昭和三十ハ年 一年生の私が探し続けた本…
筆者三歳
私は 昭和三十一年に
東北地方の小さな町に生まれた
両親は 父親の職場に近い借家から
私が二歳のときに
昭和ノスタルジーの代名詞とも言える
木造一戸建ての町営住宅に引越しをした
そこには里山や小高い丘
清涼なる水が流れる幾つもの小川
なだらかな斜面には果樹畑や桑畑が
それに田んぼは農閑期ともなると
一面に草花が咲き乱れる別天地の様
家の前には手入れの行き届いた
赤松や様々な広葉樹が閑散と佇む雑木林
四季の移ろいを実感するのに
これほど恵まれたところは無かった…
田舎なので家から小学校までは
一キロ半ほどあり
低学年の頃は中々時間も要したし
幼さも手伝い飽きることも度々だった
私が通える小学校は二つあって
学区からすれば一キロほど離れた
私好みの 山裾にある小学校の筈だったが
家のある地域のそれ迄の慣習で
一キロ半離れた方へと通う様になった
何れにしても木造の校舎ではあったが…
昭和の木造校舎
前置きが長くなってしまった様だ
小学校に入って間も無く
私は何の縁あってか 一冊の本を探し始めた
きっかけは 心揺さぶる
ある歴史上の有名人を知りたいと言う想い
ただ一つ…
当時は今とは違い
色々な場所になど 図書館は無かった
必然 一年生の私は
小学校の学校図書室で探した
だが その本は幾ら探しても無い
然し 唯一
先生に尋ねることだけは
どうしても嫌だった
無いと言われた時に
残念で仕方がない様な気がして
聞くことが出来なかった
私は毎日学校図書室に出向き探した
当り前だが
誰にもその想いを
打ち明けてなど居なかった
そのせいもあり
先生も皆んなも
奇妙キテレツな目で
こちらを見る事が多くなっていた
私が探している本は「偉人伝」であった
秘めた想いを胸に
それから小学校ニ年迄の約一年近く
無い本を そして恐らくは…
絶対に無いであろう図書室で探した
ただ黙々と…
そしてこの頑固者にも
ようやく諦める日が来る
だが ただでは諦めたく無かった
そして探していた偉人に似た名前の
「偉人伝」を借りた
本は「石川啄木」の伝記であった…
啄木 像
図書室顧問の女の先生に
大笑いをされた
「 未だ この本は貴方には無理ですよ
なんで 石川啄木を借りようと思ったの
こんな難しい本 どうしても借りるの ?」
こちらからすれば
余計なお世話である
「借りる」とだけ言ったら
何か想うところがあった様である
貸してくれた…
今となっては
その本の事よりも
毎日 図書室に行っていた事
あの芳しい香りのする
木造の校舎 そして木製の本棚
沢山の本たちの
あの独特な凛とした鼻感覚と空気感
私を心配しながら
優しく たしなめてくれた女の先生
何かを感じ
私の意向を尊重してくれた
ひとりの女性
それら諸々の事ばかりが
記憶にこだまする…
今更ながら 私は
日本人に生まれて来て良かったと想う
未だ戦前の名残りだらけの
田舎の木造の 日本の小学校に通えて
本当に幸福だったと しみじみ想う…
誰が見ていなくとも
神様は 何時も見ていてくれたし
お陰で どんな時にも
自分に嘘を付かなくて済んだ
素直にそう 想う…
いやはや 危ない危ない…
うっかり言い忘れるところで あった
私が 諦めずに探していた
心揺さぶる偉人とは 一体
そして その伝記とは…
実は「石川五右衛門」の伝記であった
まさに そうだった…
因みに この本には
あれから 50年以上もの時を経て
今迄一度も お目に掛かってはいない…
昭和ノスタルジー
小学校の図書室での浪漫 より…
石川五右衛門 画