我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

人の道理を通した長岡藩と河合継之助 同じ時代に我が国を蝕んだ幕末の闇とは…

 

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人としての道理を通す故の

壮絶極まりない北越戊辰戦争

 

飯盛山の鬼「白虎隊士中弐番隊」の悲劇で

今尚人々の心を揺さぶる

あの会津戊辰戦争

 

皆様 先刻ご存知かとは想います

 

母成から雪崩れ込む大軍とは別に

越後方面から会津盆地を目指していた

新政府軍の別の大隊が有りました

 

それに対し

筋道が通らないと言い切り

毅然として恭順を断り 徹底抗戦に出た

北越の一藩が有りました

 

長岡藩です…

 

大羽越列藩同盟に入っていながら

危ういと思うや否や

真っ先に寝返った秋田 それと米沢…

 

そんな時世にありながらも

最後まで筋道に拘り通した長岡…

 

長岡藩は命を賭して

人としての道理を貫いた訳です

 

それと同時に

 

幕末の動乱期に於いて

日本人が今尚 知らないままにいる

歴史の闇が数多あるのです

 

そもそも戊辰戦争とは

何の為に起こった出来事だったのか

 

日本人以外が

どの様に関わっていたのかなど

 

想いは募るばかりです

 

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時は戊辰…

 

会津戊辰戦争を阻止すべく

新政府軍の無理難題に対し毅然と立ち向かう

武士道満ちたる北越の一藩が有りました

 

長岡藩です

 

石高から見れば七万四千の小藩

 

しかしながら これは飽くまで見掛けであり

藩の多岐に渡る努力に依って内高は十四万石

その実態は中藩でありました

 

あの壮絶なる北越戊辰戦争

長岡藩が突入した際の軍事総督だったのが

家老上席の河合継之助でした

 

元来 継之助は 優れた発想と行動力

それに武士道に満ちたる

折り目正しさを兼ね備えておりました

 

京都詰めや江戸詰めを歴任するも

「ならぬものは ならぬ」と言う気概が

いっとき浮世では災いをし

一旦は藩へ帰る事となります

 

帰藩してからの彼は

持ち前の様々な能力を発揮します

 

為替の動きや差異に鑑み

藩に大きな利益を齎(もたら)したり

 

財政改革や兵制改革それに民への政

全てに精通しており

 

藩の為に如何無く

その力を注ぎ込んだのでした

 

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河合継之助(かあい つぎのすけ)

 

1,827(文政10)年  1月27日  生

1,868(慶応 4) 年  8月16日  死没

 

                                           享年  41

 

江戸時代末期の武士で

越後長岡藩 牧野家の家臣

  

新政府軍への恭順を主張していた

世襲家老主座の稲垣茂光は

いざ交戦となる直前に出奔しましたが

 

世襲家老次座の山本帯刀や

着座家老の三間氏は

終始 継之助に協力をしてくれました

 

こうした中

継之助は名実共に

開戦の全権を掌握することとなります

 

この北越戊辰戦争は凄まじく

壮絶を極めました

 

理由はただ一つ

長岡藩が強かったからでした

 

しかし多勢に無勢

武力と言うより武器力の差如何ともし難く

新政府軍の勝利に終わります

 

そして 戦局は会津へと移って行くことと

なるのです

 

戦闘で足に弾を受けた継之助でしたが

諦めることは無く

 

形勢を挽回すべく気丈にも

会津への援軍に向かう道すがら

破傷風が原因で無念の死を遂げます

 

河合ほどの人物です… 

この戊辰の役 即ち戊辰戦争自体が

日本の国には何の利益も齎さないことや

 

姿を隠し何食わぬ顔で

日本人同士の殺し合いを眺めている

武士道の対局にいる者たちの存在を

知っていたのだと想います

 

だからこそ河合は 何としても

武士としての 人としての

筋道を通したかったのでしょう

 

因みにではありますが

戊辰戦争で使われた

数多の鉄砲や大砲等は

一体何処から持って来た物だったのか…

 

今の我が国の人々は考えもしません

 

しかし その実態について

残念とばかり言ってはいられません

 

伝えなければ…

 

明確な理由無く始まり

戊辰戦争が本格化する ほんの少し前に

予定通りに終わった とある戦争が有りました

 

北アメリカ大陸

幾多の人々が亡くなった

あの南北戦争(なんぼくせんそう)です…

 

奴隷解放を旗印に

北軍が決起をしたと言うこと自体

そもそも本当の理由では無く

 

そのベールの下に隠れた本当の理由が

どうやら ある様です…

 

今回は 直接的日本国内の出来事に限り

述べさせて頂いており

 

詳細は 皆さんご自身の目で

辿ってみられるのも宜しいかと 想います

 

因みに当の北米人たちすら 今尚…

南北戦争が本当は何故起こったのか

その切っ掛けすら釈然とせず

 

相も変わらず

訳が分から無いままになっているのです

 

南北戦争が終わっても武器は残ります

金の亡者は これを見逃しはしません

まさに 武士道の対局です…

 

 

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東インド会社

課長クラスとでも言いましょうか

 

トーマス・グラバーと言う人物が

金融資本の命を受け 日本に渡り

 

知る程に謎多き 坂本龍馬と言う

土佐藩の脱藩浪士を手足に使います

 

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坂本は薩長同盟の立役者と煽てられましたが

実際の薩長同盟

もっと高い次元で予め成立しておりました

 

龍馬びいきの方には

大変申し訳無いのですが

 

そもそも我々が

当たり前に信じて疑わ無い

写真に写る龍馬の真偽 をも含め

 

これが生々しい歴史であり

歯に絹を着せぬ本当の歴史なのです

 

そう言う私も実は

遥か遠い過去には龍馬びいきでありました

 

グラバーは南北戦争で残った武器

のみならず

欧州列強からも武器を調達しました

 

軍需産業は莫大な富を欧米に齎(もたら)し

欧米列強の植民地主義

飛躍的に加速させて行くこととなります

 

また グラバーは

その先にある更なる目的

 

所謂 黄金の国ジパング

大量に存在する金塊の奪取を鑑み

 

その為の布石としての

明治維新を達成させるべく

 

高性能な新式の武器を新政府軍に

旧式の武器は幕府軍

それぞれ法外な値で売り付けました

 

そして気の利いた解釈に於いては

次の様な説もある様です…

 

取り返しの付かない所まで行き着いた後に

グラバーに騙されていたことを悟った龍馬は

 

自らを悔い 自戒の意味も込め

船中八策を認(したた)めることとなる

良心の呵責の名の下に…

 

そして その後程なくして

坂本龍馬はこの世を去らねばならなかった

 

確かに もっともらしく

上手く纏まった説ではありますが…

 

そして仮にそうであれば

話はひとつの終焉を見

龍馬の人としての名誉も多少は回復し

 

万事めでたし…

 

程良い落し処と相成るのでしょうが…

そうは問屋が卸さない様にも想えて来ます

 

若しも龍馬は暗殺などされてはいない

としたならば どうでしょうか…

 

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明治4年岩倉使節団として

新政府の要職たちが…

揃って英国を訪問したことの意味も

 

朧げながら見えても来ますし

 

英国から米国に渡り

米国でその晩年を過ごした

とある日本人がいたことの説明も付きます

 

それに多くの日本人が知らされていない

藤原氏や長宗我部氏など

 

白人とみまもう

彫りの深い顔立ちの日本人たちが

いにしえより数多いたこと…

 

長曾我部氏の根本拠点は土佐

その上 坂本龍馬は土佐の脱藩浪士

 

本来 龍馬がはっきりした顔立ちでも

何ら可笑しくはありません

 

幕末の闇は深く…

幾重にもフェイクが絡み付き

我々日本人の判断を困難にしようとします

 

そんな訳も手伝い…

本当の歴史を知ら無い日本人が

余りにも多過ぎる結果となったのでしょうか

 

逆に あの「カミカゼ」を尊敬して止まない

海外の人々は

そのことについて深い憂いを持って下さいます

 

悲しいかな 最早…

戦前と戦後の日本人は

全く別の民族なのでしょうか

 

否 そうではありません

 

我々日本人は もう一度

心の眼を開かなくては…

 

そんなことを想う 初冬の昼下がりです

 

 

 

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                  幕末に於ける

                  人の道理と言う浪漫について

                                     想いを馳せる とき…