映画少年時代に見る心の旅路 夢はつまり 想い出のあとさき…
武と進二
大東亜戦争に於ける末期
戦況の悪化に伴い
想像を絶する頻度での
米軍による本土空襲の渦の中
民間人に対する無差別殺戮の意図を
充分に 把握出来た時点で
子供たちを守るべく 学童疎開が始まった
そこには 副産物であるにも関わらず
日本人の心の奥底に
最たる記憶として 永遠に生き続ける
心の旅路が 数多(あまた)残された…
所謂 苦しい中 悲しみの中
健気に明るく 精一杯生き抜いた証が
そこには 確かにあった
人が他人を思い遣る心 絆があった…
それにしても 富山から望む立山は
何と凛々しいことか…
随分前のことだが
戦時中 未だ幼かった位の年代の人々が
感極まった映画
それと その主題歌があった
私は未だ 三十代前半で
カラオケも随分 楽しませて頂いた
当時のカラオケは
スナックなどで楽しむのが 一般的で
余り下手でも 逆に上手くとも
「白ける」と言った
所謂 一般庶民の 社交の場と化していた
今考えれば
何とつまらないこと だろうか
本末転倒 面倒臭い…
偶々 ではあるが
私は この曲を
周りよりも少しだけ 早く覚えた
偶然なのか…
嗚呼なんか
この曲 聴いたことあるっけ…
皆んなが未だ 認知し切っていない
ほんの束の間の 狭間の期間…
勿論 飲み屋さんでの 微熱唱
気付けば何と 周りの友人やら
他の客から やんやの喝采
ふと 周りを見れば
泪ぐんでる おっちゃん
感慨深げに 目を遠くしている 兄さんも
何だこりゃ であった…
瞬く間に 曲はヒットし
少し後には しごく 当たり前の様に
百年も前から 知っているかの様に
其処彼処(そこかしこ)で
誰もが 歌いまくっていた
勿論 話題にもなっていた
歌詞は魅力的過ぎる…
夏祭り 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様
目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて 星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき
今でも充分 魂に伝わり
タイムスリップするのに 事欠かない
曲の持っている使命とでも 言おうか
誰でも 男だったら尚更
祭りに行く時の あの 気持ちの高鳴り
それに 興奮…
全てが終わり ふと我に返って
夜空には満天の星達が
それは まるで 夢のよう…
何時かは 想い出となってしまう
そして 視点を変えて見る
そこにはもっと 大きなメッセージが あると想う
何時までも
少年と男との間を行き交い 揺れる
そんな彼等を優しく見詰め 包んでくれる
女性への 憧れである…
彼女達は母の様に 優しい姉の如く
そして まるで幼な子に接する祖母みたいに
優しく 包み込んでくれる
男女には本当に 役割分担があり
お互いを 認め合う事が
何より 大切なこと…
女性達に 敬意を表したい
これらは 飽くまで
私なりの感じ方に 過ぎないが…
最後になるが
映画「少年時代」のラスト
手を振らない たけし
理由について
世間では 喧々囂々 言われた
「 手を振れば
永遠の別れになってしまうから 」など
これも 至極 もっともであろう
しかし 別の観方も…
何気無い日々の中
二人の少年は 気付いていなかった
一緒が普通で
互いに裏切らないのが
当たり前だったから
進二が いざ 疎開から引き揚げる時
彼等は気付いてしまう
何にも代え難い 絆があったこと
信頼し合っていたこと
だから 機関車の窓から手を振る
進二を観つつ たけしは
手を振り返すよりも
全力で直立不動 手を挙げた
たけしは 進二に対し
信頼に値する友への 敬意を表したかった
そう あれは 敬礼だった…
二人とも いつまでも 観ていた
夢は つまり
想い出の あとさき…
人の絆の浪漫 より…
国府台から矢切に掛けての文学的浪漫と 日本人のこころ…
里見公園下の道標
松戸街道沿い一帯に広がる情景には
何故か 自らの感性ごと
引き込まれてしまう様な 妙な魅力を感じる
私にとっては そんな 表現に難い魅力に溢れ
た土地柄だった様に想う
視覚的には勿論のこと
散文から飛び出して来たかの様な
何か目には見え無いものへの焦がれなのか
私の中の心情に於いては 何時もそうだった
市川市街から なだらかな勾配を登り
国府台と上矢切 中矢切周辺を 散策する
その変化に富んだ丘陵地を満喫しながら
それらを 主なモチーフとして見たときに
遠くまで広がる 見晴らしの良さが醸し出す
彩の寂し気な 儚き情景や郷愁…
向こう側が見えそうで見えないほどに
遠く広がる畑 それに原っぱ…
ミレーの晩鐘で著名な「アンジェラスの鐘」
の如き 人の心に訴える様な 遥かな哀愁さえ漂う
手の届きそうな 小高い雑木林などは 最早
言うに及ばず
里見公園下の江戸川沿い それに
独特な雰囲気の河岸道
憂いを帯びた 対岸の遠い眺望や静けさ
都市部近郊の生活圏と 周りの自然との
入り交じる融合美が
その辺りに有りそうで おいそれとは出逢え無い
何にも例え難い 魅力に溢れている…
矢切の畑にて
この辺り一帯の情景に 更に一歩踏み込んで
想いを馳せれば
芸術的 且つ文学的な趣が 如何にしても
自らの感性を 強く刺激してしまい
然も 止むことは無い…
下矢切まで 範囲を広げて見たときに
日本人の切なる心情 と言うものについて
風物詩 そして空気感は勿論のこと
かつて 若き私が見ていた その情景を
出来るだけ 全体的に捉えながらも
細かで情緒的な部分をも 織り交ぜながら
味わおうとしたときに
大正浪漫以前の 私小説の一場面までをも
想像するに 難く無い…
明治の終わり
雑誌「ホトトギス」に発表された
あの染み渡る様な 甘ずっぱい様な
何とも言えない儚さが
日本人の優しさと もののあはれを呼び起こす
更には 自然の中の優し気なもの達からの
日本人の真心を綴ったメッセージともなる
そして その記憶は しばし 消えることが無い
野菊の墓 風景
私が 若かりし頃 上京し
そこから松戸市に向かい
上矢切 中矢切 下矢切と続くこの辺り一帯は
全体を称して 矢切と言うのだが
人々の生活圏の直ぐ側に位置していながら
自然の織り成す様々な造形や変化が多様に
存在する
元来の地形が織り成す綾 なのだろうか
嫌が上にも 想像力を掻き立てられる…
広がりのある江戸川には 桟橋があり
どこまでも浪漫チックな郷愁に 誘われる
延々と続く様な 遥かな河岸
気が付けば 向かいの東京が ひどく遠い
国府台には色々な学校があり
若者も多かった
南総里見氏所縁の 里見公園があり
老若男女が気軽に 足を運んだ
わざわざ出掛けても そこに価値を見出す人々も
多かった
そんな中 私は公園のすぐ近くに
住んでいたことも手伝い
人が少ない時などは 思い付いたら直ぐに
何時でも行くことが出来たし また好んで行った
在り来たりな言い方だが 木々が多く
そこいら中 緑一色
広葉樹が多いので 四季の移ろいも 趣深く味わ
うことが出来た
矢切方面にも時折 足を運ぶ…
明治 大正 昭和の初めの雰囲気を
彷彿させる 様々な意味に於いての彩を
味わいながら…
兎に角 余韻に浸った
当時はそれで 終わり
それが 全てだった…
矢切の渡し 渡し場付近
昨年 ひょんなことで 機会があり
この辺りを 尋ね歩くことが出来た
年甲斐も無く 嬉しくて胸が高鳴った
しかし それと同時に
何とも切なく 遣る瀬無い郷愁に
襲われたことは 紛れも無い事実である
目の前の情景がそうさせるのか
いや違う それだけではあるまい…
あの時からの 時空を超えた
私自身の想いが そうさせたのだと想う
矢切には当時 結核患者さんの為の
療養施設があり 今想えば…
空気が綺麗で 患者さんの心を癒せる様な
景色と雰囲気
それに「人を癒すのに相応しい気」が多分に
あったのだろう
そう 想える…
当時を 世相で語るとすれば
ちょうど売れ始まった時期で ラジオでよく流
ていた
特に深夜などは その儚げな曲調が似合っていた
それらは まるで
勿論 当時は 今から四十年以上も前
そんな発想など ある筈もない…
本当に風情のあるところに
住まわせて貰っていたのだと 今更ながら
深き感慨に 浸らざるを得なかった…
国府台城跡の里見公園が
松戸寄りの 下矢切は…
於ける
政夫と民子の別れの舞台
矢張り この一帯は 文学所縁の土地柄なのであろうか
政夫と民子はここ 「矢切の渡し」で
今生の別れとなる…
あの夏目漱石が 絶賛したと言う
「野菊の墓」
左千夫にとっては
小説としての 処女作でもあった
何気に…
政夫と民子は 今は共に
幸せなのかも 知れない…
国府台と矢切 その文学的浪漫に見る
日本人のこころ より…
古事記と日本の神話 それに言霊…
世界最勝のパワースポットより空を仰ぐ
この世の良さを 想い出し
あれこれと想いを巡らせ 心焦がし
また生まれてみたいと 想う
この世でしか学べないが 故に
再び生まれたいと 芯から願う時に
此度の人生での 気付きを決め
名前を決め 生まれる時を細かに設け
生まれる親元と その場所を選び
親たる魂の了承を 事前に得て 準備万端
再び満を辞して 生まれて来た私たち…
全ての要素に於いて
深い意味合いが あるにしても
日本人であれば 普通は
生まれるのは日本と 決めている
日本人に生まれること 自体
それに相応しいと 認められたこと
返す返すも 言うには及ばず…
然も その申し入れは
そもそもは紛れも無く 自らがしたこと
それにも拘らず 私たちは
自国の言葉を知る努力を しているだろうか
今一度 考えてみるのも 悪くはない
日本語は 穏やかな言の葉だけで
もののあはれ 情緒 奥ゆかしさ
儚さ 憂い 佇む 微睡む 焦がれる など
人の心情や心に 宿る
深い部分のものさえも簡潔に 醸し出し
完全な形での表現を 可能にし
余すこと無く 伝えることが出来る
この神業 日本語以外には
到底 出来そうに無い…
日本語にゼスチャーが不要なのは
そのことと直結している のかも知れない
言語に その繊細な力が備わらなければ
言葉の不足を補う為 否応無しに
身振り手振りが必要となること しきり
実例として よく知るのは
驚いた 感動した 筆舌に尽くし難い など
多様な事象が 全て
「ああ 何てこった」 「Oh! My God ‼︎」
と言う 同一表現
何とも無機質で「わびさび」が 感じられない
この感覚は ひょっとして 私だけだろうか…
些か長い前置きと なってしまったが
本題に移ろうと 想う
日本語 我が国の神話 それに言霊について
少しだけ趣くままに 述べてみたい
先ずは「ひ、ふ、み」…
「火、風、水」であり「一、二、三」である
人にはそれぞれ 今の魂の段階がある様で
その段階は さしずめ 十(とう)に分かれる
一から七まで 所謂
「ひ」から「な」までは「ひな」で
およそ人には 成っていない段階
ハと九 即ち「や」「ここ」は
「な」から抜け出した状態であり
あと一歩で 人となる状態のこと
十「と」で「一から十が成り」「一、十」
所謂「ひ、と」
ここで初めて「人」となる
また 視点を少し変えてみれば
「ひ、ふ、み」は「火、風、水」
「ひ」は「火」「自分で見立てる」
そして「感じ取る」ことであり
数霊的には「自力で掴み取る」の意
「自分で動きなさい」と言うこと
「ふ」は「風」で「氣の流れを良くし」
「風の通り道をつくる」ことであり
「み」は「水」で「滞りを無くす」
纏めれば「ひ、ふ、み」の意味するところ
「自分で見立て 感じ取ることを大切にし」
「氣の流れを良くし 滞りを無くす」の意
何気に 見えて来るのは
本来「ひ、ふ、み」
「火、風、水」までが一体となり 初めて
ひとつの意味を成すのではないか と言う
私の中での 単純にして気ままな ものがたり…
日本の言の葉は凄い…
最後に 元号について想うことを 少しだけ…
「昭和」について想う…
「昭」のへん「日」は陽が日の光が
溢れんばかりに降り注いでいる様 そのもの
つくりの「召」は「招く」であり
陽が日の光が燦々と降り注ぐことを 招く
と言う意で ある
「和」は「和の国」
所謂「倭の国、日本」そのものを 表す
つまり「昭和」とは
天の岩戸が開きっ放しの 状態であり
空気感が光り輝き 躍動感に溢れたのは
その為 かも知れない
そして「平成」とは…
「平」を鑑みる時
「一」は「い」 「ハ」は「は」で「わ」
「十」は「と」である
依って「平」は「い、わ、と」の意
そして「成」は そのまま「なる」
これを纏めれば
「平成」とは「いわとが なる」
つまり「岩戸が 完全に閉じている」様か…
昭和 平成 それぞれの 個性について
想いを馳せる時…
同じもの 同じ場所に触れても
何故に明るさや その空気感が
異なるのかの答えが その辺りに ある様だ
「古事記」の中に記されている
我が国の 神話…
そこには 全ての流れが著されており
事実その通りに ことは推移している様に 想う
どの時代が是で どの時代が否とか
その様なものは 勿論 あるはずも無く
全てが 大いなる流れの中に
欠くことの出来無いもの であることは確か…
それらのことに 想いを馳せる時
日本人として些か 感慨深いものがある
最後に謹んで お伝えいたします…
どの様な 困難な時節に 於かれましても
我が国日本の 全ての民を 国民目線で慈しみ
いつの時も どんな時も
変わらずに 愛おしんで下さった
何と御礼を申し上げて 良いのやら…
余りにも有り難く 感謝の念に堪えません
そして 日本人に生まれて
本当に良かったと しみじみ想います
この国の 穏やかなる平和を願うのは
勿論のこと…
両陛下の 益々の御健勝を
心より お祈り 申し上げます…
日本と言う国の浪漫 より…
世界最勝のパワースポットに感謝す
昭和三十ハ年 一年生の私が探し続けた本…
筆者三歳
私は 昭和三十一年に
東北地方の小さな町に生まれた
両親は 父親の職場に近い借家から
私が二歳のときに
昭和ノスタルジーの代名詞とも言える
木造一戸建ての町営住宅に引越しをした
そこには里山や小高い丘
清涼なる水が流れる幾つもの小川
なだらかな斜面には果樹畑や桑畑が
それに田んぼは農閑期ともなると
一面に草花が咲き乱れる別天地の様
家の前には手入れの行き届いた
赤松や様々な広葉樹が閑散と佇む雑木林
四季の移ろいを実感するのに
これほど恵まれたところは無かった…
田舎なので家から小学校までは
一キロ半ほどあり
低学年の頃は中々時間も要したし
幼さも手伝い飽きることも度々だった
私が通える小学校は二つあって
学区からすれば一キロほど離れた
私好みの 山裾にある小学校の筈だったが
家のある地域のそれ迄の慣習で
一キロ半離れた方へと通う様になった
何れにしても木造の校舎ではあったが…
昭和の木造校舎
前置きが長くなってしまった様だ
小学校に入って間も無く
私は何の縁あってか 一冊の本を探し始めた
きっかけは 心揺さぶる
ある歴史上の有名人を知りたいと言う想い
ただ一つ…
当時は今とは違い
色々な場所になど 図書館は無かった
必然 一年生の私は
小学校の学校図書室で探した
だが その本は幾ら探しても無い
然し 唯一
先生に尋ねることだけは
どうしても嫌だった
無いと言われた時に
残念で仕方がない様な気がして
聞くことが出来なかった
私は毎日学校図書室に出向き探した
当り前だが
誰にもその想いを
打ち明けてなど居なかった
そのせいもあり
先生も皆んなも
奇妙キテレツな目で
こちらを見る事が多くなっていた
私が探している本は「偉人伝」であった
秘めた想いを胸に
それから小学校ニ年迄の約一年近く
無い本を そして恐らくは…
絶対に無いであろう図書室で探した
ただ黙々と…
そしてこの頑固者にも
ようやく諦める日が来る
だが ただでは諦めたく無かった
そして探していた偉人に似た名前の
「偉人伝」を借りた
本は「石川啄木」の伝記であった…
啄木 像
図書室顧問の女の先生に
大笑いをされた
「 未だ この本は貴方には無理ですよ
なんで 石川啄木を借りようと思ったの
こんな難しい本 どうしても借りるの ?」
こちらからすれば
余計なお世話である
「借りる」とだけ言ったら
何か想うところがあった様である
貸してくれた…
今となっては
その本の事よりも
毎日 図書室に行っていた事
あの芳しい香りのする
木造の校舎 そして木製の本棚
沢山の本たちの
あの独特な凛とした鼻感覚と空気感
私を心配しながら
優しく たしなめてくれた女の先生
何かを感じ
私の意向を尊重してくれた
ひとりの女性
それら諸々の事ばかりが
記憶にこだまする…
今更ながら 私は
日本人に生まれて来て良かったと想う
未だ戦前の名残りだらけの
田舎の木造の 日本の小学校に通えて
本当に幸福だったと しみじみ想う…
誰が見ていなくとも
神様は 何時も見ていてくれたし
お陰で どんな時にも
自分に嘘を付かなくて済んだ
素直にそう 想う…
いやはや 危ない危ない…
うっかり言い忘れるところで あった
私が 諦めずに探していた
心揺さぶる偉人とは 一体
そして その伝記とは…
実は「石川五右衛門」の伝記であった
まさに そうだった…
因みに この本には
あれから 50年以上もの時を経て
今迄一度も お目に掛かってはいない…
昭和ノスタルジー
小学校の図書室での浪漫 より…
石川五右衛門 画
残された心 と インザムード
私が そのミュージックテープを購入したのは
1,979年だったろうか
私にとって印象に深い楽曲が沢山収められた
市販のカセットテープがあった
然もそれは
ほんの束の間の販売だった様に記憶する
作詞作曲は来生姉弟のものが多く
詩と旋律のバランスが素敵で
作られたものと言う感じが薄かった
聞き流してもお洒落であり
じっくり聴いても味わい深く素敵だった
些か心に染み入ると言うか…
そんな感じでもあった
兎に角
洗練された佇まいの楽曲が多かった
歌手は 伊東ゆかり…
テープはディスクと違い
劣化が激しい上に
そもそもの存在理由が無くなった為か
時代の流れと言う
如何ともし難い葛藤に飲み込まれ
レコードの様に
レトロなものとも認識されず
消えて行くのを引き止める術も無い
収められていた楽曲は
あなたしか見えない
あなたの隣に
もう一度
そして…
エンドレス
約束だけロマンティック
残された心
イン・ザ・ムード
など など…
いちユーザーにとっては
良く分からないことなのだが
何故に束の間の販売であったのかが
謎である
同時期に販売されていた
LPレコードはあったが
幾つかの楽曲を除き
その内容は大分異なるものだった
大切に仕舞っていたのだが
三年前の貰い事故の時
車と一共に藻屑となって仕舞った
私のお気に入りは
インザムード と
残された心
だった…
詩と曲の旋律が絶妙に相まって…
都会の雑踏や
そこから逃れた時の妙な静けさ
若さゆえの浪漫チックな夢や幻想
全ての不安を掻き消してしまうほどの
これからの素敵な出逢いの予感さえも
そして 若さに不釣り合いな
粋な別れとか…
そんなもの達が溢れる曲だった
詩も 曲も つまりは
持って生まれた 才能なのかも知れない …
我が心のミュージックテープ より…
軽井沢浪漫…街の彩と塩沢湖畔に於ける木洩れ陽に想う
軽井沢を文字に綴ろうにも
その試みは困難を極め
簡単に扉を開いてはくれない
少なくとも私にはその様である
色で表そうと想っても
人も建物もそして自然も
その境目がはっきりしないほどに
あらゆるものたちが
絶妙に融合していると言わざるを得ない
それ自体の色が余りにも高度で
答えが出て来ない
然も見つけることさえ叶わない
彩についてもしかり
決まった加減など何処にも無い
人が関わることの出来るものに
限ったとしても
この地に関わった各人の
想い入れの歴史が
其処彼処 至るところに溢れており
軽井沢の持つ独自の色を語れば
それが一度塗りでは無く何度も
重ね塗りをしたり
下地から全て消し去って結局は
塗り直したり
色を微妙に調合し続け没頭する余り
その色合いを醸し出すのに
どうしたのかを忘れてしまい
また塗り直す
だから
此処軽井沢はその独特の色を彩を
他に漏らすことが無い
織り成す色が余りに深遠で
他に漏れることも無い
自らも再現することの叶わない
最早 手の届かない色だからである
街並みから外れ
少し足を踏み入れれば
自分よりか先輩の木々たちが
そして多くの記憶を持つ土たちが
よく来たねと話し掛けてくれる
それはまるで親愛なる
子どもか孫にでも寄り添う様に
軽井沢の歴史をずっと観て来た
自分たちの物語を
吐息に変えて囁き続ける
彼ら彼女らは間違い無く
この街並みよりも先輩なのである
だからこそ暖かく
人と街を見守ってくれている
軽井沢の歴史は
その街並みの歴史などと
微笑ましい勘違いはしないで欲しい
増してや文化の歴史などと
的外れなことは言わないだろう
このことについては
簡単には済ませたく無いものだから
ついつい拘ってしまう
数多の木々や草花
それを終の棲家とする生き物たち
水 空気 色 それに音…
それらの絶妙なマッチングが
奇跡の如く訪れ そして出逢い 融合し
誰にも真似の出来無い
軽井沢と言う
それ自体が風物詩となり得る
素敵なものが生まれた
この夢見心地な微睡みの中
塩沢湖まで足を延ばすとしよう…
今年十八になった娘が
未だ降りて来てくれる前に
妻と行ったペイネの美術館にも
湖畔の道を歩いて行きたい
子どもが生まれたなら一緒に
絵皿を買いに来ようと約束をしたが
結局は愛娘抜きとなってしまう様で
何気に可笑しい
塩沢湖畔は何時も憂いを帯び
大正 昭和前半に於ける
ノスタルジックな雰囲気を
然も全体に醸し出している
近頃 木立の中を歩くなどは
とても特別なこと
わざわざ何処かに出掛けて行って
そんな風な場所を探したり選んだり…
林業と言う掛け替えの無いものを
飽くまで商業ベースに乗せ
衰退させてしまった今の日本に於いては
かつて普通に存在した
雑木林や赤松林 竹林など
何処を見渡しても
探すことさえ容易では無い
二十数年前 私は
軽井沢の街並みを初めて訪れ
塩沢湖畔の憂いを帯びた姿に
惹かれ そして焦がれた…
風光明媚と言えばそれまでだが
湖畔と木立の佇まいが何とも絶妙で
其処には儚さと
憂いを帯びた浪漫がある
中でも陽が降り注ぐ時などは
木々の間から射し込む光が清涼で
清き天上のものの伝言を
まるで大いなる地上のものへ
届けんとしているかの様でもある
木洩れ陽は飽くまで柔らかく
あたかも湖面を清楚な絹で包むかの如く
微かにこの目を潤ませる
彼処に見えるのは
ペイネの像と茶色い館
ほんの少しだけ
湖畔の道を歩いてみたい…
あなたの色が 深すぎて
儚き憂いに この身は焦がる
森の教会 木立に惑う
何処か切ない 塩沢の湖畔
初秋の長月 浅間の里に…
彼女はもうすぐ 親もとを離れる
そして私は勿論 愛娘の為に
ペイネの皿を 買って帰る…
軽井沢浪漫紀行 哀愁の塩沢湖畔 より…
もう直ぐ六十の僕から五十八歳の君へ贈る 或る物語り
よっちゃん 今頃何してるかな
そう言えば もう五十八歳だっけね
ひと口に想い出なんて言うけれど
そんなに単純なものじゃないんだよ
あの頃 僕は…
たった一人の兄ちゃんを
突然に亡くしたばかりだったし
その後 僕のところに兄弟は
終ぞ来てくれず終いだったけどね
母ちゃんはつわりが酷かったから
ぼくを産んでくれただけで
自分としては精一杯だったらしいんだ
だから母ちゃんには本当に
感謝しているんだ…
よっちゃんも
弟のしょうじ君が生まれて来てくれる
未だずっと前だったからね
僕はね よっちゃん
近所のあんちゃん達とも
とても仲が良くて
あんちゃん達は 僕のことを
それは本当に可愛がってくれたんだ
だから あんちゃん達が
誘いに来てくれた時には何時も
正直とても迷ったんだ…
でもね 本当のこと言うと
三回に一回ぐらいは断っていたんだ
よっちゃんは未だ小さくて
皆んなと外では遊べなかったから
僕と一緒に よく絵を描いていたよね
僕が描いている時には何時も
そばで じっと見ていてくれた
身を乗り出したりも していたよね
そんな君は とても可愛かったんだ
紙はと言えば…
確か広告の裏を使ったりとか
それに そう わら半紙だったんだ
僕らの家はお互い
それほど裕福では無かったからね
それに よっちゃんは
僕の描いた絵を何故か…
大事にしまっていてくれたよね
始めの頃 僕は
とても びっくりしていたんだ
どうして僕の描いた絵を
そんなに大切にしてくれるのかって
何時も宝物の様に扱ってくれた…
でもね 僕にとっても
掛け替えのない素敵な宝物があるんだ
それはね よっちゃんが何時も
僕の描いた絵をしまっていてくれた
その時の…
よっちゃんと僕の
互いを大切にすると言う想いなんだよ…
その頃の僕たちのことは
今でも よく覚えているよ
僕はもう四つだったからね
でも君は未だ未だ小さかったから
覚えているだろうか…
だからその話を今 君にしてあげるよ…
僕は元々 絵が大好きで
大人になったなら
感動的な絵描きになりたかったんだ
一番好きな画家はミレーだったよ
「 晩鐘 」には とても焦がれた…
今よりも小さな三歳の時から
広告の裏とか…
余り好きでは無かったけど新聞紙に
鉛筆で絵を描いて遊んでいたんだ
よっちゃんが二歳になって
やっと遊べる様になった頃
僕も四歳になって
近所のあんちゃん達が
頻繁に誘いに来てくれてたんだ
僕は嬉しくて ついつい
遊びについて行ってしまうんだ
そんな時 小さな君は
未だ外には遊びに行けないので
家で静かに過ごしていたんだ
覚えているかい…
僕はあんちゃん達と遊ぶことが
それは大好きだったけど…
僕が絵を描いてあげると
君は満面の笑みで
何時もとても喜んでくれたんだ
勿論 あんちゃん達とでは無く
自分とだけ遊んでくれることが
何よりも嬉しかった様なんだ
僕はよっちゃんと同い年の二歳の時
二人兄弟の兄ちゃんを亡くしていたし
素直な君が可愛くて仕方がなかった
勿論 僕たちは
本当の兄弟の様に過ごしていた
君と遊んでいると
僕が描いた絵を大切にしてくれるので
とても自信がついたんだ…
僕たちは小学校までは
ずっとその延長だったんだ
でも何時までもそんな訳には
行くはずも無くてね…
中学や高校の頃はと言えば
そう 皆んなが普通に経験をする
ごく在り来たりな流れだったけどね
今はそれぞれの人生があり生活があり
会いたいと想う気持ちばかりで
何時も そのままに…
先日 君の母ちゃんが
回覧板を持って来てくれたんだ
たわいも無い話の中で
「 うちの よしいちは
今でも とっちゃんのこと
よく想い出してるよ 可笑しいない 」
そう言いつつ 大笑いをしながら
ほっこり帰って行った…
全然可笑しくないんだ
よっちゃん…
僕も時々想い出してるよ
君にとっての故郷は何処かな
何気に想うんだ…
故郷って言うものは
自分の心の中にあるんだってね
だからこそ色褪せること無く…
忘れ掛け 朧に霞んだものは
ややもすれば より鮮明なものとなって
皆んなの心の内に
生き続けるんじゃないのかな…
今度また 一緒に
何かやろうよ よっちゃん…
君と僕の昭和浪漫紀行 より…