昔日のあんずの里に想いを馳せ 縄文の世を散策す…
もう 大分前のこと
二十年以上になるだろうか…
緩やかで穏やかな斜面 あんずの里
この見晴らしの良い畑作地帯を
数日掛けて散策したことがあった
勿論 この辺りに
宿泊施設が今ほど多くは無い時代
やっと取れた宿に三連泊をし
色々な時間帯 また条件下での
この地の気質を味わってみたいと言う
予てからの希望を実現させた
あんずの里とは
現在の長野県千曲市…
日本的素養染み渡る信濃平野の
真っ只中にあたる
四月末から五月初めに掛け 私は
珠玉の景観を誇る しなの鉄道の沿線
屋代駅すぐ近くに宿をとった
新緑の節 駅近くの里山は一斉に目覚め
辺り一面 黄緑色に染まる山々は躍動感溢れ
生命の息吹をふんだんに感じ取ることの出来る
その佇まいは
柔らかな日本情緒溢れるものだった
果樹畑が広がり あんずの丘あり
里山の彩柔らかで 然も濃淡が一様では無い
変化に富んだその色合いが全体の黄緑色の
美しさに止まらず
目にとても眩しかった
それ等 明媚な情景に…
私の気持ちは相当に高揚したものである
あんずの里と言えば
更埴を思い描いてしまいがちだが
それは飽くまで村興しの程度の強弱であって
どの地域が主たる杏の所縁と言う訳では
決して無い様に想える
春うららかな節
信濃の里に数日間滞在していると
信濃と言う地域全体の
全てになだらかな加減が心地良く
日本的情緒をどうしても拭いきれない瞬間が
余りにも多い
そして 信濃平野全体を捉えてあんずの里と
呼ぶことこそが
本来 的を得ている様に想える
そもそも 私がこの地に興味を抱いた訳は…
出雲の国 大和の国 出羽の国などとともに
信濃の国は
古き良き日本の原風景を
多様に感じることの出来る処だと言うことに尽きる
飽くまで 私なりの感覚ではあるが
その様に想っている…
然も 日本昔話どころか
相当に古い日本の ありのままの姿を想像するに
難くない
実際に その実像が見て取れる…
寒暖厳しき四季の移ろいや
春の訪れに見る 心弾ける様な
それでいて厳冬の激しさ尾を引き
その分までも強く染み入る様な 喜びの全ても
日本人が内に温める
皆が幸せになり 初めて感じる喜びさえも
さしずめ 今始まったことでは無い様に想える
そして 私がこの地を訪れた最たる訳が
いみじくも ここにある
この地に暮らす人々の内面までもが
目の前に広がる春の心和む情景の様に
穏やかであることを期し
その姿を 一見したかった…
かつての姨捨伝説の真意が
日本人的人間愛そのものであったことへの
私の弛まぬ 拘りなのである…
遥か昔 この地には
大いなる縄文の息吹があった
それは黎明期よりの 本当の日本である
見渡せば 至る処に磐座があり
端正な形は縄文の時節そのままに
自然の山々に紛れた数多のピラミッドがある
悠久のときを経ても尚
深い緑に覆われてしまってはいるが
しっかりと見て取ることの出来るその存在は
悠久の縄文のとき
大いなるエネルギー循環供給システムが
確かに存在していたことを物語る
然しコストのかからないシステムには
今となっては敷居の高い 或る条件があった
それは 人々の精神性の高さである…
言い換えれば 神々とともに生きること
そして宇宙的生き方を貫くと言う覚悟に他ならない
今では文化人類学からも宇宙哲学の面からも
様々な情報が得られる時代となり
神々とともに生きるとは如何なることなのか
意識するとしないとに拘らず
過去の世に於いて 誰が
宇宙的な生き方をしていたのか
そして その結果はどうだったのか…
自分の生き方次第では結論に近づき
そして辿り着ける様に
神々が標を付けて下さる世の中に なりつつ
ある様だ
その意味に於いて
今の時節に生を受けたと言うことについての
悠々たる想いは 尽きない…
本当の日本は何処に…
私たち日本人は その答えに辿り着く為に
そろそろ 浪漫散策へと踏み出すべきとき
ではないだろうか…