我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、日本人として 何とかしなければと想います。武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが降りて来てくれました。その天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を未来へ紡ぐ。

夢路に辿るは里の家路…五歳の少年の目に映ったもの

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空気が躍動し光り輝いていた 昭和と言う時代

 

その中でも特に希望に満ち溢れ 互いが当たり前に支え

合った 三十年代の最中…

 

然も皆んなが 大東亜戦争の悲しみを乗り越え

前だけを見て 振り返ること無く歩いていた 束の間の

とき

 

だからこそ 不便な中にも今尚 忘れ難き時代…

 

私が五歳の時の話を してみたいと想います

 

田舎っ子の私が 幼稚園に通い出す少し前…

することと言えば 遊ぶこと

友がきとの約束が無ければ必然 暇を持て余す毎日…

 

その日は遊び相手も無く 自宅でテレビを見てながら

只々のんびりして おりました

 

その頃 自宅のテレビは真新しく 一般的な普及型の

ビクター足付き白黒テレビで 

 

瀬戸物の犬が 上にチョコンと 乗っかっているのが

当時の流行りでも ありました

 

カラーテレビなど未だ未だ先の 遥か夢物語の時代…

括りで考えれば矢張り 昔としか言い様の無い時節だっ

たのだと 想います

 

 

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小さな私は何気も無く テレビを流し見していましたが

画面越しの日本兵たちが 何故か合唱している姿を不思

議に想い

 

放映されている映画に 興味津々

気付けばその内容が面白く 凝視しておりました 

 

自身の幼少期を考えてみても

四、五歳ともなれば既に 考えることは一人前だった様

な 気がします

 

映画の粗筋は勿論のこと 伝えたいことも朧げながら

理解出来た様に 記憶しております

 

この映画にはリバイバル作品があり 名優の中井貴一

さんが 主演をなさいました

 

皆さんが周知の通り 中井さんの演技が余りに印象深く

 

ややもすれば 原作と肩を並べてしまった様な 忘れ難

きイメージも あります

 

しかし 五歳の私が見た白黒映画は紛れも無く…

安井昌二さん演じる 水島上等兵でした

 

 おーい水島  一緒に  日本に帰ろう…

 

 

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昭和三十七年の早春… 

 

阿武隈川の川西にある プロテスタント教会の幼稚園に

近所の同級生 博之くんと通うことが突然に 決定します

 

私も 博之くん(ひろちゃん)も共に 遊び三昧のパラ

ダイスからの脱却を余儀無くされた訳で

 

二人で「 あゝ 行きたくねぇ… 」などと ぼやいたこと

も ありました

可笑しくも 何と 懐かしいことか…

 

面倒臭いのと自由が無くなるのとで 二人で憮然として

もおりました

 

同時の田舎のこと 学校に隣接する幼稚園や保育園は

勿論のこと

 

季節幼稚園や季節保育園さえも 何処にも存在しない様

な時代

 

川西の長岡郷の教会が 四歳と五歳児を対象に 幼稚園

を開園したからでした

 

入園が決まって通園を待つだけの毎日

散々遊んで家に居た午後のひととき のことでした

母親の幼馴染みが 小学生の娘を連れて遊びに来ました

 

私は面倒臭いので 挨拶も漫ろに テレビを何気に観て

おりました

 

 

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それは 我が家に白黒テレビが来てくれて およそ一年

位経った頃の ことでした

とある映画が テレビから流れていました

 

曜日ともなると流石に 覚えてはいませんが

見ていた時間帯は 午後の三時前後だったと記憶して

おります

 

未だ小さな子どもの私は 物珍さも手伝い それを只

じっと 見ていました

 

画面に出で来る日本兵たちが 大勢で歌を歌っている

場面や

 

想い詰めた様な 哀しげな表情の僧侶が

竪琴を持ち歩き 奏でる姿など かなりしっかりと認識

出来ていた記憶が あります

 

そんな中 主演男優を見ていた母が 想い出す様に話し

始めました

 

 

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その頃三十になったか否かの母が 終戦の年 未だ十四

の時

 

昭和二十年七月二十八日  母の長兄 光彌がビルマ

戦死したこと…

上等兵であったこと  そして未だ 二十二歳であったこ

と…

 

そして 主演男優がその兄に 顔がそっくりなことを 私

に語り掛けて来ました

 

母の生家にしょっ中 遊びに行っていた私は

光彌 叔父の遺影は 物心付いてより ずっと見ており

写真越しではあれ 顔を知っていましたので

 

母がその様に言う訳は 十分に理解出来ましたし また

納得も出来ました

本当にそっくりだったと 想います…

 

この映画は「ビルマの竪琴」で 日本兵たちが劇中で歌

う楽曲は「旅愁」という曲でした

 

昭和三十年代半ばの 未だ五歳の それも田舎の男児

なので

 

合唱曲を聴いても馴染みが無く 余りピンと来ないのか

と思いきや そうでもありませんでした

 

 

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分からないなりに 心は揺さぶられました

 

こんな曲を聴けば 日本人であれば尚更のこと

遥か異国の地で亡くなり 終ぞ帰らなかった愛しき人を

想い出さざるを得なく なってしまうでしょうに…

 

今になって想う事は

戦後僅か十五年程の時期 戦中派の人々にとっては つい

この間の事を

 

忘れようとして やっと忘れ掛けていた記憶を無理矢理

呼び起こされる様な

 

未だ未だそんな時期 だったのかも知れません

 

 

帰って来れなかった魂も それを永遠に待ち続けた人も

 

夢路に辿るは 里の家路…

 

 

 

            果敢に戦い 結果  闘いに敗れはしたが

            亜細亜の解放と言う 人としての目的を果たした

                      浪漫溢るる勝者 日本人たちの物語 より…

 

 

 

 

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