映画少年時代に見る心の旅路 夢はつまり 想い出のあとさき…
武と進二
大東亜戦争に於ける末期
戦況の悪化に伴い
想像を絶する頻度での
米軍による本土空襲の渦の中
民間人に対する無差別殺戮の意図を
充分に 把握出来た時点で
子供たちを守るべく 学童疎開が始まった
そこには 副産物であるにも関わらず
日本人の心の奥底に
最たる記憶として 永遠に生き続ける
心の旅路が 数多(あまた)残された…
所謂 苦しい中 悲しみの中
健気に明るく 精一杯生き抜いた証が
そこには 確かにあった
人が他人を思い遣る心 絆があった…
それにしても 富山から望む立山は
何と凛々しいことか…
随分前のことだが
戦時中 未だ幼かった位の年代の人々が
感極まった映画
それと その主題歌があった
私は未だ 三十代前半で
カラオケも随分 楽しませて頂いた
当時のカラオケは
スナックなどで楽しむのが 一般的で
余り下手でも 逆に上手くとも
「白ける」と言った
所謂 一般庶民の 社交の場と化していた
今考えれば
何とつまらないこと だろうか
本末転倒 面倒臭い…
偶々 ではあるが
私は この曲を
周りよりも少しだけ 早く覚えた
偶然なのか…
嗚呼なんか
この曲 聴いたことあるっけ…
皆んなが未だ 認知し切っていない
ほんの束の間の 狭間の期間…
勿論 飲み屋さんでの 微熱唱
気付けば何と 周りの友人やら
他の客から やんやの喝采
ふと 周りを見れば
泪ぐんでる おっちゃん
感慨深げに 目を遠くしている 兄さんも
何だこりゃ であった…
瞬く間に 曲はヒットし
少し後には しごく 当たり前の様に
百年も前から 知っているかの様に
其処彼処(そこかしこ)で
誰もが 歌いまくっていた
勿論 話題にもなっていた
歌詞は魅力的過ぎる…
夏祭り 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様
目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて 星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき
今でも充分 魂に伝わり
タイムスリップするのに 事欠かない
曲の持っている使命とでも 言おうか
誰でも 男だったら尚更
祭りに行く時の あの 気持ちの高鳴り
それに 興奮…
全てが終わり ふと我に返って
夜空には満天の星達が
それは まるで 夢のよう…
何時かは 想い出となってしまう
そして 視点を変えて見る
そこにはもっと 大きなメッセージが あると想う
何時までも
少年と男との間を行き交い 揺れる
そんな彼等を優しく見詰め 包んでくれる
女性への 憧れである…
彼女達は母の様に 優しい姉の如く
そして まるで幼な子に接する祖母みたいに
優しく 包み込んでくれる
男女には本当に 役割分担があり
お互いを 認め合う事が
何より 大切なこと…
女性達に 敬意を表したい
これらは 飽くまで
私なりの感じ方に 過ぎないが…
最後になるが
映画「少年時代」のラスト
手を振らない たけし
理由について
世間では 喧々囂々 言われた
「 手を振れば
永遠の別れになってしまうから 」など
これも 至極 もっともであろう
しかし 別の観方も…
何気無い日々の中
二人の少年は 気付いていなかった
一緒が普通で
互いに裏切らないのが
当たり前だったから
進二が いざ 疎開から引き揚げる時
彼等は気付いてしまう
何にも代え難い 絆があったこと
信頼し合っていたこと
だから 機関車の窓から手を振る
進二を観つつ たけしは
手を振り返すよりも
全力で直立不動 手を挙げた
たけしは 進二に対し
信頼に値する友への 敬意を表したかった
そう あれは 敬礼だった…
二人とも いつまでも 観ていた
夢は つまり
想い出の あとさき…
人の絆の浪漫 より…