軽井沢浪漫…街の彩と塩沢湖畔に於ける木洩れ陽に想う
軽井沢を文字に綴ろうにも
その試みは困難を極め
簡単に扉を開いてはくれない
少なくとも私にはその様である
色で表そうと想っても
人も建物もそして自然も
その境目がはっきりしないほどに
あらゆるものたちが
絶妙に融合していると言わざるを得ない
それ自体の色が余りにも高度で
答えが出て来ない
然も見つけることさえ叶わない
彩についてもしかり
決まった加減など何処にも無い
人が関わることの出来るものに
限ったとしても
この地に関わった各人の
想い入れの歴史が
其処彼処 至るところに溢れており
軽井沢の持つ独自の色を語れば
それが一度塗りでは無く何度も
重ね塗りをしたり
下地から全て消し去って結局は
塗り直したり
色を微妙に調合し続け没頭する余り
その色合いを醸し出すのに
どうしたのかを忘れてしまい
また塗り直す
だから
此処軽井沢はその独特の色を彩を
他に漏らすことが無い
織り成す色が余りに深遠で
他に漏れることも無い
自らも再現することの叶わない
最早 手の届かない色だからである
街並みから外れ
少し足を踏み入れれば
自分よりか先輩の木々たちが
そして多くの記憶を持つ土たちが
よく来たねと話し掛けてくれる
それはまるで親愛なる
子どもか孫にでも寄り添う様に
軽井沢の歴史をずっと観て来た
自分たちの物語を
吐息に変えて囁き続ける
彼ら彼女らは間違い無く
この街並みよりも先輩なのである
だからこそ暖かく
人と街を見守ってくれている
軽井沢の歴史は
その街並みの歴史などと
微笑ましい勘違いはしないで欲しい
増してや文化の歴史などと
的外れなことは言わないだろう
このことについては
簡単には済ませたく無いものだから
ついつい拘ってしまう
数多の木々や草花
それを終の棲家とする生き物たち
水 空気 色 それに音…
それらの絶妙なマッチングが
奇跡の如く訪れ そして出逢い 融合し
誰にも真似の出来無い
軽井沢と言う
それ自体が風物詩となり得る
素敵なものが生まれた
この夢見心地な微睡みの中
塩沢湖まで足を延ばすとしよう…
今年十八になった娘が
未だ降りて来てくれる前に
妻と行ったペイネの美術館にも
湖畔の道を歩いて行きたい
子どもが生まれたなら一緒に
絵皿を買いに来ようと約束をしたが
結局は愛娘抜きとなってしまう様で
何気に可笑しい
塩沢湖畔は何時も憂いを帯び
大正 昭和前半に於ける
ノスタルジックな雰囲気を
然も全体に醸し出している
近頃 木立の中を歩くなどは
とても特別なこと
わざわざ何処かに出掛けて行って
そんな風な場所を探したり選んだり…
林業と言う掛け替えの無いものを
飽くまで商業ベースに乗せ
衰退させてしまった今の日本に於いては
かつて普通に存在した
雑木林や赤松林 竹林など
何処を見渡しても
探すことさえ容易では無い
二十数年前 私は
軽井沢の街並みを初めて訪れ
塩沢湖畔の憂いを帯びた姿に
惹かれ そして焦がれた…
風光明媚と言えばそれまでだが
湖畔と木立の佇まいが何とも絶妙で
其処には儚さと
憂いを帯びた浪漫がある
中でも陽が降り注ぐ時などは
木々の間から射し込む光が清涼で
清き天上のものの伝言を
まるで大いなる地上のものへ
届けんとしているかの様でもある
木洩れ陽は飽くまで柔らかく
あたかも湖面を清楚な絹で包むかの如く
微かにこの目を潤ませる
彼処に見えるのは
ペイネの像と茶色い館
ほんの少しだけ
湖畔の道を歩いてみたい…
あなたの色が 深すぎて
儚き憂いに この身は焦がる
森の教会 木立に惑う
何処か切ない 塩沢の湖畔
初秋の長月 浅間の里に…
彼女はもうすぐ 親もとを離れる
そして私は勿論 愛娘の為に
ペイネの皿を 買って帰る…
軽井沢浪漫紀行 哀愁の塩沢湖畔 より…