2017-01-01から1年間の記事一覧
日曜日の夕方 子供達は消えた 大人達も辺りを伺いながら いつの間にか消えた そして私も 自宅のテレビの前に 皆んな 消えた… 子供時分の事なので 詳細は余り覚えていない 双子のデュオ「 ザ・ピーナッツ 」の 妹さんが亡くなられたと知ったとき 未だ七十代半…
もう 大分前のこと 二十年以上になるだろうか… 信濃平野から里山へと続く 緩やかで穏やかな斜面 あんずの里 この見晴らしの良い畑作地帯を 数日掛けて散策したことがあった 勿論 この辺りに 宿泊施設が今ほど多くは無い時代 やっと取れた宿に三連泊をし 色々…
宮沢賢治 日本人の心の中の文豪 ひとの想いを見詰め続けた宮沢賢治とは 心優しき浪漫びと… その 彼にとっての日頃 所謂 宮沢賢治にとってのサハー(娑婆)世界に ほんの少しだけ 眼を向けてみては如何でしょうか… 宮沢賢治とは優しく思い遣りがあり そして勤…
サロベツ原野大沼にて 美恵子 記事が 津軽海峡を渡ります 私は若い頃 真新しいものや自ら行かなければ 手の届かないものが 無性に好きでした 所謂 好奇心が人一倍旺盛ではなかったかと 想います 何につけても 実際に自分の目で直に見たい と言う願望が強く …
私には 今年十九になる娘がいる 彼女は 私が四十一歳の時 我が家に降りて来てくれた 当たり前なことだが それは可愛いもの… 私は中々出来の悪い父親の様で 気持ちが急くばかり 気の利いた言葉のひとつどころか 余計な言葉さえも 掛けてやってなどいない 娘に…
日本にまつわる古くからの 様々な出来事を考えた 時に 何とも摩訶不思議な気持ちにならざるを得ない 比較的分かり易い中世以降の歴史でさえも 様々な為政者の思惑が入り交じり 本当の歴史は甚だ 分かりづらい 況してやそれ以前の事柄ともなれば 幾重にも様々…
中山道馬籠宿から望む 恵那山 私が生まれ育ったところには 明治時代のものは勿論の こと 大正の風物詩が沢山ありました ふと周りを見渡せば 其処は 小中規模な街場に近い 農村と言うだけでも無く 辺り一面には果樹畑や桑畑が 数多く広がっていた様に 記憶し…
八代町の風景 遠くには南アルプス 過日 綴らせて頂きました 「 甲斐の国が奏でる郷愁とは 織り成す浪漫とは… 」 を 散文の詩に認めてみました 自分の中にある 様々なイメージや 潜在的な焦がれなど 其れらを織り交ぜながら 自らの愛おしいものたちに ついつ…
塩沢湖畔にて 昨年師走 二十六日のブログ記事 「 軽井沢浪漫… 街の彩と 塩沢湖畔に於ける木洩れ陽に想う 」を 短めに綴ってみました 所謂 散文の詩です 一緒に散策頂ければと想います… 近頃 木立の中を歩くなどは とても特別なこと… わざわざ何処かに出掛け…
八代町から望む甲府盆地 遠くに南アルプス白根三山 甲斐の里 甲府盆地は広い 気持ちが良いほどに広がる 加えて言うならば盆地と言うには余りに 遥かな空間を有していることも事実である 周りには沢山の高いピラミッドや 数多のオベリスクや 磐座(いわくら)…
長岡郷 熱田神社の南脇を通り 国道四号線の架橋へと向かう電車 チンチン電車をご存知でしょうか… あの路面電車のことを親しみを込め そう呼びます 国鉄の東北本線開通(開業)から 遅れること 二十一年 自分の祖父母が未だ若い時分の 明治四十一年から 所謂 …
京都 大原の里 被写体としての此の景色を 何の変哲も無いと想い 更々 気に留めることも無く 遣り過ごしてしまうのか 玄人を唸らせるほどの 秘めたる魅力有るものと 認識 するのか 二者択一であろう… 中庸だと言ったなら そのひとは 余程の変人か はたまた上…
映画 ビルマの竪琴 空気が躍動し光り輝いていた 昭和と言う時代 その中でも特に希望に満ち溢れ 互いが当たり前に支え 合った 三十年代の最中… 然も皆んなが 大東亜戦争の悲しみを乗り越え 前だけを見て 振り返ること無く歩いていた 束の間の とき だからこそ…
七面山から望む 御来光 どうしたことか 此の度は… 弘法大師が大陸から持ち帰った 密教と 日蓮上人が広宣流布に命を賭した 法華経に 真正面から触れてみたく 想いました これは飽くまで 私の想うところではありますが 悠久の中国大陸に於ける名だたる僧侶たち…
旧 広島県産業奨励館と灯籠 私がずっと紡いで行きたいテーマのひとつに 「 人の想い 」と言うものがあります そして その「 想い 」と言う 何処迄も続くエネルギーは 甚だ大きなものであり 更に言えば 全てを具現化する根本… この時空の中での 何よりも大い…
武蔵野 情景 画 飽くまで 個人的な好みで言えば 私が最も好きな景色は 街場に隣接している郊外 である 河岸や丘陵地などがあれば 尚更 心焦がれる その中でも都心の郊外である武蔵野は 私の中に於いては かなり魅力的なところと言える 抑え気味に言ってしま…
斑尾山と野尻湖 人との出逢いは 忘れ難く 時として 心の旅路と成り得る程に 魂に染み渡り 何にも代え難き 終の宝物となる様にも想える そして その忘れ難き人との出逢いには必ずや 自然や周りの風物詩が織り成す 情景のキャンバスやら 様々な気質の 多様な光…
「宮沢賢治と銀河鉄道の夜 皆んな忘れている だけなんだよ」の続編且つ 外伝です… この広大で深遠なる夜空を 見上げるにつけ まるで ついこの間(あいだ)存在した 遠い過去の 自分からのメッセージを携え こちらは これから必ず訪れる 遥か未来の 自身の後…
遠野にて 民俗学者であり作家の 柳田國男収筆「遠野物語」と 音楽家であり映画監督の 石井竜也監督の映画作品 「河童」… この二つの作品をモチーフとして 私が今迄 ただ漠然と感じていたことに留まらず この度改めて 心の奥底で感じ切ったことを 詳細に そし…
映画「風立ちぬ」より 大正 昭和初期と言う 激動の時代… 若者たちは文学に詩歌に焦がれ そして芸術にその眼を潤ませる… 自らの魂さえも呆れるほどに 然も謙虚に見詰め続け いとも簡単にその答えを 心の在り方と言うものの中に 見い出すこととなる ひとの為に…
この度は「 法華経 」の中の 第十二品 所謂「 妙法蓮華経提婆達多品第十二 」に ついて 出来るだけ簡単に 然も分かり易く 私の色々な経験を踏まえつつ お伝えしたいと想います お釈迦さまが説かれた数々の教典の中で 最後に説かれた「 法華経 」と「 涅槃経 …
幼き日の 賢治と妹トシ 日本の あちこちで 宮沢賢治を語る集いやら 賢治さんを語る会 などなど いやはや 日本人に於いて 宮沢賢治を語らせたなら 右に出る者がいない人は それはもう 数多いるであろう 私は多分 違うので 少々 気遅れするところだが そこは又…
仙台駅構内の仙石線 仙石線に乗って 松島へ行った 三歳の私にとって 人生初の遠出であった 海が大きいかどうか とても興味があったし それは 自分の中では この旅の最大のテーマでもあった 車窓越しに見える海は 私にとっては勿論 初めて見る海… 年齢的なも…
母 兄 祖母(母の生家にて) 貧しいなりに 皆んなが寄り添い 気持ちを寄せ合い 助け合い 微力ながらも出し惜しみすること無く 相手の力になろうとして 世話をやく そして何時も 何気に互いの心情を察しながら 心配もし合い 物珍しい食べもの 美味しそうな食…
小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた… 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見付けた 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた… この曲が NHK「 みんなのうた 」で 新譜として発表されて間も無く 私の同級生 ひろちゃん こ…
武と進二 大東亜戦争に於ける末期 戦況の悪化に伴い 想像を絶する頻度での 米軍による本土空襲の渦の中 民間人に対する無差別殺戮の意図を 充分に 把握出来た時点で 子供たちを守るべく 学童疎開が始まった そこには 副産物であるにも関わらず 日本人の心の…
里見公園下の道標 千葉県市川市と松戸市を繋ぐ 松戸街道沿い一帯に広がる情景には 何故か 自らの感性ごと 引き込まれてしまう様な 妙な魅力を感じる 私にとっては そんな 表現に難い魅力に溢れ た土地柄だった様に想う 視覚的には勿論のこと 散文から飛び出…
世界最勝のパワースポットより空を仰ぐ この世の良さを 想い出し あれこれと想いを巡らせ 心焦がし また生まれてみたいと 想う この世でしか学べないが 故に 再び生まれたいと 芯から願う時に 此度の人生での 気付きを決め 名前を決め 生まれる時を細かに設…
筆者三歳 私は 昭和三十一年に 東北地方の小さな町に生まれた 両親は 父親の職場に近い借家から 私が二歳のときに 昭和ノスタルジーの代名詞とも言える 木造一戸建ての町営住宅に引越しをした そこには里山や小高い丘 清涼なる水が流れる幾つもの小川 なだら…
私が そのミュージックテープを購入したのは 1,979年だったろうか 私にとって印象に深い楽曲が沢山収められた 市販のカセットテープがあった 然もそれは ほんの束の間の販売だった様に記憶する 作詞作曲は来生姉弟のものが多く 詩と旋律のバランスが素敵で …