春
伊達家発祥の地 高子城址
しろ きいろ むらさき
きみどり みどり やまぶきいろ
べにいろ うすべにいろ
ももいろ うすむらさき
光が弾けている
風が軽やかに 通り過ぎる
昭和三十六年 卯月
としのり 四歳
こころ うきうき
胸 高鳴る…
水面(みなも)の中の あおいそら
吸い込まれそうな 透明な水
さやさや さらさら ことこと
優しき せせらぎの音が
とても 心地よく
近くに見える里山は
いつの間に 淡い緑に
柔らかさを まとった その姿は
初々しさと 凛とした強さに包まれる
ああ 目に映る
今 この かけがえのない
愛おしい ものたちに
あれもこれもと
そして いつまた出会えるのかと
いつも いつも
心焦がしながら せいてしまう
もどかしさは…
この美しさが 嬉しさが
いつまでも
いつまでも
めぐり終えることが ないように
ただ 春を 待ちわびる
いつまでも ひたすら 待ちわびる
春、愛おしきものたちへ
捧ぐ… …
高子城址の丘 北面の磐座
昭和三十年代中頃の高子沼 美しき桃源郷
里見公園 若き日の我を 愛おしむ
当ブログへの既投稿記事
「 国府台… 若き日の私の浪漫 」に
ほんの僅かに目線を変えた
溢れる心情のリメイクを施してみました
若き私が過ごした
国府台 そして矢切への讃歌
「 里見公園 若き日の我を 愛おしむ 」
ご一緒に 歩を進めてみてください…
昭和五十年代初め
街場に近い丘陵地に住んだ
住まいの直ぐ近くには
今よりも緑が鬱蒼とした公園があった
公園一帯は…
折り重なる歴史の重さと
四季折々に咲き誇る 花々の可憐さとが
さり気なく折り合いを付けながら
人々のこころを和ませた
そして 私は…
そんな公園の彩に魅せられた
丘陵地と里見公園は
滝沢馬琴が命を賭して書き上げた
壮大なる物語「 南総里見八犬伝 」の舞台
然も真下には
河岸路 越しに「 矢切の渡し 」が
ひっそりと…
若き政夫と民子の
儚き今生の別れの場となった
「 矢切の渡し 」…
染み入る様な
切なく甘酸っぱい余韻を残す
夏目漱石が絶賛した
「 野菊の墓 」…
下矢切に佇む文学碑には
若き二人の遣る瀬ない想いが
朧気に刻み付けられているのか…
里見公園から下矢切までの散策路を
今では…
「 文学ロード 」と呼ぶらしい
若き私が 焦がれて止まない
遠く儚い あの情景は
何と 素敵だったことか…
平成二十八年 十一月の半ば…
日の入り早い節ではあるが
昔日 世話を掛けた土地柄の風景を
探しながら また味わいながら
出来るだけ ゆったりと歩いてみたかった
十代で上京した折
国府台の地に住んだこともあり
私にとっては何かと思い入れが深い
然し若さゆえか
日々の楽しさに心奪われ
軽薄にも…
自らの住むこの地に溶け込み
味わい深く接することも無かった
見るべきものを疎かにしてしまった
其の想いが 存外沢山残っている
多様に出てはいるが
私は 国府台の丘陵地を
徒歩でゆっくりと
そしてゆったりと歩いてみたかった
京成線市川真間駅を横目に
閑静な住宅街に差し掛かる
万葉にも描かれる
今では典型的な都市河川
古(いにしえ)の真間川を渡れば
前方丘陵地の高台手前側に在り
其の参道が 市川駅付近から
真っ直ぐに伸びている
幅も高さも大層大柄で
角度のある真間山への階段を登り
振り返ると…
遠くから まるで
延々と続く様な参拝道を
驚きを以って
充分に実感することが出来る
階段を登り切り 辺りを見渡せば
清潔に掃除の行き届いた境内が心地良く
日本人の持つ有形無形の美意識の高さを
今更ながら思い知らされる
木漏れ日の中…
ノスタルジックな建物の目立つ
木立ち多い落ち着いた雰囲気の
四年制大学が…
キャンパスを通り抜け
此の辺りの幹線道路
松戸市川(まつどいちかわ)街道に出る
直ぐ目の前には センスの良い
然も周りの景観を圧倒するほどの
大柄なタワーが現れ
其の出で立ちとモダンな佇まいには
随分と驚かされる
歴史のある女子大学である…
当時の旧校舎もそのままに
新旧が融合している様(さま)には
建物が持する「 時の物語を紡ぐ 」
と言う役割の意味を
改めて垣間見ることが出来た
松戸市川街道を公園に向かいながら
暫し歩道を歩く…
歩道が良く整備されており
周りの景観を眺めながらゆったりと
歩くことが苦にならない
進行方向右手の道路東側には
当時 国立国府台病院だった建物が…
戦前の落ち着いた雰囲気の
あの凛とした佇まいの浪漫な建物は
既に無く
美しく機能的な建造物に
とうに様変わりをしていた
四十年も経てば 今の時代
至極当たり前なことではあろうが…
幹線道路より側道に入り
真っ直ぐに公園へ向かい歩いて行く
桜の木々が年を重ね
しっかりと歳を重ね
あの若かった木立ちをも
懐かしむ気持ちにさえなってしまう
あと数年経ったなら この場所には
たっぷりとして見事な
桜並木の回廊が現れ
目を癒し心に寄り添い
生命の伊吹とともに
人々を和ませてくれることだろう…
追っ付け里見公園に着く…
此の地は 滝沢馬琴が命を賭して
綴り終えた
大作「南総里見八犬伝」の舞台である
此の 公園には…
一見した大きさでは語ることの出来ない
何とも不思議で深遠なる奥行きがある
周知の通り
南総里見氏が治世をしていた
ひっそりと閑静な
その佇まいとは裏腹に
大東亜戦争当時には
日本軍の軍事施設が
この辺り一帯に存在したと言う側面もある
これら幾重にも過(よ)ぎる
惜別の歴史を
其の時々 此の地に暮らした魂たちが
恰も自らの心の歴史を
他に漏らすこと無く温めるかの様に
普段 其の所謂(いわれ)を
前面に出すことは無い
然し 花壇と噴水の広場から なだらかに
登り行けば
至るところに整然と積み上げられた
石垣があり
此の地が飽くまで城址であることに
気付かされる
此の場所に暫し寛(くつろ)ぎ
感ずる雰囲気はと言えば…
予てより そうであったが
二人で訪れても
家族で連れ立っても
勿論 一人で時を刻むにしても…
何ら違和感無く
其々の想いに寄り添える様な
奥行きのある清涼な雰囲気に
満ち溢れている
南総里見氏が治世した古のとき…
其の空気の流れが
恐らくは淀み無く
心穏やかなる地であったことが偲ばれる
そして悠久のこの地に遥か想いを
馳せながらしっかりと
地面を踏み締めて歩いた
江戸川の対岸には東京の下町が広がる
高さ六百数十メートルの
直ぐそこに 佇んでいる
かつて四十年前には
想像すら出来なかった 遥か未来図が
今 目の前に広がっている…
様々な情景が 矢継ぎ早に…
私の中の ときが流れる
木々の中 まったりと高台を降り
薔薇園を眺めながら心穏やかになる
此のベンチに腰を下ろすとき…
本当に単純で起点の効かない自分が
可笑しくなる
何時も 或る一つのことを想い
それを見詰め
そして 目を閉じる…
四十年前 国府台の地を訪れ
そして暮らした
大好きな此の公園で
たっぷりとしたときを育んだ
上京して早々には桜の節
少し過ぎれば藤棚の花が満開だった
あの嬉しさに…
私の中の巡る想いは 何時も
穏やかな絵巻で…
最後は決まって うつら うつら
そう 決まって うつら うつら…
若い頃の様にとは言え
随分と立派になったベンチに
腰を下ろし
当時の この辺りの彼の風景を
ず~っと 想い巡らしました
胸が熱く…
桜の花の最中にいる
若き私は 夢心地で
もう直ぐ藤の花が満開になる喜びに
目を閉じ うつら うつら…
穏やかなる昔日への追憶に憩い
焦がる里見公園に在りて和み
ただ心を込め 若き日の我を 愛おしむ
そう 若き日の我を 愛おしむ…
小雨そぼ降る春に…
制作中の油彩
其の 一部分です
とある 春の日
小雨そぼ降る 秋田にて…
追伸…
描き終えましたので
アップします
カンバスは F-10号
画題は “ 唐松神社 小雨そぼ降る春に…”
私の遠野物語 早池峰の瀬織津姫 そして阿弖流為よ…
平成二十九年 五月五日
立夏は今日あたりか
はたまた 明日だったろうか
気の向くまま一路
北へと向かう
桜は散れども
奥羽の春は未だ爛漫
古の縄文の地は
光に充ち満ちている
一関(いちのせき)から
奥州 平泉(ひらいずみ)を過ぎ
根っからの東北人ならば
決して見逃すことは無いであろう
古の蝦夷地たる
凡ゆる趣きや佇まいが…
道中過ぎて来た生粋の東北の地
福島や宮城南部の印象からさえも
多賀城の辺りを境に
異様な速さを以って変化を
遂げて行く
然も優れた宇宙的生き方を育んだ
縄文の日々
所謂 其れらは本当の日本
天神のとき 皇統の時節
そしてウガヤフキアエズの姿を
今に…
核心を突いて語れば
アラハバキの真心を
嬉しいかな
相当に色濃く残している
目を凝らせば有形無形
其れらは
ありと凡ゆるものに
垣間見ることが出来る
気が付けば…
東北に於ける縄文最期の雄
本当の古代日本の民
偉大なる阿弖流為(あてるい)
を偲びながら
彼の古里 かつての水沢辺りに
差し掛かる
そして
方言で言うところの
「 此処いら辺(ここいらあたり) 」
からは
東北の地も北半分へと
移って行く
本当の日本のひとつの形態が
在り方が
然も 他と混じり気の無い色彩が
途方も無い速さと確かさを以って
迫り来る
眼に映る情景は
古き良き
穏やかなる東北の地…
阿弖流為が生きた雄々しき
宇宙的時節へと
更には穏やかなる
三内丸山の
心豊かな時空へと
一気に遡り
昇華されて行く…
私は此度 遠野へと
やって来た
還暦の私の目に映る
この地は…
極めて一貫性のある自然や風物詩
良質なる波動を以って
通りすがりの旅人を
縄文の風へと誘ってくれる
この地に於ける
自然との接し方
人として護持すべき
神々との約束ごととは
何なのか…
その遍歴を
様々な暗号を以って
開示をしてくれる
然も そこに
嘘偽りなど
些かも入り込めはしないようだ
北上から遠野へ向かう道すがら…
辺り一面 山々のエネルギーが
唖然とするほど異様に淡く柔らかく
本来なら広葉樹たちの
楽園が
何食わぬ顔で
辺り一面に
存在していたように感ずる
そのことは 恰も…
人の手により植林された
数多の針葉樹たちの
不自然な存在の痕跡が
後に入り込んだものたちと
元よりの日本人の心との差異を
際立たせているかのようでもある
新緑の節
針葉樹の黒っぽい深緑色は
本来 突き刺す様で
この景色には
如何んせん不釣り合いに想える
私には想うことがある
戦後 挙(こぞ)って
何故か 今尚…
積極的に行なわれている
針葉樹の植林
年々増え続ける杉植林の
愚かさと 危うさ
土壌が緩み脆くなり
土地が次第に痩せて行く
此の地の祖霊神や地主神
先人たちは
そんな世の流れを
いたずらに浸透はさせたくは
なかったろうに…
そして
古代からの流れを礎とするなら
本質的に
経済的植林を
是とはしなかったろうに…
民の心の内には
無意識に
神々との約束が生き続ける
戦後の杉植林が
未だ完成を見ない過渡期
植林した針葉樹林の成長が
未だ途上の頃
私は幼少期から少年期にあった
その頃の記憶を辿り
自らの古里の
かつての自然体な姿を
懐かしめば
今 目の前に広がる遠野の原風景に
異変を感ずる
半世紀前の日本には
神々から賜った自然の姿が
至るところに溢れていた
周りを見る限り
私の記憶では
花粉に纏わる病など
何処にも無かった
可笑しいかな
本当なのである…
そして里山は光に包まれ
柔らかで明るい彩の広葉樹が
殆どだった
忘れないで欲しい…
誰もが
そんな春を好きだったことを
そして皆んな
春の訪れを待ちわびた
全ての万物のエネルギーが喜び
そして 弾けた
其れほどに
昭和三十年代中頃迄の日本は
人も自然も光り輝いていた
忘れ難い
神々と共に生きるとは…
山間部にしては余りにも広い
遠野の里は
想像の域を遥かに超え
凡ゆる彩が明媚でもある
そして
其の意図するところは
神々との境界に位置する頑なさ
よりも
寧ろ 神々と人とが
融合しているさまを
優しく待ち焦がれるよう
でもある
其処には
詩的な感性さえも存在する
遠野の街並みを過ぎ
早速 早池峰神社へと向かう
御祭神は瀬織津姫…
遠野物語が私の頭の中を駆け巡る
何と胸高鳴る説話であろうか
そして私は
天の岩戸が開くのを前に
私は瀬織津姫に願いを込めた
清涼なる早池峰の社に於いて
永遠の皆なの幸せを
此の国の安寧と共に祈願をさせて
頂いた
男身天照(だんしんあまてる)
と一対の
愛しき
女神瀬織津(じょしんせおりつ)よ
ベールを脱いだ 其のお姿は…
縄文のヴィーナスであられることを
私は知っている
そして
菊理姫であられることも…
貴女は決して
宇宙的生き方をするものに対して
荒御魂には あらず…
其の能力は
全てに於いて卓越する
紆余曲折を繰り返している
我々日本人ではあるが
どうか…
此の日本と言う国を
まもり給え
さきはえ給え
此の国の老若男女 皆んなの心根を
まもり給え
さきはえ給え
記紀のみに
決して委ねること無く
竹内文書を紐解きながら
分け御霊であるところの
我が心を正し
そもそもが
竹内文書に秘められた
本当の日本へと繋がる万象
を遡れば
世の流れは
其のままに移ろいでいる
言葉に出して祈りて下されば
祈りは届き易し
言葉は とても
大切なもの
然も真心を込め
皆んなの幸せを願う気持ちこそが
何にも代え難いもの…
近頃 こころの忘れものが多いぞ
我々 人間たちよ…
此の国が 安寧なることを
ただ ただ 祈らむ
杖突峠の幻想に 卯月の息吹を見る…
平成二十九年 四月 四日…
伊那谷は今朝も
清涼なる空気に包まれる
そして何処か
憂いを帯び 凜とした天竜川は
爽やかで優しげな
朝の佇まいを奏でている
遠く駒ヶ根の方を見れば
木曽の山々が
中央アルプスと言う敬称に相応しく
絶唱にも似た激しさと
凛々しさとを以って
峰々に焦がれる人々の情念を
捉えて離さない
また左方に目線を移せば
遠く赤石の山々が
まるで桁の違う摩天楼の様な姿で以って
木曽の峰々と共に
人間界の遥か頭上での会話を
悠々と奏でている様にも想えて来る
伊那に一夜を過ごし
然も早起きをした余韻が
様々な形で現実に
私を癒してくれる この瞬間
万物に対する大いなる感謝の念を
どうして 抱かずにいられようか…
今年は伊那谷全体は勿論のこと
開花が未だ先の様だ
自然の在り方そのものが
生き物であるならば
所詮は いた仕方の無いこと…
満開時の高遠の桜と仙丈ケ岳
何気に…
国道152号を茅野方面へと向かう
思い付きで訪ねた路ではあったが
ここにまた一つ…
圧倒的な本当の日本の風景が
目の前に 広がる
この辺りの道路は
機能性が すこぶる良く
安全な広さを確保してある上
然も走り易い
お見掛けするところ
必要以上の乱開発は為されていない様で
何でもかんでも
土木工事に結び付けている風も
無さそうである
先人たちが紡いで来たであろう
昔からの風物詩が
其処彼処に咲き乱れる
長野 伊那谷 高遠の里
それらは 古よりの本当の日本…
装いは 深く私の心に残るものであった
高さが増すにつれて
木々に積もる春雪たちが
真綿の様に 上から散り落ちて来る
然もその様が珍しく
また 風流でもある
何やら 絶景が過(よ)ぎる…
杖突峠にて
そこは杖突峠 標高一阡二百数十米…
ノスタルジックで清潔感溢れる
二階のカフェに入り
早速 展望台に足を運ぶ
朝靄にほんのり包まれる
甲府盆地北部の幻想
その遥か向こうには
天上から眺める極楽浄土とは
まさに この様(さま)であろうか…
盆地との高低差五百米は
現実に 直ぐ足元に広がっている
それは恰(あたか)も
自分が五百米上空に浮かんでいるかの様な
何とも不思議な光景に包まれる瞬間
でもあった
その表現以外 私には…
目の前の情景に
どんなに心焦がそうとも
適当な言葉を見付けることは 出来ない
あと 十日も過ぎたならば
遅まきながら…
伊那谷も甲斐の郷も
艶やかであり 華やかな
そして気が付けば 次の瞬間には
淡く儚げであろう
日本人の こころの花々…
さくらの彩で 満たされることだろう…
蓼科山と美ヶ原