我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

高子城址亀岡八幡様 旧暦八月十五日 祭り

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平成三十年九月二十四日

昼下がり

 

 

妻の仕事で行った

郡山の帰り

 

 

福島へ戻ってからの

自宅への帰路は

 

立ち寄り先の所在に沿いながら

予定していた訳でも無く

 

伊達市上保原(かみほばら)の

高子(たかこ)経由となる

 

 

 

高子城址の丘(岡)の直ぐ脇を

通り過ぎるときに

祭りの旗が立っているのに気付き

 

見上げれば

斜め上の方に人影が 数人

 

 

 

幼い私が大好きだった

此の丘…

 

山頂付近に鎮座して居られる

亀岡八幡様の お祭りの様子に

 

つい 嬉しさが

 

 

 

ひと月ほど前に 私は

 

この地にずっと居られる

古(いにしえ)の方々と 

其の心と

そして沢山の残された想いと…

 

時空を超え触れ合い 心通わせ

 

帰るべき処へと

光と成り帰って行かれるのを

見届けた

 

 

 

今も尚…

 

 

仙台藩 伊達家発祥の此の丘と

丘の北側と東側に広がる人里の

安寧を見守る 

 

亀岡八幡様の真意と

 

本当の日本の在り方を

本来の人々の在り方を

後世に残してあげたいと願う

 

里の民への慈愛や

素朴な思い遣りの心を

 

甚だ鮮明に 知らされたばかり…

 

 

 

 

なだらかで柔らかく

まるで朧な夢を見る様な

 

絵本の中の如き

淡き彩の 丘の参道を

 

私は嬉しさの余り

唯 ひたすら登った

 

 

妻と共に長い参道の石段を登り終え

八幡様の社で柏手を打ち 祈り

幼き日のお礼を述べ

 

 

気が付けば…

 

 

 

社の方から声がして

 

私よりは年長の男女数人の方々が

声を掛けてくれた

 

 

上がって

休んで行ってください と…

 

 

 

 

七十代の御仁が三人

そして 其の奥様たちが三人

 

色んな話をして下さり

 

 

 

ひと月ほど前に 丁度

私が把握出来たところの

此の地にまつわる様々な事柄や

 

 

高子地区に住まわれる

社のお膝元に永く続く氏子さんたち

全 六軒の方々の

 

秘めた特別な話も 盛り沢山

 

聞かせていただいた

 

 

 

奥様方の心を込めた

赤飯 けんちん汁をはじめ

 

数々の美味しい手料理を

腹一杯 御馳走になり

 

 

勿論 お神酒も…

 

 

久しぶりに 私は 夢心地であった

 

 

 

 

伊達家初代 朝宗様の話

 

十七代 伊達政宗様のこと

 

越後 上杉謙信様が此の辺りの土地柄と

どの様に関わっていたかの詳細について

 

 

などなど…

 

 

 

 

近頃 私と妻が

ご縁ある御神体様たちから呼ばれ

赴いた

 

一連の出来ごとの数々…

 

 

 

宮城の塩竈(しおがま)神社 様    

紫波彦(しわひこ)神社 様

 

同じく 青麻(あおそ)神社 様と

其の山神社 様

 

仙台 青葉城伊達政宗 様と

護国神社

 

宮城 岩沼の金蛇水神社 様たる

瀬織津姫

 

 

更には 米澤の上杉神社 様と

春日神社 様

 

 

私の家系が天災回避を始め

日常の萬の御祈願をさせていただいた

古くからの氏神様たる

旧伏黒村の羽山(はやま)神社 様

 

 

熱田神宮 様の分霊であり

田村麿が直に祀ったとされる

私の家系の戦さの守り神であり

古くからのもう一つの氏神様たる

旧伊達町 長岡郷の熱田神社

 

 

二歳の時 我が家が

長岡郷から伏黒郷に移り

私が幼少期に日頃から世話を掛けた

産土神様たる

天之御中主神様 高龗神様 闇龗神様を

御祭神とする水雲神社 様

 

 

福島県相馬市の相馬中村神社 様

 

 

信州の諏訪大社 様  四社様

 

 

遠野の早池峰神社

 

 

秋田の唐松神社 様

 

 

山形 南陽熊野神社

 

 

山形 鶴岡の出羽三山神社

 

 

茨城の高祖皇太神宮 様

御岩神社 様

平将門様が御祭神の国王神社 様

 

 

加賀の

瀬織津姫(せおりつひめ)神社 様

白山比咩(しらやまひめ)神社 様

と奥宮 様

 

 

娘の親友である

出雲国の大いなる能力者からの

御縁が今も紡ぐ 

出雲国 須佐神社

 

 

青森 戸来が丘のイエス

弟のイスキリ 様と聖母マリア 様 

ミユ子 のこと

 

 

岩手二戸の金田一温泉

心の友 親愛なる亀麿 ちゃん

 

 

そして 寺院になるが

 

 

神楽坂 善国寺の毘沙門天

 

上野広小路 徳大寺の摩利支天 様

 

山形 金勝寺の摩利支天 様

 

福島市の中野不動尊

 

江東区富岡の深川不動尊

 

仙台 秋保の秋保大滝不動尊 様

 

更には…

 

偉大なる坂東武

平将門 様と心通わせて頂いた

茨城の延命院 様

 

 

 

 

私が 今現在…

 

此の国を護る

尊い御神体 様たちの元で

意思の疎通をさせていただいている

 

大いなる先人たちのことばかりが

何故か…

 

世の中に不可欠なものだからか

 

神々様の御意志のままに

今此のとき

 

 

御仁たち 奥様たち

此の社の氏子様たちの話題として

のぼる

 

 

 

 

氏子様たちの

心温まる歓迎 は

単に 一期一会では無く

 

人が心から人をもてなし

それを紡いで行き

これから実りて行く必然性をも

 

しっかりと

心に刻み付けるものだった

 

 

 

胸が温かくなり それが体を巡り

私の体外へも大いに広がって行く

 

 

 

人の優しさとは

人の真心とは

 

そして 神々と共に生きるとは…

 

 

 

 

八幡 様についてだが

 

私たち日本人がどれほど

認識しているのか…

 

私は 此の国の人々に

本当の歴史と言うものを

 

もっと 知って欲しいと想う

 

 

願わくば 自分の足元を

より しっかりと見て欲しい

 

 

 

たった七十数年前のこと

 

大正生まれの若者たちが

命を捨てて守り抜いた 此の国を

 

ことごとく

駄目にして良い訳が 無い

 

先人たちの真心を無にして良い道理など

どこにも無い

 

 

 

いつも其の様に

私は 願って止まない

 

 

 

 

八幡 様とは…

 

 

古代日本 縄文の世から

日本全国 津々浦々

 

瀬織津姫(せおりつひめ)様 たる

白山菊籬姫(はくさんくくりひめ)様

別名 白山姫(しらやまひめ)様

が祀られていた処に

 

何故か八幡 様は位置する

 

 

 

ことの成り立ちについては

詳細とまでは行かないが

 

触りだけでも

簡単に 述べてみたいと想う

 

 

 

かつて…

 

太陽系宇宙から降ろされた者たち

十二支族

 

 

彼らエゴが強く 

其の考え方の癖を直すと言う学びの為に

地球に遣って来た十二支族の内

 

直接 古代日本へと来た者たち十支族

 

 

また 同種の者たちで

パミール地方に降ろされ

 

天族(あまぞく)として

陸路と海路の二手に分かれて

九州と出雲国へ入って来た者たち

 

 

そして 同種の者たちで

今で言う中東に降ろされた十二支族

 

西暦七百年頃にシルクロード経由で

二支族を残し

既に古代日本に住み着いている

同胞十支族を頼りに逃れて来た者たち

十支族

 

 

其れらとは別に

 

古代東ローマ始め

ユーラシア大陸から

東北と北陸へ渡って来た者たち

 

 

古代エジプトから

新羅(しらぎ)経由で

北九州へと渡来した者たち

 

 

此れら 太陽派の渡来人たちが

元より 月の元での暮らしに生きる

古代日本へと移り住み

 

自分たちの絶対神

ヤハウェ 様を祀るときに

 

 

古代縄文 白山王朝の象徴として

全国に広まっていた

白山菊理姫 様が祀られている処に

祀ったのである

 

 

菊理姫 様の大いなる御霊の内のひとつ

ヤハウェ

所謂 八幡 様として…

 

 

 

故に 其々の場所は

古代縄文の根本を

礎にしっかりと秘めながら

 

今日でも

其の広がりを失ってはいない

 

 

 

そもそも神とは宇宙の真理であり

法則であり

 

はたまた人間の生き方の導であり

其の息吹でもある

 

 

 

様々な御神体様たちは

人々と其れ等を繋ぐ存在であり

 

神さまと呼ぶものは

そもそも ひとつなのである

 

 

入り口は違えど 神さまとは

宇宙の真理であり法則でもあり

全て同じ処に辿り着く

たった ひとつの存在 

 

 

私はいつも そう想っている

 

 

 

 

話を戻したいと想う

 

 

 

因みに

高子城址の八幡 様は

 

伊達家十七代 政宗 様によって

 

同じ御霊が仙台市の亀岡町にも

祀られている

 

 

然しながら 

 

時の流れに依るものなのか

大きくきらびやかになればなるほど

源を忘れて仕舞う 世の常か…

 

現実 二つの社は別ものとしての路を

歩んでいる

 

 

 

 

氏子さんたちとの

楽しいひとときを過ごし

 

社をお暇するときに

 

 

 

この社に奉納する

絵の募集を 来年に行うので

 

貴方も奉納して欲しいと言われた

 

 

 

画家の私としては

とても嬉しい話であった

 

 

八幡 様から迎え入れていただいた

事実の大きさを

 

改めて感じることが出来た

 

 

 

私は六十年と少し生きているが

 

神さまからの心遣いが

こんなにも 嬉しいものだとは…

 

 

今生に生まれて良かったと

想えた 瞬間でもあった

 

 

 

 

 

 

「 高子城址の丘 」

 

 

 

爽やかなるときも

厳しきときも

 

里山

桃花の息吹が芳しく

 

 

いにしえの人の想いが

 

春を待ち

生きものたちの足音を待ち

 

咲き乱れる

 

 

 

此の地に集いて楽しげな

 

人のこころの安寧を

 

いつまでも いつまでも願う

 

 

 

新しい国造りとは

 

民の心に宿る

 

優しき 月の 灯りかな…

 

 

 

 

 

 

 

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