ひとの想いとは…妹よ今何してる 逢いたいね
旧 広島県産業奨励館と灯籠
私がずっと紡いで行きたいテーマのひとつに
「 人の想い 」と言うものがあります
そして その「 想い 」と言う
何処迄も続くエネルギーは
甚だ大きなものであり
更に言えば 全てを具現化する根本…
この時空の中での 何よりも大いなるものと
想っております
堅い話で甚だ恐縮ですが 量子力学的に
説明しても
人ひとりがその一点に本気を出せば
地球七個分が跡形もなく吹き飛んでしまう
究極的にはそう言われております
些か現実的なものの見方をしてみましたが
これは真実であり
決して大袈裟に言っている訳ではありません
話を戻させて頂きます
人の想いは誰にも
そして何ものにも 決して束縛されることは無く
未来永劫 生き続けると言うこと…
そして そのことを踏まえた時
我々日本人は先の大戦に於いて
これでもかと言う程の理不尽且つ
悔しく悲しい経験を
敗戦後に於いても
強いられて来たと言う
紛れも無い事実があります
核と言うものが拡散してしまった
この現実の中…
先の世を鑑みた時に
この「 想い 」と言う大いなるものを
優しい波動として
そして毅然とした強さのある波動として
この日本と言う国から発信して行く以外に
最早 本当の意味での手立ては無い
そう想わざるを得ない 早春の如月であります
「 妹よ 今なにしてる 逢いたいね… 」
私の内の 亡き母親からの伝言
の意味も含めまして
これから先もずっと紡いで行きたいと
想っております
平和であることの大切さを
よりしっかりと自分自身に問うためにも
毎年 八月六日と九日の両日は終日…
広島の人々 長崎の人々が
幸多からんことに対して微力ながら
想いを馳せ
また双方の皆様が
息災であられることに深き願いを込め…
これからの日本に そして未来の世の中に
慈愛溢るる波動を当たり前のこととして
順送りにして行かなければならない
その様に想っております
私の願いは平和な世の中です
戦争はどんな事が有ろうとも
絶対にしてはなら無い
その想いは未来永劫 変わることはありません
何故戦争をするのかを
尋ねられたとしたならば
皆を納得させる説明が出来る者など
誰ひとりとして
この世に存在しないでありましょう
その訳は 人々の為とか世の中の為になどと言う
ごくありふれた愛が
何処にも存在しないからです
これは理屈でも理想論でも無く真実なのです
皆んなが生まれ
そして愛し愛されて育んだ
想いと言うものを
決して無為に断ち切ってはなら無い
そう想うのです
今一度 考えてみて下さい…
毎年夏になると 何とも切ない想いに駆られます
日本人にとって忘れられない あの日々が
やって来るからです
そう 八月六日と八月九日…
私は本当の歴史を知るのが とても好きな反面
逆に嘘の歴史を聞いても時間の無駄だと
人一倍強く想ってもおります
何故ならば 其処には真実が無いからです
ですから 至極当たり前に
人々の想いも何も其処には無いのです
歴史とは人の人々の心の歴史だと
私は考えております
其れが真実であるならば
人々が真剣に生きた証としての趣があり
味わいがある様に想います
共感も出来ることでしょう…
そういう事ではないでしょうか
今から三十年ほど前に
亡き母が一心に 私に教えてくれた話が
ありました
母は目が不自由で 其の時は既に
文字を見るのが相当に辛かった様です
母が完全に失明する
ほんの少し前のことだったと記憶します
眼鏡と虫眼鏡を駆使しながら
新聞記事を時間を掛けて丁寧に読み終えて
それから ゆっくりと噛みしめる様に
話し始めました
健気な大正 昭和の乙女たちよ… 私たち日本人は貴女たちのことを 決して 忘れ無い
終戦の年 昭和二十年…
其の頃の広島はと言うよりは
広島もそうであったと言えましょう
貧しさから来る子託しがあった様です
裕福そうなお宅の前とか庭などに
子供を見付けて貰える様に託した時節が
ありました
悲しいかな そう言う時代が確かに
あったのです
其の家には兄と妹がおりました
勿論 本当の兄妹として育てられましたが
妹が年頃になり親としても
伝えなければと決め
我が娘に本当の事を伝えました
元より兄を慕っていた事もあり
妹は大層 喜びました
余程 嬉しかったのでしょう…
其の朝 兄は工場勤務の夜勤明けでした
妹の募る想いを知っていた母親は何故か…
彼女に胸の内を尋ね
兄への想いを理解するのでした
そして それ程に兄を好きならばと
一緒になる事を許したのです
喜んだ妹は 大好きな兄を迎えに行くと言って
兄の勤務先へ向かう 其の道すがら…
昭和二十年八月六日朝
妹は帰って来ませんでした
迎えにやるんじゃなかったと
母親は悔やみました
あの日から 我が子として愛おしんだ可愛い娘は
忘れ難き記憶を残し
何も告げずに天に 帰って行ったのです
母の深き悲しみは 消えず…
広島平和記念館にて
その記事は 数十年後の兄の回想でありました
そして最後に こんな事が書かれてありました
「 本当に可哀想な事をした
もしも あの妹が生きていたならば
自分はあの人と結婚をしていた 」
そう結んでありました…
私に この記事を 誠心誠意伝えてくれた
私の母親は その時…
もう直ぐ 閉じようとしている
五感としての 自らの目の最期の力で
若く至らない私に…
この話を 贈ってくれた様な気がして
なりません
殆ど見えていない その眼からは
ほんの少しだけ 涙が流れておりました…
妹さんの ご冥福を
心より お祈り申し上げたいと 想います…
ひとの想いを断ち切ろうとしても
そんなことは出来はしない
何故なら 我々日本人には
ひとの幸せを願うだけの
限りなき魂の浪漫がある…
広島の春 美しい… 人々に 幸あれ
そして 長崎の鐘が鳴る…