自体 些か無理があろう

 

  

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宮沢賢治の残したメモ

彼の童話作品

日頃の ものの見方や捉え方

 

どうやら それらは基本

大乗仏教法華経に通ずる様である

 


至極簡単に

表現した場合ではあるが

 

法華経は「 妙法蓮華経序品第一 」

から「 普賢菩薩勧発品第二十八 」

までの 計二十八品 から成る

 

それらは皆「 方便 」であり

「 物語り 」として 語られている

 

例えを駆使し 衆生に分かり易く

説いている…

 


宮沢賢治が 童話の世界に於いて

 

自身の持つ 全てでもって

出来得る限り 分かり易く

 

人々へのメッセージを 散りばめようと

したのも

 

尚更 その様な背景が

あっての事だった様にも 想える

 


中でも「銀河鉄道の夜」は

宇宙の真理を分かり易く伝えているし

 

雨ニモマケズ」についても

偶々 手帳の中身が世に出ただけで

 

賢治自身は 人に見せる為に 

綴ったものでは 決して無かった

 

 

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だからこそ

 

彼の感性は 常に…

清涼且つ豊か だったのかも知れない


尋ねて来た人への配慮

 

黒板に居場所を記した

人を誘うべく 分かり易さとか…

 

北上川の河岸を

英吉利(イギリス)海岸になぞらえる 

その 斬新なる感性とか…

 

貧しい人々に対する 深い情愛

 

女性子供に掛ける

優しい 言の葉の数々…

 


彼の「 二乗作仏(にじょうさぶつ)」

について

 

法華経の行者としての彼に

異論を唱える

修行者の方々も おられるが

 

人間故の 誰にだって

偶々 解らない事だってあろう

 

考え方の癖と言うものも あるだろう


私の考えは飽くまで

そう言うスタンスと させて頂く

 

宮沢賢治が陥った

二乗作仏と言うものについて

 

簡単に お伝えしたい…

 


今の自分は病に伏せており

 

目の前にある この魚を食べ

滋養を付けて元気になるという

至極当たり前の選択肢が ある

 

だが待てよ…

この魚にも親兄弟がおり 云々

 

若しかしたならば この魚は

過去に於いて 自分と関わりの深い

魂であったかも知れない 云々…

 

 

最期の頃の賢治は 滋養を拒み

三十七歳の 短い生涯を閉じる

 

駆け抜けで お伝えすると

正に この様な 流れであった

 

 

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後世になり…

 

賢治は 玄米では無く

本当は 七部搗(つ)き米が

好きだったとか


ユーモアのある不思議な

おまじないをした後に 彼が

刺身を食べるのを 見た事があるとか

 

蕎麦が好きで

相当な早食いだったとか

 

菜食主義の時期も あったが

飽くまで ずっとでは無かった 等々

 

色んな逸話も ある様だ

 


しかし 体が弱く

性格上の 慈善奉仕の日々で

彼の体は常に 疲れて居り

 

彼の体力に対して 栄養が

足りていなかった感は 否めない

 

 

微笑ましい話もある

 

賢治は元来 大変な早食いで

よく腹を下していた らしい…

 

私も早食いなので

充分に気を付けたいと 想う

 


色んな話しを 聴くにつけ

 

彼の人間味を

相当に 垣間見ることが出来る

 

そして余計に 身近な人となって来る

 

此れらの逸話…

意外に 知られていないものが多い

 

 

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私は「 雨ニモマケズ 」に於いて

或る 気になる下りが あった

「 じぶんを かんじょうに いれずに 」

  である


そしてつい最近 もうひとつ増えた

 


仙台市在住の Nさんとの

何気無い やり取りの中で

お若い Nさんが…

 

「 じぶんを かんじょうに いれずに

自体を 今迄知りませんでした

切っ掛けを下さって 有難うございます 」

そう 仰った…


随分と真正直な青年も 居るものだと

私は 感心させられた

 

Nさんはこのことについて 調べたそうだ

そして彼は こう言った…

 


「 みんなから 木偶の坊(でくのぼう)

と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず 」

これも 同じ意味ですよね と

 

『 どちらも

「本当の意味に於いて 自分を消す」

と言う事を 考えた時に

両方兼ね備えたならば 完成ですよね 』


そう仰った Nさんの

「 学べた 」と言う 前向きな姿勢に触れ

 

とても心地良いと 私は想った…

 

 

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宮沢賢治の あの短い詩は

私の 想像以上に 

 

色んなものが凝縮された

深みのあるもの だった様である

    
賢治には勿論 Nさんにも感謝をしたい

 

 

そして 記事冒頭の問い についての

私の答えを 述べてみたい

 

何故 皆んなが

宮沢賢治を 語りたがるのか…

 

その人その人の解釈は 様々なれども

人によっては ほんの少し知っている程でも

殆ど熟知しているかの如く 熱く語りたがる

 

どうしてなのか…

 

それは 彼に心底共感し

微塵も疑っていないからだと 想う


皆んな それぞれに

自分だけの宮沢賢治を 温め

 

誰からも束縛されること無く

それぞれが それぞれの距離感で

独自の感動を 味わっている

 

そこには 価値感の共有など

微塵も 存在しないであろう

 

教祖と信者との関係との 対極と言えよう

 

先に述べさせて頂いたが

彼の人間味が そうさせるのか…

 

 

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些か僭越を承知の上で

宮沢賢治になったつもりで 

 

皆さんに少しだけ

語り掛けてみたくなった

 

 「 何気に 遥か上を見てごらん

銀河鉄道の夜だよ…

 

そこに輝く 星たちは

ホントは  皆んなが

何度も行っている 星なんだ… 

 

本当の幸福は わざわざ

探さなくても 良いんだよ

すぐ側に 在るのだから…

 

皆んな それを

知らないんじゃ 無いよ

忘れているだけ なんだよ

 

何度 忘れてもいいから

いつか 想い出そうね …  」

 

 

ナム・サッダールマ・

        プンダリーカ・スートーラ

 


此れは サンスクリット語なので

 

美しき日本の

美しい言の葉で

敢えて 言ってみたいと 想う

 


   賢治が愛して 止まなかった


            南 無   妙 法   蓮 華   経 …

 

 

 

                                宮沢賢治に於ける法華経の浪漫

                                                     銀河鉄道の夜 より… 

 

 

 

 

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