自然と生活圏とが入り交じる融合美 独歩とともに武蔵野を見る…
武蔵野 情景 画
飽くまで 個人的な好みで言えば
私が最も好きな景色は 街場に隣接している郊外
である
河岸や丘陵地などがあれば 尚更 心焦がれる
その中でも都心の郊外である武蔵野は
私の中に於いては かなり魅力的なところと言える
抑え気味に言ってしまったが直接的に言えば
私は武蔵野が好きである
国木田独歩の随筆に触れ そして その情景は勿
論のこと風物詩に焦がれ
宿泊がてら ひとりで何度も足を運んだ
街と自然とが絶妙に交じり合って その境目が見
当たらない
正に 入り交じるとは このことであろうか…
街が自然の一部となり また自然が街の延長上にある
武蔵野の はやし
独歩が 今の武蔵野の姿に大きな影響を与えてい
るのは 紛れも無く確かなことであり
ひとりの随筆家が この様な形で
街づくりは勿論のこと
周辺の自然と人間社会との関わり方にまで
その想いの息吹を吹き込めるということは
余りにも稀なことでは ないだろうか
国木田独歩「武蔵野 」より 次にお届けしたい
『 武蔵野を除いて日本に このやうな処が どこにあるか
北海道の原野には むろんのこと 奈須野にもない
そのほか どこにあるか
林と野とが かくもよく入り乱れて
生活と自然とが このやうに密接している処が
どこにあるか 』
これは 明治の随筆家 国木田独歩 執筆「武蔵野 」から
の ほんの短い抜粋である
武蔵野の はやし
独歩は 都市からそう遠くない
人間の生活圏と自然とが入り交じる田園地帯として
新時代の武蔵野を描き出そうとした
そして武蔵野を主題として その風景美と詩趣を
描察した
そこには関東平野の 阻害するものの無い あの広がり
が起因しているのかも知れない
中央線を高尾山に向かい 一気に広がりが増す
私が若き頃も また四十年後の今も
あの広がりが 郷愁を誘い
都会に近い「粋で洒落た」雰囲気をも醸し出す
明治は勿論のこと 大正期にも
独歩の「武蔵野 」は影響を与え
後世の武蔵野のイメージ形成に多大なる彩りを添えた
様である
子どもとのひととき 独歩
文化とは かくも その時代は勿論のこと
時として若者達に 向上心までをも もたらす
大正期の青年達が 詩歌や文学に勤しみ
芸術を愛し 常に心を清涼に保ちつつ 教養を身に付け
ものの哀れを知る様になる
彼らは知的であり道徳心のみならず
想い遣りの延長にある潔い心
つまり武士道までをも 束の間に身に付けた
それは正に 我が国再生に於いての ある意味 真の
切っ掛けだった感が 否めない
再度 「武蔵野」の抜粋である…
『 昔の武蔵野は 萱原のはてなき光景をもって
絶頂の美を鳴らしてゐたやうに いひ伝えてあるが
今の武蔵野は はやし(里山の雑木林)である 』
関東平野の広がりの中に かつて
自然と生活圏との融合する理想郷を 見詰め続けた
あの 独歩の碑が ある…
武蔵野を こよなく愛した
或る随筆家の浪漫 より…