松島讃歌…或る 昭和の 忘れ難き日
仙台駅構内の仙石線
仙石線に乗って 松島へ行った
三歳の私にとって 人生初の遠出であった
海が大きいかどうか とても興味があったし
それは 自分の中では この旅の最大のテーマでもあった
車窓越しに見える海は
私にとっては勿論 初めて見る海…
年齢的なものと言うより 恐らくは
持って生まれた 性格なのか
何故か 驚きが全く無かったことを記憶する
幼い私が驚くのを 楽しみに
連れて行ってくれた両親に対して
今想えばではあるが 甚だ遅れ馳せながら…
愛想の無い反応しか出来なかった 気恥ずかしさと
在り来たりだが 感謝の気持ちで 一杯である…
これは 光り輝く昭和三十年代の
人々が 未だ未だ 希望に満ち溢れていた時節の
私にとっての特別な一日の 記憶である…
現在の松島
三歳のとき 両親と一緒に松島へ行った
三歳も ふた月み月は過ぎていたので
この頃の記憶に残っているものは 些か鮮明である
しかし 伊達駅から仙台駅までの記憶は 全く無い
覚えているのは 松島に着いて水族館を観たこと
遊園地で飛行機に乗って 下にいる母親に手を振ったら
あの愛想の薄い母親が満面の笑みで 思いっきり
手を振っていたこと
松島から仙台駅に戻る汽車の中
父親が満足気に 私に話し掛けた時のこと
「 おい としのり… 海はでっかいだろう びっくりしたか 」
私が想ったままに言ってしまったこと
「 なーんだ こんなの海かい 沼だよない つまらねえ 」
子供ゆえの滑稽さ なのだろうか…
汽車の中の大人たちに 受けてしまった
「 お兄ちゃん そんなこと言ってだめよ
お父さんもお母さんも がっかりするからね 」
どこぞの おばちゃんが 優しく言ってくれたこと…
皆んなで和みながら仙台駅に着いた
しかしその後 仙台駅での待ち時間が長くて 大変
だったこと
昔の仙台駅
当時は何と何と 全てが蒸気機関車
エアコンどころか 冷房さえも当たり前に無いので
汽車の窓は全開…
仙台駅の構内やホームには 沢山の汽車たちが停車を
していて どれかが走り出した
煙いのなんのって それはもう凄いものだった
そして 駅弁売りが
「 えー べーんとー べんとべんとー
べーんとー だよっ 」
多分これで間違い無かったかと 記憶する
買ってもらった
巻き寿司を 買ってもらった…
自分が知っている海苔巻きとは違って
真ん中には色々な具が入っていて 驚いた
見たことが無い
海苔の代わりに 玉子焼きで巻いてあった
美味かった…
その内にまた そこいらの汽車が走り出し
真っ黒い煙をモクモクと掛けられる
私は負けじと 巻き寿司にかぶりつく…
昭和の駅弁売り風景
仙台駅を後にする時 私はもう 眠りに就いていた
不便さも一種の贅沢だとか 別の楽しみであるとか
考え方は色々あるとは想うが 私はこう考える
当時は不便だった
色々思い通りにならないのが 普通…
その中に ほんの少しの便利さだとか
微々たる快適さだとか
美味いものを食べれる幸せだとか
ほんの少しの贅沢や満足を
探すこと自体が 幸せであった…
だから 助け合うことが当たり前に出来たし
互いに満足を知り 幸せをしっかり見詰め
それを感じ合うことさえも 出来た
蒸気機関車が消えてから
右肩上がりで SL人気が上昇し 今では高値安定…
今の時代の 数多のSLファンたちには
到底味わえ無いであろう 飛び切りの贅沢を
日常の暮らしの中で
貧しい時代に
私は沢山 味わえたのである…
長いモクモクと 大きな沼 そして玉子巻き
とある昭和の日に於ける 心の浪漫 より…
昔の仙台駅と蒸気機関車