倭(やまと)の浪漫よ…ノスタルジーこの美しい湖は 北信濃 野尻湖に想う
人との出逢いは 忘れ難く
時として 心の旅路と成り得る程に 魂に染み渡り
何にも代え難き 終の宝物となる様にも想える
そして その忘れ難き人との出逢いには必ずや
自然や周りの風物詩が織り成す 情景のキャンバスやら
様々な気質の 多様な光やらエネルギーやら
風の通る音や鳥の声 更には虫の羽音などさえも
それらはまるで 自然界のバックグラウンドミュージッ
クが 存在しているかの様でもある…
忘れ難き人々と共に これらの演出も
我々の人生にとって 心の糧となっている様にも想えて
仕方が無い
長野県の北信濃に 北信五岳と言う 明媚で洒落た山々
がある
北アルプスのすぐ側に在ると言うのに
その存在は些かも 見劣りすることは無い
北信濃に於いては それぞれが交わること無く 自らを
主張し合う
多様な個性を持つ 幾つもの古(いにしえ)の里があり
これらが一体となる時に
他所では見ることの出来無い 或る意味一風わった
独特の魅力を 醸し出すのだと想う
北信の山々に囲まれた紅一点 野尻湖について
私が初めて訪れた時の 徐々に沸き立つ不思議な驚きと
湖畔に佇んで… 自分が今 何時の時代に生き
そして一体何処にいるのだろうと…
想わず模索してしまった あの異様な嬉しさと
微睡んでしまった あの可笑しさを
溢るる想いを込めつつ皆様に お届けしたいと想う
会津に向かって
そして そこから一路 遥か新潟市へと…
新潟からは更に北陸自動車道へと 簡単なアクセスで
あるが
二十数年も 前のこと
一路西方へ…
それは高速無しの 仲々覚悟の要る道のりであったと
記憶する
そこから 北国街道(ほっこくかいどう)を 長野市方面
へと向かう…
右手には 何処に行っても余り見掛け無い程の大きな
山並みが…
何れも標高 が2,400m級の山塊である頸城(くびき)
アルプスが 目を惹く
加賀の白山を除けば 中部日本以外でこんなに高い
山たちは 誰も居無い…
も ざっと標高2,000弱
これは愉快だ 皆美しい 胸が 踊るばかり…
黒姫山を過ぎて直後…
長野市に向かい左手に 何か記念館を見付ける
余り目立たないのだが 小林一茶の生家である
或る意味 精力的な生涯を送った彼の実像とは裏腹に
それは 私の中の勝手な妄想なのか はたまた願望なのだ
ろうか…
私の内に於ける一茶は 儚き薄幸の人である
家族との縁が薄く 心さすらう浮き草の様なイメージ
が…
如何にしても 払拭出来無い
当時はナビなど無く 必然に地図を広げる
近くに 湖がある筈だ
一茶の観ていた湖 それに畔とは 如何なるものなのか…
大層気になったことを 覚えている
一茶の生家から左に入ると 其処は斑尾山(まだらお
さん)の麓である
そして 湖が見えて来る…
かなり広いと言うよりも 程よく広いイメージであり
早速 湖岸に 車を走らせてみた
そして 段々と嬉しくなって来る
今迄観た どの湖とも 何処か趣きが違う
湖岸を走りながら その雰囲気に慣れて来ると
趣きが 何処か違うと言うよりも まるで違うと想えて
来る
手付かずの自然が 溢れていて
更に 湖畔が足元まで迫り その造形美が何とも
洒落た雰囲気を 醸し出す……
波が能動的な音を携えながら今 目前に寄せる
湖岸も自然に 整っている
この湖畔に携わった人々と 土地の神々とが織り成す
この清涼なるイメージを 何と表現したら良いのだろ
うか
軽井沢にある塩沢湖を 何処迄も広げた様な そんな感じ
である
関東 東北 北海道の何処にも無い
和風でも無く 洋風でも無い
洋風でもあり 和風でもある
然も 全体としての雰囲気は 純倭風(じゅんわふう)
と強く想える
当時は 上手く 言えなかった…
しかし今なら 適当な言葉を知っている
勿論 良い表現も 知っている
大正期の景色の その中にあり
ノスタルジックで然も 皆を惑わせる
その小々波は まるで 吐息の様
浪漫チックで 洒落た雰囲気 …
野尻湖 素敵だなあ…
大正浪漫にこの身を委ね
何処に居るのか暫し忘る
あれは弥生の 野尻湖讃歌…