スターダスト 昭和の或る日曜日の夕方…
日曜日の夕方
子供達は消えた
大人達も辺りを伺いながら
いつの間にか消えた
そして私も
自宅のテレビの前に
皆んな 消えた…
子供時分の事なので
詳細は余り覚えていない
双子のデュオ「 ザ・ピーナッツ 」の
妹さんが亡くなられたと知ったとき
未だ七十代半ばであったことと
双子のお姉さんの方も
数年前に亡くなられた記憶も併せ
お二人共 逝くのが少し早かったかな
と言う想いもある
我が家にテレビが来てくれた時に
「 シャボン玉ホリデー 」と言う
一世を風靡したバラエティ番組は既に
放送されていた
昭和三十六年六月四日が初放送
私が四歳半のとき
勿論 遊ぶことが仕事の頃…
近所で唯一 テレビのあるお宅に
遊びに行き テレビも見せて貰っていた
私より九歳年上の長男
七歳上の二男 四歳上の末の三男
このご兄弟にはお世話になった
想い出す…
そのお宅では 彼の
「 シャボン玉ホリデー 」も見せて頂いた
内容は 訳が解ら無いのだが
小さい子どもながら
兎に角ブラウン管に映る色々な画像が
不思議で仕方なく
また興奮もしていた
それから一年位の間に
近所中にテレビが訪れた
我が家は早い方では無かった
それでも
ビクターのテレビが
足付き 瀬戸物の犬付きで来てくれた
今のテレビよりもずっと美しく
存在感があった
当時は勿論 「 白黒 」…
幼稚園 小学校となり
毎日が遊び三昧の日々の中
当時はどこの親たちも
「 勉強しろよ 」と言う時代
しかしそれは殆どが
近所中に対する
只のデモンストレーションだった
時の風潮が高度経済成長の最中
未来志向であった為か
「 当家は勉強をする子供に理解がある 」
と言うことを
周りに対しアピールしていた訳である
そんな事は子供心に皆んな判っていた
暗黙の了解で親も子も
皆んなが受け流していた
奇っ怪だが ブラックユーモア的な
面白い時代であった
そんな訳で勉強などそっちのけで
平日でも遊び三昧
日曜日ともなれば尚更
の筈なのだが
違っていた…
日曜日の夕方になると
皆んなスーッと潮が引く様に
居なくなった どこかへ
逆に 残って遊んでいる奴は
どこか変わった奴と思われていた
そう記憶している
理由はたったひとつ
「 シャボン玉ホリデー 」を見る為である
小学生になるとある程度意味も解るし
クレージー・キャッツのコントにも
芯から爆笑出来た
この三人は可笑しかった
いつの頃からか 毎回出ていた
それに何と言っても
主役は ザ・ピーナッツ
歌がメチャクチャ上手かった
子供心にも本当にウマイと思った
くどい様だが 本当に上手かった
特にシルビー・バルタンの
「 あなたのとりこ 」
これは私の中で 絶賛であった
そしてエンディング
ガス燈が雰囲気を創り上げ
霧をまとった演出が
哀愁を醸し出している
そしてムード音楽をギターが奏でる…
ザ・ピーナッツの妹さんの記事に触れ
改めて 番組内容を確認してみた
今迄 ずーっと…
夕方六時から一時間の番組だと
勝手に記憶していたが
どうやら六時半から
三十分間の放送だった様だ
内容が子供心にも満足するものであり
充分に満たされた気分になれたのだろうか
そしてエンディングの又エンディングが
あった
ザ・ピーナッツが歌う
私の記憶だと 確か…
「 リズムに乗せて 運んで来るのね
ホリデー ホリデー シャボン玉
シャボン玉 ホリデー〜〜 」
更に 牛の鳴き声の「 モ〜〜 」
が こだまして全終了であった
絶妙だった…
全然ダサさなど無い
お洒落で素敵な演出であった
ハイセンスなプロミュージシャン
エスコート役のクレージー・キャッツ
共に 洗練されていた
今 この様な番組は無い
何より 視聴者を楽しい気分にさせ
スポンサーの意向をも 絶妙にそっと入れる
観ている者に幸福感と
次週までの哀愁をもプレゼントする
そう 全てに対する
気配りがあったのだと解り
今改めて 絶賛させて頂いた
昭和の良き時代を駆け抜け
哀愁と浪漫 それに笑いと安らぎ
明日への活力をくれた
シャボン玉ホリデーに携わった皆様に
ありがとうと言いたい…
サンキュー
スターダスト…
昭和浪漫…
日曜日の夕方の あの風物詩を
私は 忘れない