里見公園 若き日の我を 愛おしむ
当ブログへの既投稿記事
「 国府台… 若き日の私の浪漫 」に
ほんの僅かに目線を変えた
溢れる心情のリメイクを施してみました
若き私が過ごした
国府台 そして矢切への讃歌
「 里見公園 若き日の我を 愛おしむ 」
ご一緒に 歩を進めてみてください…
昭和五十年代初め
街場に近い丘陵地に住んだ
住まいの直ぐ近くには
今よりも緑が鬱蒼とした公園があった
公園一帯は…
折り重なる歴史の重さと
四季折々に咲き誇る 花々の可憐さとが
さり気なく折り合いを付けながら
人々のこころを和ませた
そして 私は…
そんな公園の彩に魅せられた
丘陵地と里見公園は
滝沢馬琴が命を賭して書き上げた
壮大なる物語「 南総里見八犬伝 」の舞台
然も真下には
河岸路 越しに「 矢切の渡し 」が
ひっそりと…
若き政夫と民子の
儚き今生の別れの場となった
「 矢切の渡し 」…
染み入る様な
切なく甘酸っぱい余韻を残す
夏目漱石が絶賛した
「 野菊の墓 」…
下矢切に佇む文学碑には
若き二人の遣る瀬ない想いが
朧気に刻み付けられているのか…
里見公園から下矢切までの散策路を
今では…
「 文学ロード 」と呼ぶらしい
若き私が 焦がれて止まない
遠く儚い あの情景は
何と 素敵だったことか…
平成二十八年 十一月の半ば…
日の入り早い節ではあるが
昔日 世話を掛けた土地柄の風景を
探しながら また味わいながら
出来るだけ ゆったりと歩いてみたかった
十代で上京した折
国府台の地に住んだこともあり
私にとっては何かと思い入れが深い
然し若さゆえか
日々の楽しさに心奪われ
軽薄にも…
自らの住むこの地に溶け込み
味わい深く接することも無かった
見るべきものを疎かにしてしまった
其の想いが 存外沢山残っている
多様に出てはいるが
私は 国府台の丘陵地を
徒歩でゆっくりと
そしてゆったりと歩いてみたかった
京成線市川真間駅を横目に
閑静な住宅街に差し掛かる
万葉にも描かれる
今では典型的な都市河川
古(いにしえ)の真間川を渡れば
前方丘陵地の高台手前側に在り
其の参道が 市川駅付近から
真っ直ぐに伸びている
幅も高さも大層大柄で
角度のある真間山への階段を登り
振り返ると…
遠くから まるで
延々と続く様な参拝道を
驚きを以って
充分に実感することが出来る
階段を登り切り 辺りを見渡せば
清潔に掃除の行き届いた境内が心地良く
日本人の持つ有形無形の美意識の高さを
今更ながら思い知らされる
木漏れ日の中…
ノスタルジックな建物の目立つ
木立ち多い落ち着いた雰囲気の
四年制大学が…
キャンパスを通り抜け
此の辺りの幹線道路
松戸市川(まつどいちかわ)街道に出る
直ぐ目の前には センスの良い
然も周りの景観を圧倒するほどの
大柄なタワーが現れ
其の出で立ちとモダンな佇まいには
随分と驚かされる
歴史のある女子大学である…
当時の旧校舎もそのままに
新旧が融合している様(さま)には
建物が持する「 時の物語を紡ぐ 」
と言う役割の意味を
改めて垣間見ることが出来た
松戸市川街道を公園に向かいながら
暫し歩道を歩く…
歩道が良く整備されており
周りの景観を眺めながらゆったりと
歩くことが苦にならない
進行方向右手の道路東側には
当時 国立国府台病院だった建物が…
戦前の落ち着いた雰囲気の
あの凛とした佇まいの浪漫な建物は
既に無く
美しく機能的な建造物に
とうに様変わりをしていた
四十年も経てば 今の時代
至極当たり前なことではあろうが…
幹線道路より側道に入り
真っ直ぐに公園へ向かい歩いて行く
桜の木々が年を重ね
しっかりと歳を重ね
あの若かった木立ちをも
懐かしむ気持ちにさえなってしまう
あと数年経ったなら この場所には
たっぷりとして見事な
桜並木の回廊が現れ
目を癒し心に寄り添い
生命の伊吹とともに
人々を和ませてくれることだろう…
追っ付け里見公園に着く…
此の地は 滝沢馬琴が命を賭して
綴り終えた
大作「南総里見八犬伝」の舞台である
此の 公園には…
一見した大きさでは語ることの出来ない
何とも不思議で深遠なる奥行きがある
周知の通り
南総里見氏が治世をしていた
ひっそりと閑静な
その佇まいとは裏腹に
大東亜戦争当時には
日本軍の軍事施設が
この辺り一帯に存在したと言う側面もある
これら幾重にも過(よ)ぎる
惜別の歴史を
其の時々 此の地に暮らした魂たちが
恰も自らの心の歴史を
他に漏らすこと無く温めるかの様に
普段 其の所謂(いわれ)を
前面に出すことは無い
然し 花壇と噴水の広場から なだらかに
登り行けば
至るところに整然と積み上げられた
石垣があり
此の地が飽くまで城址であることに
気付かされる
此の場所に暫し寛(くつろ)ぎ
感ずる雰囲気はと言えば…
予てより そうであったが
二人で訪れても
家族で連れ立っても
勿論 一人で時を刻むにしても…
何ら違和感無く
其々の想いに寄り添える様な
奥行きのある清涼な雰囲気に
満ち溢れている
南総里見氏が治世した古のとき…
其の空気の流れが
恐らくは淀み無く
心穏やかなる地であったことが偲ばれる
そして悠久のこの地に遥か想いを
馳せながらしっかりと
地面を踏み締めて歩いた
江戸川の対岸には東京の下町が広がる
高さ六百数十メートルの
直ぐそこに 佇んでいる
かつて四十年前には
想像すら出来なかった 遥か未来図が
今 目の前に広がっている…
様々な情景が 矢継ぎ早に…
私の中の ときが流れる
木々の中 まったりと高台を降り
薔薇園を眺めながら心穏やかになる
此のベンチに腰を下ろすとき…
本当に単純で起点の効かない自分が
可笑しくなる
何時も 或る一つのことを想い
それを見詰め
そして 目を閉じる…
四十年前 国府台の地を訪れ
そして暮らした
大好きな此の公園で
たっぷりとしたときを育んだ
上京して早々には桜の節
少し過ぎれば藤棚の花が満開だった
あの嬉しさに…
私の中の巡る想いは 何時も
穏やかな絵巻で…
最後は決まって うつら うつら
そう 決まって うつら うつら…
若い頃の様にとは言え
随分と立派になったベンチに
腰を下ろし
当時の この辺りの彼の風景を
ず~っと 想い巡らしました
胸が熱く…
桜の花の最中にいる
若き私は 夢心地で
もう直ぐ藤の花が満開になる喜びに
目を閉じ うつら うつら…
穏やかなる昔日への追憶に憩い
焦がる里見公園に在りて和み
ただ心を込め 若き日の我を 愛おしむ
そう 若き日の我を 愛おしむ…