浜辺の歌と椰子の実 波打ち際の情景に寄せて…
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
日本の國の唱歌…
此の國の宝物は 何と
清涼で素敵なことか…
幾多の無償の愛に身を委ねた
あの日 幼子の…
掛け替えのない安堵な日々は
心に焼き付き 色褪せることは無い
然も 此の國の情景の
何と穏やかに 美しく気高きことよ
清潔で信頼に値する風土よ…
ひと口に四季と言うけれど
其の多様な色と彩について
例うべきものは
最早 此の世の何処にあるのやら…
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
思いやる 八重の汐汐
いずれの日にか 國に帰らむ…
平成二十九年四月二十五日
朝七時台 某刻…
ANA仙台発伊丹行きに搭乗
大阪 奈良 京都での所用に向かう
離陸 右旋回しながらの上昇
遥か眼下には太平洋とその海岸線が
霞むこと無く鮮明に広がり
其の様 甚だ明媚である
年甲斐も無く心の内に
不可解とも想えるほどの
妙な高鳴りを覚えてしまうのは
かつての もののふ
戦闘機乗りの若者たちへの
餞(はなむ)けと感謝の念であろうか…
眼下には躍動感溢れ延々と続く
美しくも神秘に満ちた広大なる敷島が
穏やかで清涼なる姿を露わにする
私が愛して止まない此の国は矢張り
何処までも粛々と然も穏やかである
霊峰富士
同時に…
幼き頃から耳に優しい
ふたつの唱歌の音色が
何とも唐突に意識を過(よ)ぎる
明治 大正 昭和の日本人たちが愛した
数多ある 清楚且つ純粋なる楽曲や
唱歌の中でも
日本の浜辺に於ける情景を…
作者自らが自然と向きあい
其のときの真っ新な心情を綴ったと思しき
唱歌「 浜辺の歌 」と「 椰子の実 」…
此の二つの楽曲について
述べてみたく想う
我が国初の「 子どもの為の楽曲 」
を主題に
西條八十の詩を旋律に乗せ
創作された 童謡「 かなりや 」
此の楽曲の作曲者
若き“ 二十三歳 ”の成田為三が
漢文学者 林古渓が書いた詩「 はまべ 」に
曲を付け
大正五年「 浜辺の歌 」が生まれた…
人々が心の内に憩う
自らが愛おしむ優しげな記憶は
余りに忠実な情景描写ゆえか
叙情的であり叙事的でもある其の歌詞に
触れるとき
甚だ鮮明に呼び起こされる
勿論 歌詞は言うに及ばず…
楽曲の持つ芸術性は
歌曲と言っても過言では無いほどのもの…
そして 前述の「 浜辺の歌 」同様
其の情緒溢るる旋律も去ることながら
韻を踏んだ感傷的な詩が
耳に付いて離れない
「 椰子の実 」…
明治三十一年
後に 我が国に於ける
民俗学の魁となって行く
若き “ 二十三歳 ” の 柳田國男が
伊良湖岬にひと月半ほど滞在した折
浜辺に流れ着いた椰子の実を見付けた
其のときの忘れ難き体験を温め…
溢るる想いを込めつつ
友である島崎藤村に話したところ
友は柳田の話を基に創作
美しくも儚き 或る叙情詩が生まれた
詩は 明治三十四年八月に刊行された詩集
「 落梅集 」に収録されることとなる…
波打ち際と言うものを想うときに
単なる自然の中の現象では無く
私には 極めて特別なものに想えて来る
満つるときの其れなどは最早
何に 例うべきか…
恐らく其処には
磁場と言うものは存在しない
其の意味とは…
様々な世や次元の境界が無くなり
また 緩くもなり
時空を超えた人々の想い解き放たれ
往き来が自由なほどの処にて
凡ゆる境界の存在しない場所と
言えるのかも知れない
だからこそ其の場所は…
遠い過去も未来も
飾ること無く全ての理を知り尽くす
そして芸術のひとつの完成形とも言ふべき
時空を超えた…
真実への扉なのかも知れない
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星のかげも…
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐汐
いずれの日にか 國に帰らむ…