我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、日本人として 何とかしなければと想います。武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが降りて来てくれました。その天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を未来へ紡ぐ。

拝啓 兄ちゃん 母ちゃん 父ちゃん…懐かしき昭和の日々

f:id:toshi-kuma25317:20170124141738j:image                                          母  兄  祖母(母の生家にて)

 

貧しいなりに 皆んなが寄り添い

気持ちを寄せ合い 助け合い

 

微力ながらも出し惜しみすること無く

相手の力になろうとして 世話をやく

 

そして何時も 何気に互いの心情を察しながら 

心配もし合い

 

物珍しい食べもの 美味しそうな食べ物

誰かからの頂き物を 家族で譲り合い分け合い

 

友だちや遊び仲間たちと 分かち合い 

 

それを普通に 互いの歓びとした日常

そして 当たり前に出来た時代

 

母親の生家に何の気兼ねもせずに遊びに行けた

あの何とも言えぬ心地良さ 然も心強さよ…

 

生きて行くのに人を押し退けなくとも

飢えること無く

自分次第で何とかなると言う 有難き時節よ

 

そんな時代があった…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142306j:image                                                                   兄  宣仁  三歳

  

戦後 昭和二十年代を過ぎ

三十年代 そして四十年代初頭に掛けて…

 

生命力溢るる 日本の雄々し児 たち

 

近所のガキ大将は 面倒な奴 兼

皆んなの頼れる相談役でもある

 

仲間目線で 共に涙してくれる優しい兄

面白いことに偶には 姉もいた

 

勿論 医療など充分なものは 未だ何処にも無く

本当に悪化する前には 特効薬のペニシリン注射

で完治していた

 

後は 生きるも死ぬも その者の持つ生命力に

委ねられた そんな時代であった

 

小遣いは 日に五円から十円で

アイスやらカステイラ それにコッペパン

 

懐かしいフルタのチョコ インスタントラーメン

コロッケやメンチカツ どれも一応は買えた

 

色んな くじ引きも 一日一回は出来た…

 

しかしながら それを遣ると お菓子は買えなく

なる為

必然 選択と決断が要求される

 

子どもにとっての大いなる学びが 神様から

楽しさと共に 与えられていた

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124143842j:image                                                                        筆者  三歳                       

大人たちは週休一日が普通であり それが当たり

前だった時代…

 

皆んな 疲れは笑い飛ばしながら やり過ごした

 

これから来るはずであろう輝く未来に 夢を託し

た そうして頑張っていた 

 

子どもの遊びは多少の投資を伴ったが

豆パッチ(小さなメンコ)と

虫捕り網 魚獲り網以外の出費は 殆ど無く

 

自然の中での遊びは 本当に面白く

驚きの連続でもあり また楽しかった

 

近所の子どもたちは皆んなが 半ば兄弟の様な

時代であり

それは決して 大袈裟な表現ではなかった

 

そして我が家が 一番輝いていた時を 私は

幼いながらも ぼんやりと

 

然も 鮮明にさえ 覚えている…

 

忘れない様に 心に刻み付けていたのだと想う

 

二年と五ヶ月 私よりも年長の兄が 未だ

生きている頃の我が家は

 

矢張り 慎ましくも楽しく 希望に溢れていた

 

昭和と言う 天の岩戸が全開の明るい空気も相ま

ってか

 

水が清涼でとても美しく 空気は色が明るく躍動

感に満ち溢れていた

 

農業も盛んで 田畑には何時も 手が入り

季節ごとの彩を蓄え 当たり前の風物詩として

 

皆んなの感性を 和ませてくれた

 

里山にも雑木林にも竹林にも 人の手が入り

想いがそこいら中に 満ち溢れていた

 

貧しいながらも 家族が元気に過ごし

母ちゃんも父ちゃんも

 

兄ちゃんと自分に それなりに美味いものを

配ってくれていた様に 覚えている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142541j:image                                                  兄  三歳  近所の友だちと

 

国道四号線が近くを通って間も無く だった

 

母ちゃんと一緒に芹を採りに行って来てから

さっきまで一緒に自宅の部屋にいた兄ちゃんが

 

突然帰って来なかった…

 

酔っ払い運転の三輪車に跳ね飛ばされ 亡くなった

四歳と七ヶ月だった

 

兄ちゃんの決めて来たことにせよ

 

兄ちゃん それに母ちゃんと父ちゃんの気持ちを

考えると 今でも切なくなる…

 

我が家は その後直ぐに 同じ町内の川向いに出

来た 木造一戸建ての町営住宅に引っ越した

 

昭和ノスタルジーの代名詞 木造一戸建ては

小さいが良い雰囲気に包まれていた

 

果樹畑や丘や雑木林など 豊かな風物詩との

絶妙な融合は

幼いながらも充分に 堪能出来るものであった

 

突然の公営住宅入居については

 

我が家は一度 落選したが

入居予定者にキャンセルが出た為の 繰り上げ当

選だったらしい

 

近くの学校に勤務する教員の方が

転勤の動向次第で入居すべく 押さえていた為だ

った とのこと

 

いつの時代も公務員権益とは 本当に勝手なもの

である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142637j:image                                                                筆者 三歳  父と

 

私は 自らの魂の遍歴を知っていると言うことが

特殊な能力とは 全く想わないし

 

出来れば その様な能力は 極力無い方が

楽に生きることが出来たのではないか とも想う

 

もしも 自らの過去生がとても印象に深いもので

あったにせよ

それがどんなに 共感出来るものであったにせよ

 

私は今 この世を生きている

 

兄ちゃんと 母ちゃんと 父ちゃんと過ごした

幼い日のことは 何にも代え難い 宝物である

 

皆んな もう亡くなってしまったが…

 

三人に対する感謝とか懐かしさは

どんなことがあろうとも いつ迄も色褪せること

は無い

 

 

遅くに授かった 一人娘が今春 大学に行く…

 

恐らくは 年に数回しか会うことが出来無いであ

ろう 遠くに行く…

 

妻と二人の生活に戻ることが 直ぐ目の前にある

 

幼少の頃に 遥か遠くに見えていた未来が

そこに 訪れている様でもある

 

 

拝啓 異人たちよ…

 

束の間のときを 私の為に費やしてくれた

その心に 今改めて 深き感謝を捧げたい

 

これからも いつ迄も 永遠(とわ)に…

 

 

 

             懐かしき昭和三十年代前半に於ける

                お世話になった異人たちとの日々 より…

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170124145415j:image                 大好きな ミレーの晩鐘(アンジェラスの鐘)