我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

けんじさんのあるきかた にみる…

f:id:toshi-kuma25317:20170324193309j:image                                                                           宮沢賢治

 

日本人の心の中の文豪

 

ひとの想いを見詰め続けた宮沢賢治とは

心優しき浪漫びと…

 

その 彼にとっての日頃

所謂 宮沢賢治にとってのサハー(娑婆)世界に

 

ほんの少しだけ 眼を向けてみては如何でしょうか… 

 

宮沢賢治とは優しく思い遣りがあり そして勤勉で誠実

なひと

 

得てして少しばかり マニュアル通りな表現になってし

まった様な 気もするのですが…

 

誰しもが彼に対して想う印象に それほどの違いは無い

様に想えること しきり

 

果たして等身大の宮沢賢治とは一体 どんな感じだった

のでしょうか…

 

奇抜で意外な一面も お持ちだった様です

 

美食をする時には浮世と繋がるおまじないをしたりと

か 蕎麦が好物で相当に早食いだったりとか

 

中々 お茶目な一面も…

 

心もちは穏やかで優しく 思考は哲学的で装いはとても

お洒落

 

真面目で そしてユーモアもある

 

どうやら そんな感じの若者だった様です

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170324193344j:image                                                                    若き日の賢治

 

そこのところを 私は…

宮沢賢治に親しみを込めつつ

皆さんにお伝えしたく想う訳です

 

文学作品のみならず  心燃やした四十年足らずの人生

の中で 彼が出逢った全ての事象は

 

差し詰め 自身にとっての「童話」そのものだったのか

も知れません

 

一風変わったダンディズム…

賢治のそのお洒落なセンスは 何も装いだけではありま

せん

 

趣のある「賢治さん」の歩き方を眺めながら

不肖私めは この辺りでお暇(いとま)をさせて頂きた

いと存じます

 

おんなじ歩き方ですよね⁇

 

あの楽聖ベートーヴェンと…

 

できる男は 洋の東西を問わず

 

考えることは みな おんなじですから…

 

 

 

                       東北人の純朴なる浪漫と

                           ふとしたお洒落への拘り に見る…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170324193323j:image                         ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

 

 

 

 

 

 

 

 

道北遥かなり 若き日の妻へ捧ぐ…

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                                          サロベツ原野大沼にて 美恵子

 


記事が 津軽海峡を渡ります


私は若い頃 真新しいものや自ら行かなければ

手の届かないものが 無性に好きでした

 

所謂 好奇心が人一倍旺盛ではなかったかと 

想います

 

何につけても 実際に自分の目で直に見たい

と言う願望が強く

 

思い立ってから行動するまでに

何時も 大して時間は掛かりませんでした


北海道の地形や風物詩が織り成す 

シベリアや東欧にも似て

哀愁を帯びた情景…

 

私にとって今感じるであろう以上に 

それは

驚きとの出会いを予感させるには

十分なものでした


そして何と言ってもあの距離感が齎し出す 

意表をつく程に遥か遠いところが

 

当時の自らの趣向からか

若さも手伝ってなのか 

 

中々手が届きそうに無いものに焦がれ 

そこに辿り着きたいと言う

切なる願望の対象ともなっておりました


若いと言うことは大概 

未経験と経験の連続ですから

 

北海道探訪は私にとっての 恐らくは

未経験のひとつの象徴

だった様にも想います


五日から一週間ほどの道内移動の日程で 

数多く訪れた

北海道の旅の中でも

 

今回は 初めて道北の地を訪れた時の想い出を

綴らせて頂きたいと想います

 

 

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                                                                 オロロンライン

 

この時はフェリーで仙台発 苫小牧に渡り

工場地帯の原野の中を直ぐに

道央自動車道に乗ったことを記憶しております


道央自動車道では

その眺望の良さが存外な驚きであり

高速道にも拘わらず 周りを一望することが

出来ました

 

そのことが 当時としては

大層不思議なことに想えたのですが

 

今 様々な高速道路を利用してみて

解ることですが

 

高い所から真っ直ぐに下る際に

前方の広がりが醸し出す

北海道特有の地形が

 

必然的に良好な見晴らしを

演出してくれたのかも知れない

と言うことです

 

恐らくは全体が広いので

勾配が緩やかとなり 高低差が

余り気にならなかったのでしょうか…


返って時間距離が短かいことの方が

気になったのと同時に

 

些か名残り惜しくも感じられ…

またそのことが

大層可笑しくもありました

 

当時の私にとって

道央自動車道での時空が それほど迄に

快適なものであったと言うことを

 

今更ながら

つくづくと想い出しております


札幌 美唄などを過ぎ…

そこからは一気に

当時の道央自動車道の終点を目指すの

ですが

 

この時は平成になる少し前のことで

旭川まで未だ 高速が通っていなかった様に

記憶しています 

 

終点は確か 滝川だったと想います


高速を降り 留萌に向かいましたが 

途中 北竜町のひまわり畑の丘が

悲しいほどに美しく


下知識の無いまま遭遇した分

余計に新鮮で

これからの道北の旅を予感させる

大いなる切っ掛けにもなりました


映画「ひまわり」を彷彿させるその情景は

哀しい中にも希望を象徴するかの様でもあり

今でも深く印象に残っております

 

 

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                                                     北竜町 ひまわり畑の丘

 

留萌から道北までの距離は相当なものですが

 予想だにしない道路のお陰で

一気に道北の地を目指すことが出来ました

 

返す返すも本当に懐かしい…


あの何百キロあるのかさえ分からず

信号とも ほぼ無縁のオロロンラインは

 

当時は風力発電のプロペラ風車など

当たり前でしょうが

何処にも有るはずも無く

 

高所に道幅のポイントを示す為の

矢印表示が ある位でした


遮るものが無いとは言え

有りの侭の自然の中は矢張り

爽快でもあり

 

自分がまるで風の様とは

正にあの時のことだったのか

 

などと 今更ながら

感慨深く想ってもおります


道北での一泊目は 

ノシャップ岬に宿をとっておりました

ので

 

先ずは水族館を見た後に 

気付けば防波堤の上は黒山の

人だかり

 

夕日を眺めるポイントだと

重々知ってはおりましたが

 

ここまで来て人間

考えることは皆同じ…


そんなこともあり

道北の夜長は何故かほっこりとする

趣深いものとなりました…

 

 

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                                                                    サロベツ原野

 

翌日はサロベツ原野にて 

最果ての遥かなる感慨に暫し浸り

 

北緯四十五度の立て札には…

 

我が日本国内の意外にも遠い距離

と言うものを 

しみじみと痛感させられました


もう三十年も前のことなので

それから後立ち寄ったところを断片的に

想い出の中…

 

色々と巡ってみました

 

そして サロベツ原野の地図を見ながら 


ひっそりと静粛に包まれながらも

全てが大らかで開放的な大沼に 

ついつい引き寄せられてしまったことを

 

いつの間に

想い出しておりました


沼とは何とも控えめな呼称で 

実際には小さな湖です

 

水深の基準からか

沼の呼称になったのでしょう…

 

大沼の水面(みなも)に

まるで浮かんでいるかの様に

見えつつ

 

直ぐそこに佇む利尻富士

 

その余りにも美しく

飛び切り端正なその姿が

 

ここまで来れたと言う安堵感と共に

素敵な解放感をも

私たちに与えてくれました


その時の 未だ若かりし妻の

嬉しそうな表情が忘れ難く 

 

ついこの間の様な気がして

仕方ありません

 

 

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                                                            サロベツ原野 大沼

 

それから もうひとつの沼に行きました

確かメグマ沼と言う名だったと想います


緑豊かな程よい大きさの沼で

子供が生まれたなら

メグマ沼に連れて来たいと

 

彼女が話していたことを

ふと想い出した時に…

 

矢張り 月日の流れと言うものを

しみじみと感じてしまいます


稚内動物ふれあいランドにも訪れ

 

樺太犬 タロだったかジロの子孫

がいたことも 良く覚えておりました


道北の二泊目は稚内に宿泊  

翌早朝に出発をし

 

オホーツク街道を一路 

知床 紋別方面へ向けて下りました

 

 

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                                                                                  稚内

 

見下ろせば海岸沿いに

遥か先まで道なりに見えるその様は

 

最早何に例えたら良いのやら…

 

それから大分走り

朝七時ちょっと前

 

街道沿いにクッチャロ湖の案内板

を見付けたので 寄り道…


情景が素晴らしいと言えば

それ迄でしょうが 

 

湖畔の美しさが本当に意外で

この上質な画には些か驚かされました

 

ひっそりと佇む

その静けさは まるで芸術の様


道北の旅からの

最後の贈り物の様で…

 

未知だったものとの出逢い

そして心地良い余韻からなのか

後ろ髪を引かれながらも

 

何とも嬉しい気分になれたことが

懐かしく想い出されます

 

 

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                                                                    クッチャロ湖

 

私にとっては三度目の

北海道の旅 途上…

 

初の遥かなる道北の旅情は 

ここに終わりを告げることとなります


しかし この旅は未だ道半ば…

 

ここから紋別

レイクサロマへ そして知床へ


その後 誰もが目指す

著名な道東へと 向かいます…

 

 

   

 

         初めて道北の地を訪れたときの感慨を

         ひとつひとつ 想い出してみました

         存外心に残り そして紡ぐべく記憶とは 矢張り

         悲しいほどに心震わす出逢い

    そこから生まれる魂の浪漫ではなかったかと

                                                         想っております…

                  

 

 

 

 

 f:id:toshi-kuma25317:20170322212312j:image                                                  サロベツ原野と利尻富士
                                                 f:id:toshi-kuma25317:20170322212426j:image                                                                    花のガーデン                                                                                  f:id:toshi-kuma25317:20170322212422j:image                                                                    カンパニュラ

f:id:toshi-kuma25317:20191231091225j:image                     美瑛の丘と若き妻

 

 

 

         道北 遥かなり…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫陽花からのメッセージ…

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私には 今年十九になる娘がいる

 

彼女は 私が四十一歳の時

我が家に降りて来てくれた

 

当たり前なことだが

それは可愛いもの…

 

 

私は中々出来の悪い父親の様で

気持ちが急くばかり

 

気の利いた言葉のひとつどころか

余計な言葉さえも

掛けてやってなどいない

 

娘に対して済まないと想うこと

数知れず…

 

 

彼女が確か三歳になる ほんの少し前

テレビで「火垂るの墓」が 放映されていた

 

既に夜だったので…

ビデオに録画してあるから明日見ようね

と言ったら

 

娘は喜んで 何時も通り素直に寝た

 

そして翌日 録画してある「火垂るの墓」を

二人で見ていた

 

初めから終わりまで もうすぐ三つの彼女…

何故か一言も喋らずに 見ていた

 

 

その日は八月六日…

 

そう言えばビデオを見る前に

広島の平和記念式典がテレビ放送されていた

 

娘と妻と私の三人で見ていたが

娘は矢張り 一言も喋らずに見入っていたのを

よく覚えている

 

 

それから数日経って…

娘と妻の折り紙が 始まった


未だ幼いので中々進まず…

 

暫くして やっと完成した時に

ひろしまのひとたちに わたす」

 

そう言ってほっとした娘の

あの顔を私は今でも忘れることが出来ない

 

 

きっと今生を終えるとき

 

あの時の小さな愛娘の表情が

私の心に一瞬よぎるのだと想う…

 

 

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ヒロシマ 行かなければ

広島に滞在しなければ


娘 美和が もう直ぐ三つのとき

 

広島の人たちに渡す 

そう言ってせっせと折り紙を…

 


リボン  人々の輪  鶴

妻に手伝って貰いながら

 

その多くに手を掛けて貰いながら

せっせと…

 

 

難しさもあり かなり苦戦 

然し 諦める様子なし


幼いながら たのしんでいる

もくてきがある 強い意志だ

 

 

最後は 妻がほぼ手を掛ける

そして完成す…

 

胸いっぱいの娘…

 

 

あれから もう直ぐ16 年

娘が小学生になったら広島 へ

 

そのつもりだったが

なかなか体力がつかず 入院もたびたび…

 

その後 東日本大震災 原発事故

フクシマも…

 

 

色あせてしまった 折り紙たちが

我が家の祭壇に 今も…

 

 

 

先日 広島のとあるFM局の

 

紫陽花に纏(まつ)わる

ひっそりとした花の笑顔付きFacebook記事

を拝見して


ことしは 慈愛溢るる そして夢溢る広島に

滞在しなければ 

 

そう想った…

 

 

 


広島の人たちに 長崎の人たちに

 

そして福島の人々に

 

皆んなの その優しき願いに

 

 

 


                                    幸 多かれ…                            

 

                                                  鎮魂

 

 

 

 

                            ひとの真心と言う

                                        浪漫に 触れるとき…

 

 

 

 

 

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本当の日本を未来へ伝える その壱…

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日本にまつわる古くからの 様々な出来事を考えた

時に 何とも摩訶不思議な気持ちにならざるを得ない

 

比較的分かり易い中世以降の歴史でさえも

様々な為政者の思惑が入り交じり 本当の歴史は甚だ

分かりづらい

 

況してやそれ以前の事柄ともなれば 幾重にも様々な

脚色やらフェイクやらフェイントが入り混じり 紐解く

ことが難しい

 

古来から続く自国の仕組みを 最低限知るべきであり

また直視すべき時も そろそろ来ているのではないだろ

うか

 

歴史 特に日本史の摩訶不思議な流れに対し 一風変わっ

た視点の在り方を 敢えて心掛けてみたいと想う理由も

この辺りにある

 

現代の日本人が想い描く縄文時代とは 恐らくは石器時

代の延長に他ならないであろう

 

私自身 学校で教わった内容も 色々な本や資料を見て

も 詳しい情報など何処にも無く

 

縄文時代は一様に 原始時代の最終章の様な時代として

片付けられてしまい うやむやであった

 

しかし 果たしてそうなのだろうか…

我が国 日本に於ける超古代文明 所謂 縄文文明とは

 

ひとつの大いなる秀れた文明であった と言うことが真

実であろう…

 

況してや エネルギーを自在に操れるほどに 本当に秀

れた文明であった

 

悠久の縄文文明と共にあった穏やかな古代日本と

今もその文明を受け継いでいる末裔が 縄文人の気質を

そのままに 控え目にしている姿を見るにつけ

 

かつて宇宙の真理に沿いながら穏やかに繁栄した 古代

王朝の在り方が偲ばれる

 

 

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今尚 周りから搾取されるがままでありながらも

縄文の民 ブルーカラーの日本人が決して争いを好まな

いと言う事実と

 

地球上 他には類を見ないであろう 

彼らの持つ平和への普遍的本質 更には魂の根本とが

 

縄文と言う 元よりの地球人(日本人)の成り立ちの

原点から 

脈々と流れていることを 知らされる

 

古来の地球人は皆一様に 神々と共に生きる宇宙的で

平和的な暮らし方を当たり前のこととし 好んでおり

 

そこに暮らす民が 宇宙と言う神々と寄り添う為に絶対

的バイブルとし 魂に護持していた宇宙哲学

そして それを具現化した古神道(こしんとう)

 

所謂 神々と交わした 普遍の誓いとしての古神道とは

一体 如何なるものだったのか

些か 興味は尽きない…

 

また 古神道と言葉の使い方が少し異なるだけで  その

本質はつい 同義と想われがちな日本神道

 

恐らくは邪馬台国終焉の後 空白の百五十年と言われる

時を経て広まった 日本神道

大和朝廷成立の頃より盛んに擁護され拡散された 


そして今 私たちが氏子として 日頃より日本神道に親

しんでいる

 

弘法大師空海が護持し大陸から持ち帰った 口伝の密教

たる真の密教についても

 

その本質と日本へ伝わった経路についても何故か はっ

きりと世に拡散されていないことも

些か 不思議と言わざるを得ない…

 

 

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想うに 宇宙的高次元なところに於いて 予め決まって

いたであろう 

玄奘三蔵 智通 空海による真の密教の橋渡しには  ど

んな意味があるのか

 

古き良き日本人が携える 神に寄り添った内面こそが 

宇宙そのものと共鳴をし 宇宙の真理を具現化すること

そして不思議で深遠なる魅力を 醸し出すことも出来る

 

本当の日本 所謂我が国の歴史に於ける肝心で深淵なる

部分とは一体何か…

 

それを知ることは

 

穏やかな気質ゆえに 余りにも知らないことが多過ぎる

或る意味素直で方向性の定まら無い 私たち日本人にと

っては 本当に必要なことと想えて仕方が無い

 

知らないことが当たり前であり ややもすれば美徳であ

るかの様な 

 

戦後に於ける 日本人の気質を隅々まで測量し尽くした

者たちに依る あらゆる統制…

 

自在さの無い悲しき考え方の根本(こんぽん)がある

限り 私たち日本人は何処まで行っても 

自らの意思では 何も解決出来はしない

 

行き着く先が余りにも漠然とした人生を 送らざるを得

ないのではないだろうか

 

私たち人間は 本来知性を持っており 自分の意思で

大いなるものからの情報を収集し 自らの力で判断をし 

自らの生を全うする

そう言うものではないだろうか…

 

そのことを踏まえながら 序章から本論へと入らせて頂

きたい

 

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人類は宇宙を旅し 神の意思を伝えるべく存在する様に

想える

 

通常どの恒星系を見ても宇宙の民は神と共に生き 宇宙

的で平和的な生き方をしている

 

太陽系はついこの間まで 冥王星がカットされて

水 金 地 火 木 土 天 海 の8惑星とされたばかりの筈…

 

しかし宇宙はどの恒星系をみても 12の惑星から成っ

ていると言うのが どうやら真実の様である

 

そこには生命に満ち溢れた輝きがあり 神たる宇宙の

生命の活動がある

 

地球に於いて超古代文明は 今から約20万年前から或い

は12万年前から始まったとも言われる

 

天変地異 事には氷河期などが訪れて幾度かのリセット

を止む無くされた

 

遡ると 最も新しい最後の氷河期である

ウルム氷河期が終わったのが 

今から 約1万5,000年前…

 

幾度目かのリセットがなされ 

新たなる石器時代から始まった人類とは  どの様な

ものだったのか…

 

私が幼少の頃から今迄 科学的見地からすれば相当な

進歩を遂げたにも拘らず

 

これはその他の超古代文明についても 全く同じことが

言えるのであるが

 

考古学的発表に於いては何ら進展しておらず

今でも半ば 夢物語的な扱いをされている

ムー大陸アトランティス大陸

 

ムーやアトランティスからの生き残りの人類である彼

らは 確かに宇宙的な文明を持っていた

 

それは自然と共に神と共に生きる古代文明であり

古代日本に於ける縄文文明こそが正に それに当たる

 

 


                                                   その弐へと 続く…

 

 

 

                   このテーマにつきましては

                   続き投稿が 何時になるかは分かりませんが

                        必ずや 宇宙と歴史の浪漫へと

                        何れ ご一緒させて頂きたいと想います…

 

 

 

 

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我がふるさと馬籠はいづこ 優しき恵那よいつか帰らむ…

f:id:toshi-kuma25317:20170304185526j:image                                          中山道馬籠宿から望む 恵那山

  

私が生まれ育ったところには 明治時代のものは勿論の

こと 大正の風物詩が沢山ありました

 

ふと周りを見渡せば 其処は 小中規模な街場に近い

農村と言うだけでも無く

 

辺り一面には果樹畑や桑畑が 数多く広がっていた様に

記憶しております

 

この地域では戦前戦後を通して 養蚕が国内でも最たる

ほどに盛んだった時代がありました

 

その名残が多分に手伝ってか

昭和三十年代及び四十年代初頭ぐらいまでは

 

蚕の幼虫は蚕様(かいこさま)と呼ばれ

彼らの主食たる桑の葉っぱを栽培する為に 桑畑が彼方

此方(あちこち)に 点在しておりました

 

蚕糸工場や染色工場 其れに縫製工場など

多岐に渡る繊維産業の工場が 繁栄の程度こそまちまち

ではあれ

 

確かに ごく普通に稼働をしておりましたし その息吹

も未だ未だ健在でありました

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170304185620j:image                                                                        昭和の桑畑

 

更に人間ウォッチング…

人々に於ける風物に目を向ければ 其処は半世紀以上も

昔の 私が未だ子供時分のこと

 

江戸時代末期生まれの方も ごく稀にはおいでになりま

したし

 

明治 大正生まれの方々は 至極当たり前に多数派であ

り 未だ未だ主役でもありました

 

必然 今を起点に考えれば 生きた文化である江戸 明治

大正生まれの人々が ごくごく普通に目の前に存在し

 

自らが実際に経験をした生きた記憶をもって 私たちに

直に伝えてくれましたし

 

それらはまた実体験ゆえの 子供心にも十分に響き納得

の行くものでもありました

 

然も 子供にとっては何よりも嬉しく 後々迄も自らの

宝物となり得る 心の内に生じた秘めたる想い…

 

それは何ら特別なことでは無く 贈る側も受け取る側も

無意識の内に紡ぐ「ひとの恩」…

 

即ち先人たちから日常的に 優しき願いを込めながら

出し惜しみすることも無く

伝えて貰えていたと言う 心に染み入る事実であり

 

先達から後生の者たちへの贈り物 そして紡ぐべく無償

の愛情そのもの でもありました

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170304185706j:image                                                                        冬季の桑畑

 

更に目を移せば 建物を始め様々な建造物に於いては

 

流石に 寺社仏閣以外のものに江戸 明治のものを見掛

けることは余り無く…

 

大正と昭和戦前のものが  殆どでありました

 

幼少期と少年期を通し…

余りにも身近と言うことも相まってか

 

私が昭和のものに心惹かれると言うことは 殆ど有りま

せんでした

 

しかし 大正期のものに対しては 些か違いました

 

形とか色合いなど 機能性だけでは無い芯の遊び心や

洒落た趣もあり また散りばめられ…

 

人の心に語り掛けて来る様な 作者の意図や熱き想いが

確かに存在していた様にも想います

 

今更ながらですが

大正期が我が国の庶民に与えた 様々な夢や希望 其れに

教養 そして教養から齎(もたら)される心の安らぎ

 

日本人として其れらのことを 染み染みと偲んでみたく

もなってしまいます

 

 

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実をとりて胸にあつれば  新たなり流離の憂い

 

海の日の沈むを見れば  激り落つ異郷の涙

 

思いやる八重の汐じお…

 

 

明治 大正 昭和のときを見詰め そして噛み締めながら

自我と言うものを確立し

 

殆どの日本人が時代の渦に そして激流に翻弄される中

ものの本質を見る目を 決して失うこと無く

 

七十一年の 夢と現実と戸惑いの生涯を憂い そして生

き抜いた

文豪 島崎藤村の心情に想いを巡らせ…

 

私なりに 韻文の詩に認めてみました

 

いづれの日にか 國に帰らむ…

 

 

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こころ恋しき  遠き馬籠よ

 

 

遥か故郷(こきょう)よ

 

何時か 帰らむ…

 

 

我が心は  木曽路にありて

 

しばし佇み  坂を登らむ

 

 

此の身に遠き  愛しき住処(すみか)よ

 

急いてばかりか  戸惑うこの歩は

 

 

此(こ)から何処(いずこ)へ

 

流浪の身 なれば

 

 

終ぞ帰れぬ  流浪の身なれば …

 

 

焦がる想いは  止むことも無く

 

幼きあの日に  ただただ託さむ

 

 

見慣れし彼の峰  紅付く頃か 

 

晩秋の色は  見慣れしはずも

 

 

捨てし古里  ただ恋しくて

 

余計に身に染む  優しき恵那よ

 

 

旅情の様には  もう行くまいに 

 

 

馬籠は朧(おぼろ)か

 

千曲の水面(みなも)哀しき …
                                               

 

 

 

            天照大神(あまてるのおおかみ)と瀬織津姫

          (せおりつひめ)とは一対であり

            天照と瀬織津は男神天照(だんしんあまてる)

            の優しき古里恵那へ ともに想いを馳せる…

            文豪島崎藤村のみならず 其処は日本人の

            そして人類の浪漫 心の故郷なのかも 知れない…

 

 

 

 

                                                                          

 f:id:toshi-kuma25317:20170304185913j:image                                                                               馬籠宿

 

f:id:toshi-kuma25317:20170304185931j:image                                                                    千曲川の水面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心和む情景に 言ふことなし…

f:id:toshi-kuma25317:20170223112645j:image                                   八代町の風景 遠くには南アルプス

 

  

過日 綴らせて頂きました

 

「 甲斐の国が奏でる郷愁とは

   織り成す浪漫とは…  」

 

を 散文の詩に認めてみました

 

 

自分の中にある 様々なイメージや

潜在的な焦がれなど

 

其れらを織り交ぜながら

自らの愛おしいものたちに ついつい

微睡んで仕舞うのも

 

生きているものとしての

心ときめく醍醐味の様な気もします

 

 

 

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遠く見渡せば…

 

其処(そこ)に行ってみたいとか

彼処(あそこ)には 一体

何があるのだろう などと

 

ついつい

童心に帰ってしまう

 


今直ぐにワープしてでも

遥か飛んで行き

 

あの辺りの美しさに

暫し溶け込んでみたい

 

そんなことさえも ふと想って仕舞う

 

  

甲府の里は遥かに広く

小山など 遮るものも無い

 

其の美しき情景は

まるでパステルカラーの様…

 

 

絵本の如き

柔らかな夢と 儚き憂いをもって

 

触れる者の心に

其の彩りを 鮮明に醸し出す

 

 

 

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此の様に夢心地なところも

全くもって 珍しい

 

八代町(現 笛吹市)に至っては

其の様(さま)余りに 魅力溢れ

正に 言ふことなし

 


あの美しき 果樹畑の絨毯や

柔らかき丘の奏でる 色合いに

 

心和まずには いられない

 


遥けき甲斐の里の只中に在るとき

我が心は 何時も微睡み

 


焦がれ止むことは 無い…

 

 

 

 

                           彼処の場所に行き

                           思い切り ときを過ごしてみたい

                                  其れは ひとにとって

                               幼き頃からの 永遠の浪漫

                                                   なのかも知れない…

 

 

 

 

 

 

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木洩れ陽… 塩沢湖畔に於ける

f:id:toshi-kuma25317:20170222222148j:image                                                                    塩沢湖畔にて

 

  

昨年師走 二十六日のブログ記事

 

軽井沢浪漫…  街の彩と

塩沢湖畔に於ける木洩れ陽に想う 」を

短めに綴ってみました 

 

所謂 散文の詩です

 

一緒に散策頂ければと想います…

 

 


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近頃 木立の中を歩くなどは 

とても特別なこと…

 


わざわざ何処かに出掛けて

 

そんな風な場所を探したり

あれこれ選んだり

 


最早 林業の範囲で 

樹木を大切に生かしながら 

 

数多の植物たちと共存すると言う考え方は

余り無く

 


何方(どちら)かと言えば 

人間に都合良く開発をすると言う

 

目の前の享楽に拘(こだわ)った

土木的 商業的発想に 

 

如何(いかん)せん繋がってしまう

 


かつて普通に存在した

雑木林や赤松林 

くぬぎ林や栗林 竹林など…

 

見渡しても 探すのが容易では無い

 

                                             

得てして街場のすぐ隣の木立 

それに人里に溶けこむ雑木林と言えば

 

軽井沢は その最たる土地柄の

ひとつであろう

 

 

 

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その色は深遠であり

織り成す彩(いろどり)は多種多様である

 


然もその色は彩は 

二度とは再現出来ない程に複雑に

混じり合い

 

ひとつの完成形が

数多(あまた)存在する

 

 

二十数年前… 

私は軽井沢町の塩沢湖畔を訪れた

 

風光明媚と言えば それ迄だが

木立と湖畔の佇まいが 何とも絶妙であり


そこには 穏やかで儚き浪漫がある

 


中でも 陽が降り注ぐ時などは 

 

木々の間から差し込む

柔らかき清涼なる光たちが

 

清き天上のものの伝言を 

 

大地の大いなるものに

届けんとしているかの様でもある

 


その木洩れ陽は飽くまで柔らかく

 

まるで湖面を淡い絹で包むかの如く

微かに この目を潤ませる…

 

 

彼処(あそこ)に見えるのは 

ペイネの像と茶色い館


ほんの少しだけ 湖畔の道を歩いてみたい…

 

 

 

 

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あなたの色が  深すぎて


儚き憂いに  この身は焦がる

 

 

森の教会  木立に惑う


どこか切ない  塩沢の湖畔

 

 

初秋の長月  浅間の里に…

 

 

 

                                          

                          私は散文の詩が とても好きだ

                           行間には 様々な余韻が満ち溢れる

                                   塩沢湖畔に於ける木洩れ陽は

                                          若き日の 私の浪漫である…

 

 

 

 

 

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