我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

本当の日本を未来へ伝える その壱…

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日本にまつわる古くからの 様々な出来事を考えた

時に 何とも摩訶不思議な気持ちにならざるを得ない

 

比較的分かり易い中世以降の歴史でさえも

様々な為政者の思惑が入り交じり 本当の歴史は甚だ

分かりづらい

 

況してやそれ以前の事柄ともなれば 幾重にも様々な

脚色やらフェイクやらフェイントが入り混じり 紐解く

ことが難しい

 

古来から続く自国の仕組みを 最低限知るべきであり

また直視すべき時も そろそろ来ているのではないだろ

うか

 

歴史 特に日本史の摩訶不思議な流れに対し 一風変わっ

た視点の在り方を 敢えて心掛けてみたいと想う理由も

この辺りにある

 

現代の日本人が想い描く縄文時代とは 恐らくは石器時

代の延長に他ならないであろう

 

私自身 学校で教わった内容も 色々な本や資料を見て

も 詳しい情報など何処にも無く

 

縄文時代は一様に 原始時代の最終章の様な時代として

片付けられてしまい うやむやであった

 

しかし 果たしてそうなのだろうか…

我が国 日本に於ける超古代文明 所謂 縄文文明とは

 

ひとつの大いなる秀れた文明であった と言うことが真

実であろう…

 

況してや エネルギーを自在に操れるほどに 本当に秀

れた文明であった

 

悠久の縄文文明と共にあった穏やかな古代日本と

今もその文明を受け継いでいる末裔が 縄文人の気質を

そのままに 控え目にしている姿を見るにつけ

 

かつて宇宙の真理に沿いながら穏やかに繁栄した 古代

王朝の在り方が偲ばれる

 

 

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今尚 周りから搾取されるがままでありながらも

縄文の民 ブルーカラーの日本人が決して争いを好まな

いと言う事実と

 

地球上 他には類を見ないであろう 

彼らの持つ平和への普遍的本質 更には魂の根本とが

 

縄文と言う 元よりの地球人(日本人)の成り立ちの

原点から 

脈々と流れていることを 知らされる

 

古来の地球人は皆一様に 神々と共に生きる宇宙的で

平和的な暮らし方を当たり前のこととし 好んでおり

 

そこに暮らす民が 宇宙と言う神々と寄り添う為に絶対

的バイブルとし 魂に護持していた宇宙哲学

そして それを具現化した古神道(こしんとう)

 

所謂 神々と交わした 普遍の誓いとしての古神道とは

一体 如何なるものだったのか

些か 興味は尽きない…

 

また 古神道と言葉の使い方が少し異なるだけで  その

本質はつい 同義と想われがちな日本神道

 

恐らくは邪馬台国終焉の後 空白の百五十年と言われる

時を経て広まった 日本神道

大和朝廷成立の頃より盛んに擁護され拡散された 


そして今 私たちが氏子として 日頃より日本神道に親

しんでいる

 

弘法大師空海が護持し大陸から持ち帰った 口伝の密教

たる真の密教についても

 

その本質と日本へ伝わった経路についても何故か はっ

きりと世に拡散されていないことも

些か 不思議と言わざるを得ない…

 

 

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想うに 宇宙的高次元なところに於いて 予め決まって

いたであろう 

玄奘三蔵 智通 空海による真の密教の橋渡しには  ど

んな意味があるのか

 

古き良き日本人が携える 神に寄り添った内面こそが 

宇宙そのものと共鳴をし 宇宙の真理を具現化すること

そして不思議で深遠なる魅力を 醸し出すことも出来る

 

本当の日本 所謂我が国の歴史に於ける肝心で深淵なる

部分とは一体何か…

 

それを知ることは

 

穏やかな気質ゆえに 余りにも知らないことが多過ぎる

或る意味素直で方向性の定まら無い 私たち日本人にと

っては 本当に必要なことと想えて仕方が無い

 

知らないことが当たり前であり ややもすれば美徳であ

るかの様な 

 

戦後に於ける 日本人の気質を隅々まで測量し尽くした

者たちに依る あらゆる統制…

 

自在さの無い悲しき考え方の根本(こんぽん)がある

限り 私たち日本人は何処まで行っても 

自らの意思では 何も解決出来はしない

 

行き着く先が余りにも漠然とした人生を 送らざるを得

ないのではないだろうか

 

私たち人間は 本来知性を持っており 自分の意思で

大いなるものからの情報を収集し 自らの力で判断をし 

自らの生を全うする

そう言うものではないだろうか…

 

そのことを踏まえながら 序章から本論へと入らせて頂

きたい

 

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人類は宇宙を旅し 神の意思を伝えるべく存在する様に

想える

 

通常どの恒星系を見ても宇宙の民は神と共に生き 宇宙

的で平和的な生き方をしている

 

太陽系はついこの間まで 冥王星がカットされて

水 金 地 火 木 土 天 海 の8惑星とされたばかりの筈…

 

しかし宇宙はどの恒星系をみても 12の惑星から成っ

ていると言うのが どうやら真実の様である

 

そこには生命に満ち溢れた輝きがあり 神たる宇宙の

生命の活動がある

 

地球に於いて超古代文明は 今から約20万年前から或い

は12万年前から始まったとも言われる

 

天変地異 事には氷河期などが訪れて幾度かのリセット

を止む無くされた

 

遡ると 最も新しい最後の氷河期である

ウルム氷河期が終わったのが 

今から 約1万5,000年前…

 

幾度目かのリセットがなされ 

新たなる石器時代から始まった人類とは  どの様な

ものだったのか…

 

私が幼少の頃から今迄 科学的見地からすれば相当な

進歩を遂げたにも拘らず

 

これはその他の超古代文明についても 全く同じことが

言えるのであるが

 

考古学的発表に於いては何ら進展しておらず

今でも半ば 夢物語的な扱いをされている

ムー大陸アトランティス大陸

 

ムーやアトランティスからの生き残りの人類である彼

らは 確かに宇宙的な文明を持っていた

 

それは自然と共に神と共に生きる古代文明であり

古代日本に於ける縄文文明こそが正に それに当たる

 

 


                                                   その弐へと 続く…

 

 

 

                   このテーマにつきましては

                   続き投稿が 何時になるかは分かりませんが

                        必ずや 宇宙と歴史の浪漫へと

                        何れ ご一緒させて頂きたいと想います…

 

 

 

 

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