我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

2018-01-01から1年間の記事一覧

愛しき古城シヨン 黄昏と湖岸の戯れ…

大好きなモチーフ スイス レマン湖畔に佇む 中世の古城 シヨン 黄昏に微睡むとき… ふと 目をやった 湖岸にきらめく 波の表情が ただ 美しく… 画題「 愛しき古城シヨン 黄昏と湖岸の戯れ 」 油彩 F 20号カンバス

千九百年後の 聖し夜に…

クリスマスの夜 書き終えた物語です 聖し 十二月二十五日とは… ユダヤ教の暦では 十二月二十四日の日没までがイヴ 日没以降が 聖しクリスマスです 遥か古の 西暦が紀元となって 僅か四十年のとき 未だ遠浅だった 陸奥国 八戸 松ヶ崎の海岸から 自身にとって…

日人(ひびと)と五色人(ごしきじん)そしてマグダラのマリアとミユ子と…

画題「 日人と五色人 そしてマグダラのマリアとミユ子と 」 油彩 F6号 戸来が丘にて想う 千九百十三年前 イエスが 妻ミユ子と共に辿った道は 私には… マグダラのマリアと共に辿った 茨の道に想えて 仕方がない 茨の道… それは上古十代のとき 常陸国に建立さ…

油彩 「 レマン湖畔と古城シヨン 小々波と湖岸の戯れ 」

今年 描き終えた 大好きなモチーフの 油彩です カンバスは F30号 画題は「 レマン湖畔と古城シヨン 小々波と湖岸の戯れ 」 あの懐かしきサヴォア家の時節 古城シヨンは 活気に溢れ 未だ未だ 真新しさに 包まれていた… 鉛筆画( スケッチ )

無知 とは…

無知とか 教養が無いとか よく耳にすることが有ります 其れは… 漠然と知識が無いとか 育ちが悪くマナーがなって 無いとか 一般的に世間受けする学歴が 無いとか 恐らく 私たち日本人の思考回路では 其の様に意訳されるのでは ないでしょうか テレビ 新聞など…

高子城址亀岡八幡様 旧暦八月十五日 祭り

平成三十年九月二十四日 昼下がり 妻の仕事で行った 郡山の帰り 福島へ戻ってからの 自宅への帰路は 立ち寄り先の所在に沿いながら 予定していた訳でも無く 伊達市上保原(かみほばら)の 高子(たかこ)経由となる 高子城址の丘(岡)の直ぐ脇を 通り過ぎる…

将門 様 その優しさと 強さと

少年の頃から ずっと 共感して止まない 将門 様… その一貫した姿勢は揺るぎなく 相手に対する 深い思い遣りに終始する 今置かれている相手の立場が どの様にあろうとも 物事の本質を見 目をそらすこと無く その者に相対する 然も 困っている弱きものを どう…

小々波

画の一部 ジュネーヴ湖に 小々波 漂う 朧(おぼろ)な夜の幻想 … 夢心地な人の世の儚さと それでも心揺さぶる 飽くまで 凛とした 雄々(おお)しき 浪漫を 見る

黄昏

画の一部 スイス レマン湖畔に佇む 中世の古城 シヨン 黄昏の中 浪漫 …

伊達家発祥の地 高子城址 しろ きいろ むらさき きみどり みどり やまぶきいろ べにいろ うすべにいろ ももいろ うすむらさき 光が弾けている 風が軽やかに 通り過ぎる 昭和三十六年 卯月 としのり 四歳 こころ うきうき 胸 高鳴る… 水面(みなも)の中の あ…

里見公園 若き日の我を 愛おしむ

当ブログへの既投稿記事 「 国府台… 若き日の私の浪漫 」に ほんの僅かに目線を変えた 溢れる心情のリメイクを施してみました 若き私が過ごした 国府台 そして矢切への讃歌 「 里見公園 若き日の我を 愛おしむ 」 ご一緒に 歩を進めてみてください… 昭和五十…

小雨そぼ降る春に…

制作中の油彩 其の 一部分です とある 春の日 小雨そぼ降る 秋田にて… 追伸… 描き終えましたので アップします カンバスは F-10号 画題は “ 唐松神社 小雨そぼ降る春に…”

私の遠野物語 早池峰の瀬織津姫 そして阿弖流為よ…

早池峰山 平成二十九年 五月五日 立夏は今日あたりか はたまた 明日だったろうか 気の向くまま一路 北へと向かう 桜は散れども 奥羽の春は未だ爛漫 古の縄文の地は 光に充ち満ちている 一関(いちのせき)から 奥州 平泉(ひらいずみ)を過ぎ 根っからの東北…

杖突峠の幻想に 卯月の息吹を見る…

飯田線と中央アルプス 平成二十九年 四月 四日… 伊那谷は今朝も 清涼なる空気に包まれる そして何処か 憂いを帯び 凜とした天竜川は 爽やかで優しげな 朝の佇まいを奏でている 遠く駒ヶ根の方を見れば 木曽の山々が 中央アルプスと言う敬称に相応しく 絶唱に…

我が心のシヨン城 レマン湖畔に於ける

レマン湖畔に佇む 浪漫 シヨン城… 其の佇まいに主体を置き F 10号カンバスに描いてみた あの楽しかったサヴォア家の時節 古城シヨンは 未だ未だ 真新しさに 包まれていた…

中世の古城シヨン あの感慨に耽りたく…

此度は遊び心で 海外の景勝地を絵にしてみた 所要時間は一時間ちょっと… モチーフのレマン湖は 琵琶湖よりもほんの少しだけ小さな 三日月型の湖… 湖畔には中世の古城シヨンが 何時までも色褪せること無く 浪漫な姿で佇む… 十三、四のときに一度 油彩で描いた…

松代 情景

鉛筆画 松代情景… 畝の向こうに 皆神( みなかみ )と 尼巖( あまかざり )… 本当の日本へ 穏やかで 優しき 古代縄文の日々へ… 想い巡らす とき…

紫陽花からのメッセージ (鉛筆画)

紫陽花 紫陽花からの メッセージ 幾つもの 色あるゆえの 移り気か… ひっそりと 力強く…

春 信州 青木湖にて…

信州 青木湖 水和みても 白馬の姿 移ろいて いつも寄り添う 仁科の湖水 どこか悲しく 澄み渡る… かつて 私は糸魚川から 左手に頚城の山々を眺めながら 白馬(はくば)に逢いに行くのが 好きだった あの突然 真正面に現れる 真白き巨大な水晶 白馬岳(しろう…

唐松神社 小雨そぼ降る春に…

此の話は 昨春 秋田でのこと… かつて 十三湖を目指し 西洋やシナイ半島から寄せ来た 渡来の風… 黄金の國への焦がれは 甚だ激しく 然し すめらみことの恩を忘れ 宇宙的生き方を自ら捨て去った アトランティスの民… アーリア人と其の亜種たち 程では無いにしろ…

浜辺の歌と椰子の実 波打ち際の情景に寄せて…

ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ 忍ばるる 日本の國の唱歌… 此の國の宝物は 何と 清涼で素敵なことか… 幾多の無償の愛に身を委ねた あの日 幼子の… 掛け替えのない安堵な日々は 心に焼き付き 色褪せることは無い 然も 此の國の情景の 何と穏やかに 美しく…

ゴンドラの唄 いのち短し恋せよ少女…

ゴンドラに揺られながら ゆったりと… 辺りを眺めて行きたい 今 眼に映る かけがえのない情景や 人々の笑顔や 笑い声や 楽しげな様子が とても美しく… 子供たちよ 無垢であれ 幸せであれ… そして 女性たちよ いつまでも優しく 艶やかであれ… 時折心の奥に憩う…

拝啓兄 幸末永く そして異人の兄よ さよなら…

平成三十年 弥生は十三日 もうすぐ桜の節… あとひと月もしたならば 私たち日本人のこころの花が 辺り一面を埋め尽くす喜びに… 平成二十九年 四月十五日 靖国神社と千鳥ヶ淵を右手に そして東京駅を左手に遣り過ごし 歴史ある帝国ホテルで執り行われた 君の拘…

昭和十九年 今いる友に捧ぐ そして後世の日本人へ捧ぐ…

敷島の 大和ごゝろを 人問わば 朝日に匂う 山桜花 昭和十九年十月二十五日は 今生に於ける 僕らの別れでした 予科練甲飛十期の友たち 其れに近頃知り合ったばかりの友たち 永峰くん そして大黒くん… 今 目の前にいる 大西瀧治郎中将の 労いの言葉が 僕の腑(…

拝啓 宮沢賢治さま…

親愛なる 宮沢賢治 さま… あなたは “ 銀河鉄道の夜 ” を 綴られました 法華経と言う 大いなる すめらみことの世のものがたりが 根本にある為か… 読むのにひと苦労された方々も さぞ多かったことでしょう でも あなたは 法華経のみならず 聖書とは何かについ…