我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

「遠野物語」から映画「河童」へ… 日本人に於ける約束とは

f:id:toshi-kuma25317:20170206020533j:image                                                                           遠野にて

  

民俗学者であり作家の 柳田國男収筆「遠野物語」と

楽家であり映画監督の 石井竜也監督の映画作品

「河童」…

 

この二つの作品をモチーフとして

 

私が今迄 ただ漠然と感じていたことに留まらず

この度改めて 心の奥底で感じ切ったことを

 

詳細に そして有りのままに 綴ってみました

 

双方とも極めて 深遠なる内容のものであり

必然 記事も長めになりましたが…

 

岩手県遠野と言う 遥か古(いにしえ)より続く

様々な意味に於いて風光明媚な土地柄に根差す

「ひとの想い」と言う 永遠の浪漫

 

是非に触れて頂きたいと 切に願っております…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020610j:image                                                                           遠野夜景

 

舞台は昭和二十ハ年の田舎

病床の身を推して故郷に帰る 主人公

 

子供の頃の忘れ得ぬ 家族との想い出と

幼い河童との約束を 心に抱きつつ…

 

 

私の中での 河童は何故か「真正直で純粋な

日本人」そのもの…

強引にも 重なり合う

 

「約束」は 日本人にとっては至極 当り前のこと

それが魂と魂とを繋ぎ 互いの穏やかなる記憶を紡ぐ 

何より大切なもの

 

それは まるで ひだまりの様…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020847j:image                                          映画河童のワンシーン 祖父と

 

              「ひだまり」

 

遠い記憶を 辿り行けば 

そこに 懐かしい笑顔

 

深い深い心の奥で 今も生きる

あなたのことは いつ迄も忘れない

 

あなたが残してくれた 想い出たち

赤く赤く沈む夕日は 胸を染めた

 

もう一度 せめてもう一度

逢えるなら 伝えたいことがあるんだ

今 素直になって

 

もしもいつか あなたのもとへ

行く日が 訪れたなら

青い青い 丘の小径で 逢える気がする

 

走り抜けた月日を越え その胸に

抱かれて いつまでも夢を漂っていたい

 

そよぐそよぐ 草の隙間に揺れる ひだまり

今も今も あなたは僕を包む ひだまり

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020906j:image                                             北上山地の最高峰 早池峰山

  

「恰(あたか)も片仮名の へ の字に似たり」とは

柳田國男が「遠野物語」に於いて

 

北上山地の主峰 早池峰山(はやちねさん)を表した

下りである

 

早池峰には 宮沢賢治も好んで登り

この山を彼自身の童話にも 取り入れている

 

標高1,917mの大きな山で アプローチが長い

所謂 山深いのである

 

この山の麓にあり 岩手県の内陸部に位置する遠野市

一言で言えば 風光明媚な土地柄であり

 

冒頭に述べた 早池峰山を古里の守り神とし

また 山からから見た遠野の街は さしずめ 里…

 

遠野物語

柳田國男が明治四十三年に発表した

遠野地方に伝わる 逸話 伝承などを記した 説話集である

 

そして 日本の民俗学の先駆けとも 称される

 

また柳田は「妹の力」の執筆により

今で言う世俗的な使われ方とは 解釈を異にする

 

現代とは違った意味の 古代に於いての「妹」と言う

言葉…

 

近親者や配偶者となった 男性に

女性が其の霊力を分かち与え 加護を与える

妹とは そして女性とは そう言う存在であった

 

柳田は其の事についても解説をし また明言もしている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020934j:image                                                                   遠野 田園風景

  

遠野物語には 幾つかの話がある

 

一つめは…

農家の娘と 其の家で飼われていた

立派な雄馬との悲恋が切っ掛けとなり

その悲しき結末が養蚕へと繋がる「オシラサマ」

 

この「オシラサマ」とは 眼の神でもある…

 

二つめ

美味そうな馬を食べようとした 河童がいた

 

しかし馬の力が強過ぎて 淵へ引っ張り込めずに

河童は逆に引っ張られて 馬の飼主の家に持って

行かれてしまう

 

馬の飼い主の旦那に とくとく言い聞かせられて

許して貰った河童の話「河童駒引きの話」

 

三つめは

土淵の孫左衛門の家の座敷童子ざしきわらし)の話

 

多くの豪家の屋敷や蔵に住まいし

目には見え無い家の神として 昔は畏敬されていた

 

座敷童子が其の家にいる間は 家は富貴自在だが

他人にその姿が見える様になると 其の家は忽(たち

ま)ち衰退し 

幸運は他家に移る と語られる…

 

其れ等は まるで夢物語を聴いているとしか思えない

何と表現して良いのやら ぴんと来ないのが 正直な

ところである

 

しかしながら その反面 不思議でもある

私自身の本当の心の奥底では

文化人類学に近くて遠い この物語を信じて止まない

自分が居る…

 

特に 疑ってなど いない

脈々と流れる日本人の血が そうさせるのか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021028j:image                                                                           遠野にて

  

古神道や日本神道 

そして 古来よりの日本の神話

古(いにしえ)より伝わる 様々な説話

この日本という國は何と 奥が深いことか…

 

元より此の國の民は 嘘をつくことを 良しと

しない

寧(むし)ろ 恥と考えている様だ

 

其れら 日本の風土と文化 そして特質を私は

どんな時にも 信頼している

 

 

河童の話で想い出す…

 

二十数年前になるが 石井竜也監督の映画作品

「河童」を観て

日本人の神との関わり方を まざまざと見せ付けられた

 

既に成人した息子のいる 主人公…

其の報道カメラマンの中年男性が 暫くぶりに海外から

帰る

 

彼は 小学生ぐらいの時にハーモニカが切っ掛けで知り

合った河童の子供と

 

ある約束をした事が

心の奥の 遠くて深いところに ずっと引っ掛かっていた

 

悲しいかなそれは 少年にとっては忘れてしまう程の

何の変哲も無い 日常の一言だった

 

「テン また来るからな 待ってろよ」

子河童は其れを信じて 待った

友である少年の残像を拠りどころに ずーっと待った

  

 f:id:toshi-kuma25317:20170206021121j:image                                                            少年と子河童テン

  

この 子河童は 少年と知り合った頃に

母河童を亡くしていた

 

主人公の男性が この少年だった頃

少年の自宅から友達宅への 道の途中にある

天神沼で 悲劇は起こった

 

天神沼… 所謂この河童沼が怖くて

家に帰れないと言う友達に 仕方無く少年が貸した

バット

 

天神沼の脇を通る時に

母河童が誤って立ててしまった物音に びっくりした

その友達が

 

音がした所へ思わず バットを投げ付け

其れが母河童の頭に ぶつかってしまう

そして母河童は 酷く苦しんで 亡くなってしまう

 

其の事をテンは知っていた 全て観ていたのである

激怒した父河童を 子河童のテンは押さえ そして説得

した

あれは 故意では無かったと…

 

河童は能力が高い テンは真実を知っていた

勿論 子供たち各自の 其々(それぞれ)の心根も

だからテンは その中でも純粋な 主人公の少年を庇った

 

テンは少年と心を通わせ 自らの中で 信頼出来る友と

していた

だから 少年の友達をも 庇った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021155j:image                                                河童沼と言われる 天神沼

  

しかし 悪い事は続いた…

村人達が河童を捕まえようとして 発破を仕掛ける

 

其の時 子河童テンの説得を受け入れた

父河童の悲しみの念は 如何ばかりであったろうか…

 

河童親子の住んでいた洞窟は 崩れ落ちてしまう

そして テンと外界とを結ぶ道がこの時 無くなってしま

った

 

時が過ぎ…

主人公が何かと気になり訪れた 河童沼は酷く

様変わりをしていた

 

何気に主人公が 自分の父親のこと 

かつての天神沼のことを 愛する息子に話していると

何者かが昔在った筈の 河童の住み家の扉を開けた

 

主人公の男性が 自らのカバンから溢れた玉に導

かれ 洞窟の中に入ると

 

だいぶ歳をとり 容貌は変わってしまったものの

其の眼が あの時と同じだった

眼差しが 子供の頃のままだった

 

澄み切っていて 全ての悲しみと宇宙の真理を受

け入れた 美しい瞳

 

テンだった…

 

「 テン 待ってたの…


  どうしたの  ずーっと待ってたの…


  あれからずーっと  待ってたの…


  ごめんね  ごめんね  ごめんね 」

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206024720j:image                                                     年老いたテンと主人公 

  

主人公は其の時やっと 気が付いた

「約束」が人間にとって

本当は どんな意味を 持つものなのか を

 

それなのに 自分の中では どんな意味を持って

いたのか を

 

其れと同時に

テンにとっては どんな意味があったのか を

 

私が 極めて素朴な感覚で 答えるならば

約束は「全て」…

何を差し置いても 約束は「全て」なのだと 想う

 

テンは あの時から ずっと…

数十年前に会ったきり ずっと音信不通であった

数十年越しの友の 優しい言葉の投げ掛け に対し

 

其の 年老いた顔の表情が 和み

然も 旧知の友に対する 慈愛に溢れた

 

甘える様に そして愛おしむ様に

真っ直ぐな其の眼は 何も言わなくとも 

心の中で…

 

「やっと 気付いて くれたの…

  想い出して くれたの…

 

  遠い古里へ 帰らないで

  君が約束を果たしに 来てくれるのを

  待っていたよ… 

 

  でも これで帰れる

  友人である君との 約束を 果たしたからね

 

  ありがとう…

  来てくれると 信じていたよ」

 

そう言っていたに 違い無い…

 

テンとの再会を果たし かつての少年は ここで絶命する

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022405j:image                                         テンとの再会後 主人公の最期

  

映画「河童」のラストでは

寡黙で穏やかなテンが 小型の宇宙船を操り古里

へと帰って行く

 

亡くなった我が友と その愛息へ

テンなりに精一杯の別れを告げて…

私には そんな気がした

 

末期の病であった主人公は

魂の記憶を辿りながらの 人生の最期に…

 

テンとの約束を 果たす為に

この場所に 自らの意思で…

肉体という名の 自らの乗り物を 連れて来た

 

そんな 気がする…

 

 

「約束とは 自分一人のものじゃ 無い」

其れを知り 掛け替えの無い人生を終える事が出来た

主人公は 幸せだった…

 

実は 私には今の今迄 気付けなかったこと がある

此のブログを書いていて ふと気が付いた

 

主題歌の歌詞が どんな意味なのか やっと解った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206025407j:image                                                  主人公を待っていたテン

  

              「手   紙」

 

君とはなれて ひとり想う 今は元気 それとも

あの頃のままの 笑顔なら それが本当にいいね

 

別れてから ずっと考えてた やさしさとは何かを

誰のためと言う わけでも無く 愛は自分の中にある

 

全てゆだねては また待ち望み

知らずに ときは流れて

闇にさけんでも ただ風だけが 心を吹き抜ける

 

かたすみの記憶さえ この胸を迷わせる

届くあてのない この手紙を なんどもなんども

書きつづけた

 

あんなにこらえていた恋でも 今となれば 懐かしい

選んだひとだと お互いに想い込んでた あの日々

 

 

歌詞は紛れも無く テンの

友を信じて待ちわびる心だった…

 

そして私は二十数年間も この事に気付けず

 

テンの想いに対し 

 

本当に 済まない事をしたと 想う…

 

 

 

 

                              友が 約束を果たせるのを

                                          ずっと待ち続けた

                                或る幼い河童の 心の浪漫 より…

 

 

 

 

  f:id:toshi-kuma25317:20170206022457j:image                                                                       テン 旅立つ

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022507j:image                                                                       約束とは…

 

 

 

 

 

 

 

風立ちぬ…この浪漫 あなたのもとへとどきませ

f:id:toshi-kuma25317:20170205115419j:image                                                    映画「風立ちぬ」より

  

大正 昭和初期と言う

激動の時代…

 

若者たちは文学に詩歌に焦がれ

そして芸術にその眼を潤ませる…

 

自らの魂さえも呆れるほどに

然も謙虚に見詰め続け

 

いとも簡単にその答えを

心の在り方と言うものの中に

見い出すこととなる

 

ひとの為に

自らの全てを投げ出すほどに

 

彼らの精神性は

急ぎ足で極められて行く

 

浪漫に満ち溢れる中…

真正直な彼らは

本当は何を目指したかったのか

 

大正生まれの先人たちに対し


私には

敢えて贈りたい言の葉がある

 

 

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木立の向こうの彼方から

芳(かぐわ)しき

山河の香りを取り込んで

 

木洩れ日と戯れながら

この私の意識さえも虜にしてしまう

 

天使たちの優しき吐息よ…

 

 

誰が風を 見たでしょう

僕も貴女(あなた)も 見やしない 

 

けれど 木の葉を震わせて

風は 通り抜けて行く

 

風よ 翼を震わせて

貴女のもとへ とどきませ…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120606j:image                                                      堀辰雄 所縁 美しい村 

 

風立ちぬ

耳触りの良い言葉だ

 

聴いただけで空気が流れ 

微かな音がし 

そして風が通る…

 

心の目が 耳が 五感が

そして多次元の感覚さえも

 

過ぎて行くその姿を

悪戯に何時までも追うことは無い

 

 

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大正浪漫を彩った作家 堀辰雄

 

明治三十七年十二月二十ハ日

東京都 平河町に生を受ける

 

そして昭和二十ハ年五月二十ハ日

長野県 信濃追分にて死去す

 

日本の小説を 

それまでの「私小説」から

 

創るものとしての作品へと

所謂「浪漫」を確立させた小説家

である

 

これにより

彼の作家たる所以(ゆえん)は

正に 大正浪漫そのものとも言える

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115717j:image                                                                             堀辰雄

  

映画監督の宮崎駿

自身の映画作品「風立ちぬ」の中で

実在する堀越二郎の半生を描こうとした

 

堀越二郎

明治三十六年六月二十二日

群馬県 藤岡市に生まれ

 

昭和五十七年一月十一日に

七十ハ歳で亡くなっている

 

零戦零式艦上戦闘機)の設計者として

航空史に其の名を刻む堀越である…

 

映画「風立ちぬ」は言わば

 

堀越二郎の業績に刺激を受けた

鬼才 宮崎駿監督が

 

虚実を混ぜ合わせて創作した

大正から昭和に掛けての

意を決した 壮大なる物語である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115804j:image                                                                         堀越二郎

  

宮崎駿監督の父親は

 

零戦のライセンス製造

をしていていた中島飛行機

戦闘機部品を納入する為の会社

宮崎航空興学を経営していた

 

つまり宮崎監督にとって

堀越二郎と其の時代を描く

と言うことは

 

父親への想いと

自身の幼少期の憧れとを

心に刻み付けると言う事でもあった

 

そして更に言うならば

焦がれるものに届かんとする

正に 自身の持つ憧れへの旅であった

 

 

映画のメインタイトル

風立ちぬ」は勿論 

堀辰雄の同名小説に由来をする

 

宮崎監督はこの映画の製作に当たり

 

堀越二郎堀辰雄

実在したふたりを混ぜ合わせて

ひとりの主人公「二郎」像を創り上げた

 

この「二郎」を通して

フィクションとしての…

 

自身が焦がれる

精神性が異様に高く然も足早な

1,930年代の青春を描こうとしている

 

あの浪漫溢るる大正青年たちの

束の間の休息とも言える

 

悲しいほどに急ぎ足で駆け抜けようとする

青春を である…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195116j:image                                                                           堀越二郎

  

堀越二郎と言う

稀代の航空技術者を描くのに

 

堀辰雄と言う大正浪漫を代表する 

ひとりの作家の

波乱に満ちた生涯と其の作品を

採り入れると言う

 

誰しも想像がつかない事を

大胆にもやってのけている

 

 

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堀辰雄に視点を移してみたい

 

堀は母親   師  恋人  友人たちに

何故か矢継ぎ早に先立たれてしまう

 

特に母親は関東大震災

悲惨な亡くなり方をしている

 

だから堀は 何時も

自らの死の影を背負いながら

苦悩の中で静かに

生と死のモチーフを追求していた

 

そう言う小説家 であった…

 

 

堀は 室生犀星芥川龍之介に師事をする

 

しかし 師 芥川が突然の自殺 

然も婚約者 矢野綾子も看病虚しく

結核で死去す

 

そして其の後 様々な感情を抱きつつ堀は

自身に於ける綾子との生活と死別を題材に

小説「風立ちぬ」を書き上げた

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120009j:image                                                                           矢野綾子

  

余談ではあるが

群馬県にあった中島飛行機

武蔵野工場が 

 

大東亜戦争末期に

福島県福島市疎開をした

 

宮崎駿監督の映画「となりのトトロ

の中で

その主題歌「さんぽ」のモデルとなった

トトロの山こと「信夫山」…

 

街のど真ん中に

童話の世界の様に佇む山 である

 

中島飛行機

その信夫山(しのぶやま)の西側山麓に 

戦闘機部品の地下工場を建設した

勿論 極秘事項であった…

 

終戦の年 昭和二十年三月より

中島飛行機

地下工場の建設と並行して

 

航空機エンジンの生産を開始したが

僅か七台を生産したところで

敗戦を迎えてしまう

 

もしかしたら あの二千馬力

疾風(はやて)のエンジンだったのか…

 

想いは募り 尽きることは無い

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195206j:image                                  トトロの山こと信夫山の さんぽ道

  

中島飛行機

地下工場に 纏(まつ)わる話として

 

日本人なら何処かで 

聴いた事があるかも知れない

或る話が

 

私が幼少の頃の福島盆地では

マイナーながらも深遠に存在した

 

戦争が あのまま続けば 

次かその次には…

福島市原子爆弾の投下予定地に

なっていた

 

そしてその予定地たちは

日本国内に散らばる

或る氏族に所縁の拠点と一致していた

 

今となっては

事実検証のしようも無いが

 

子供時分から

周りの大人達が確かに話題にしていた

 

今 想い出しても聞き飽きる程に

密かな話題になっていたのは 

紛れも無い事実である

 

ただし その話題に触れる時

誰もが不思議な程に静かに話した

 

 

私は幼かった上に 

その時分は興味も薄く

内容まで詳しく覚えてはいない

 

皮肉にも地下工場が存在したという事実が

「其れは本当なんだよ」と

言っているかの様でもある

 

 

飽くまで 余談であるが…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120127j:image                                              武蔵野に於ける 山里の風景

  

時に 私はこのブログを綴るにつけ

とても不思議に想ったことがある

 

ひとつひとつの名前  地名

そして ひとつひとつの出来事

 

例えば 堀越二郎零戦   

 

宮崎駿監督と彼の父親の会社と

中島飛行機

 

中島飛行機零戦

 

中島飛行機武蔵野工場が

トトロの里 武蔵野から

トトロの散歩道 福島に疎開

 

航空機エンジンの地下工場建設 

そして終戦

 

沢山の点が全て線で結び付く

そして 其れ等が

ひとつの面になって行く

 

宮崎駿監督の ものを観る眼が際立つ

これは凄い…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120218j:image                                             軽井沢町 堀辰雄文学記念館

  

其処に堀辰雄の半生が

雨水の如く染み入り そして染み渡る

 

堀辰雄は戦後

昭和二十ハ年に亡くなっている

 

昭和二十年 敗戦当時の日本人は

誰しもが「死」と ある意味「潔さ」に

しっかりと

向き合っていたのでは ないだろうか

 

少なくとも敗戦後に

数多の日本国民が 豹変するまでは…

 

「自分の心を充たしているものが

死の一歩手前の存在としての 

生の不安である」

そう語る堀の 言葉の裏には

 

自身の周りの人々が 

矢継ぎ早に亡くなって行く中で

 

堀の心の内にある

元より胸を患っていると言う

自分に対する不安と

 

それでも生きたいと強く想う本音

とが 常に交差をし

また往き来していたと考える…

 

そうした堀辰雄の心の闇と

敗戦までの一途な日本人の心とが

 

死を覚悟しつつも生きたいと願う

その一点に於いて

私には重なり合って見えて来る

 

それと同時に堀が生きた戦後の八年…

 

瞬く間に様変わりをした日本人の姿は

堀辰雄の眼には

どの様に映っていたのであろうか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120242j:image                                                             堀越二郎堀辰雄

  

共に同じ時代に生まれ

浪漫溢るる青春に身を焦がした

 

ふたつの異才 堀越二郎堀辰雄

 

彼らは あの激動の時代に生まれ

何を考え そして何を想い綴ったのであろうか

 

 

潔き そして教養を愛する健気な 

 

かつての浪漫溢るる日本人たちへ

 

心を込めて この言の葉を贈りたい

 

 

ありがとう…

 

この想い あなたのもとへ とどきませ…


        

 

                       足早に そして ひとの為に

                       自らの青春を駆け抜けた 

                       気高き日本の若者たちの浪漫 を想う…

 

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170205120341j:image                                             この想い あなたのもとへ                                                                        とどきませ…

 

 

 

 

 

 

 

法華経に於ける第十二品 妙法蓮華経提婆達多品によせて… 分かり易く そのエッセンスを お伝えします

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この度は「 法華経 」の中の 第十二品

所謂「 妙法蓮華経提婆達多品第十二 」に

ついて

 

出来るだけ簡単に 然も分かり易く

私の色々な経験を踏まえつつ

お伝えしたいと想います

 

 

お釈迦さまが説かれた数々の教典の中で

最後に説かれた「 法華経 」と「 涅槃経 」

 

この二つの教典に於いて 初めて

「 女性の成仏 」「 悪人の成仏 」

「 一闡提(いっせんだい)の成仏 」が

明かされるのです

 

仏教の中の醍醐味である 

この二つの教典に於いて

お釈迦さまは この大いなる教えを

初めて 明かされたのでした

 

 

因みに「 一闡提 」を

分かり易くお伝えすると

 

仏性(仏の種)を 命に具えないが為

所謂 正法(信仰・仏道修行)に対して

 

批判的または 信仰そのものに対して

嫌悪感を抱いてしまう様な人(命)

と言う意味です

 

私が皆さんに是非 覚えておかれる事を

お勧めしたいのは

「 女性の成仏 」の部分です

 

 

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亡くなられた女性の

安らかなる成仏を願い そして祈る時

 

どのお経(経文)を唱えれば良いのか

どうしたら故人が喜んでくれるのかを

知っておくことは

 

自分の為にも故人の為にも 

幸せな事なのです

 

 

あとの 二つの場合 

一般の方々は触れない方が良いと

お伝えします

 

何故ならば

「悪人の成仏」「 一闡提の成仏 」は 

在家の皆様には 荷が重過ぎます

 

「 あの悪い奴を 改心させよう 」

「 あの不信心な奴に 信仰をさせよう 」

と言う様なもの だからです

 

皆さんがそこまで関わるのは 

止めましょう

 


話を「女人成仏」に戻させて 頂きます

 

心を込めて優しい気持ちで 

経文を唱えて下さい

提婆達多品 」を「お経本」を見ながら

で結構ですから ゆっくりと唱えて下さい

 

優しく唱えるのは 

女性がそもそも優しいもの だからです

 

こちらの気持ちを お経に継いで

 

初七日を終え 四十九日を終えたなら

速やかに 帰るべき所に帰れることを

共に祈り

 

この段階で やっと仏に成れた事(成仏)

を故人に喜んでもらい

 

また こちらの世界に降りて来るまでの間

あちらの世で幸せに過ごされる事を 共に

願って下さい

 

 

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提婆達多品について最後に

お伝えしたき事柄が有ります

お経には「 眞読 」と「 訓読 」とが

あります

 

分かり易く言えば

「 眞読 」とは あの「 漢文 」です

 

仏教で言うところの「 神 」や「 天界 」

に唱える時には

こちらで お経をおあげ下さい

 

神々にとっては「 漢文 」など 

少しも難しくはありません

 

一方の「 訓読 」は「 口語調 」の方です

 

亡くなられて未だ 四十九日となる前の段階

所謂 「 中幽界 」にいる間は 勿論のこと

 

四十九日を終えて三途の川を渡り 

無事に成仏してからも

故人たちの理解する力は この世にいた時と

何ら変わりません

 

亡くなったからと言って 

いきなり「 漢文 」で話し掛けられても

到底 理解など出来ません

 

そして お経というものは 本来

亡くなられた方にだけ上げるもの 

と言うのは間違いです

 

生きている人に対してこそ

その人の幸せを願って唱える 

本来はそう言うもの なのです

 

いつの間にか

故人に対して唱えるものがお経である

と言う風に 

人々が 取り違えをしてしまい

 

そのままになっている だけなのです

 

以上「 妙法蓮華経提婆達多品第十二 」

の意味と 本来のお経の在り方について

簡単に 解説させて頂きました

 

 

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次に 法華経に於ける第十二品

妙法蓮華経提婆達多品第十二 」 のお経

を唱えてみようと 想われた方々に対し

 

敬意を表すると同時に

敢えて お伝えしたい儀が あります

 

唱えてみようと想われた事 それ自体が

何よりも尊い仏性を

ご自身の中に見出だされた事でもあります

 

提婆達多品は 大変長いお経です

 

今生きておられる女性の 幸せを願って

或いは親しかった故人であられる女性の

安らかなる成仏を願って

 

この経文をお唱えになる その時には

口語調の「 訓読 」が 宜しいかと存じます

 

その訳は 前述させて頂きました通りです

 

その際にです

「 爾時(そのとき)に 佛もろもろの菩薩

および 天人四衆(てんにんししゅ)に

告(つげ)たまわく……  」

 

提婆達多品はここから 始まるのですが

それはそれは非常に 長いものです

 

その上で 何としても初めから全部唱えたい

と言う稀に見る 意欲に溢れた方々は

 

それはそれで 素晴らしい心の持ち様であり

頭が下がる想いでも あります

 

経文が長くて辛い方 又は

提婆達多品を唱えたい気持ちが充分であり

且つ

 

何としても末永く

唱え続けて行きたい方の為に 

お伝えします

 

 

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提婆達多品全体の

最後の方およそ四分の一程の経文を

唱えて下さい

 

お経はどの部分にも

大きな そして深い意味があります

 

増してや 経文の一文字一文字が全て 

佛でありますから

全ての経文が肝心であり

また大切でもあります

 

しかし その事を踏まえた上で敢えて

提婆達多品を永く唱え続ける為に

極めて肝心なエッセンスの部分を

必ずや唱えて下さることを お勧めします

 

「 深く罪福の相を達して  徧(あまね)く

十方を照らしたまふ  微妙(みみょう)の 

淨(きよ)き 法身(ほっしん)……  」

 

から最後の一文字までを 心を込めて

丁寧に唱えて下さい

そうです ゆっくりで 良いのです…

 

お経が 我が身に染み付き 

また心とひとつになった頃に

改めて 初めから最後までを通して 

唱えてみて下さい

 

心を 込めて…

 

 

簡単な解説では ありましたが

 

皆様の暖かい 御精読に対しまして

 

心よりの感謝を 申し上げたいと 想います

 


   何ぶんにも 寒さ厳しき折

 

       皆様どうぞ ご自愛下さい…

 

 

  

                           法華経の慈愛溢るる 第十二品

                                         提婆達多品 に於ける

                                            神々と人々との浪漫 より…      

 

 

 

  

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宮沢賢治と銀河鉄道の夜 皆んな忘れているだけなんだよ…

f:id:toshi-kuma25317:20170202034454j:image                                                     幼き日の 賢治と妹トシ

 

日本の あちこちで

 

宮沢賢治を語る集いやら

賢治さんを語る会 などなど 

 

いやはや 日本人に於いて

宮沢賢治を語らせたなら

 

右に出る者がいない人は

それはもう 数多いるであろう

 


私は多分 違うので

少々 気遅れするところだが

 

そこは又 面白そうなので

 

このまま話を

進めさせて頂こうと想う…

 


では 何故…

 

宮沢賢治を語らせたなら

それ程に凄い人たちが 沢山

 

この日本には いるのだろうか

 

 

賢治の生き方を

人知れず 熟知しているとか

 

彼の考え方を

魂レベルで 理解しているとか

 

彼と一緒の生き方を 心掛けることを

常としているとか


恐らくは…

そう言う事では 無いだろうし

 

寧ろ そんな事は誰も

持続すること自体 些か無理があろう

 

  

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宮沢賢治の残したメモ

彼の童話作品

日頃の ものの見方や捉え方

 

どうやら それらは基本

大乗仏教法華経に通ずる様である

 


至極簡単に

表現した場合ではあるが

 

法華経は「 妙法蓮華経序品第一 」

から「 普賢菩薩勧発品第二十八 」

までの 計二十八品 から成る

 

それらは皆「 方便 」であり

「 物語り 」として 語られている

 

例えを駆使し 衆生に分かり易く

説いている…

 


宮沢賢治が 童話の世界に於いて

 

自身の持つ 全てでもって

出来得る限り 分かり易く

 

人々へのメッセージを 散りばめようと

したのも

 

尚更 その様な背景が

あっての事だった様にも 想える

 


中でも「銀河鉄道の夜」は

宇宙の真理を分かり易く伝えているし

 

雨ニモマケズ」についても

偶々 手帳の中身が世に出ただけで

 

賢治自身は 人に見せる為に 

綴ったものでは 決して無かった

 

 

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だからこそ

 

彼の感性は 常に…

清涼且つ豊か だったのかも知れない


尋ねて来た人への配慮

 

黒板に居場所を記した

人を誘うべく 分かり易さとか…

 

北上川の河岸を

英吉利(イギリス)海岸になぞらえる 

その 斬新なる感性とか…

 

貧しい人々に対する 深い情愛

 

女性子供に掛ける

優しい 言の葉の数々…

 


彼の「 二乗作仏(にじょうさぶつ)」

について

 

法華経の行者としての彼に

異論を唱える

修行者の方々も おられるが

 

人間故の 誰にだって

偶々 解らない事だってあろう

 

考え方の癖と言うものも あるだろう


私の考えは飽くまで

そう言うスタンスと させて頂く

 

宮沢賢治が陥った

二乗作仏と言うものについて

 

簡単に お伝えしたい…

 


今の自分は病に伏せており

 

目の前にある この魚を食べ

滋養を付けて元気になるという

至極当たり前の選択肢が ある

 

だが待てよ…

この魚にも親兄弟がおり 云々

 

若しかしたならば この魚は

過去に於いて 自分と関わりの深い

魂であったかも知れない 云々…

 

 

最期の頃の賢治は 滋養を拒み

三十七歳の 短い生涯を閉じる

 

駆け抜けで お伝えすると

正に この様な 流れであった

 

 

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後世になり…

 

賢治は 玄米では無く

本当は 七部搗(つ)き米が

好きだったとか


ユーモアのある不思議な

おまじないをした後に 彼が

刺身を食べるのを 見た事があるとか

 

蕎麦が好きで

相当な早食いだったとか

 

菜食主義の時期も あったが

飽くまで ずっとでは無かった 等々

 

色んな逸話も ある様だ

 


しかし 体が弱く

性格上の 慈善奉仕の日々で

彼の体は常に 疲れて居り

 

彼の体力に対して 栄養が

足りていなかった感は 否めない

 

 

微笑ましい話もある

 

賢治は元来 大変な早食いで

よく腹を下していた らしい…

 

私も早食いなので

充分に気を付けたいと 想う

 


色んな話しを 聴くにつけ

 

彼の人間味を

相当に 垣間見ることが出来る

 

そして余計に 身近な人となって来る

 

此れらの逸話…

意外に 知られていないものが多い

 

 

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私は「 雨ニモマケズ 」に於いて

或る 気になる下りが あった

「 じぶんを かんじょうに いれずに 」

  である


そしてつい最近 もうひとつ増えた

 


仙台市在住の Nさんとの

何気無い やり取りの中で

お若い Nさんが…

 

「 じぶんを かんじょうに いれずに

自体を 今迄知りませんでした

切っ掛けを下さって 有難うございます 」

そう 仰った…


随分と真正直な青年も 居るものだと

私は 感心させられた

 

Nさんはこのことについて 調べたそうだ

そして彼は こう言った…

 


「 みんなから 木偶の坊(でくのぼう)

と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず 」

これも 同じ意味ですよね と

 

『 どちらも

「本当の意味に於いて 自分を消す」

と言う事を 考えた時に

両方兼ね備えたならば 完成ですよね 』


そう仰った Nさんの

「 学べた 」と言う 前向きな姿勢に触れ

 

とても心地良いと 私は想った…

 

 

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宮沢賢治の あの短い詩は

私の 想像以上に 

 

色んなものが凝縮された

深みのあるもの だった様である

    
賢治には勿論 Nさんにも感謝をしたい

 

 

そして 記事冒頭の問い についての

私の答えを 述べてみたい

 

何故 皆んなが

宮沢賢治を 語りたがるのか…

 

その人その人の解釈は 様々なれども

人によっては ほんの少し知っている程でも

殆ど熟知しているかの如く 熱く語りたがる

 

どうしてなのか…

 

それは 彼に心底共感し

微塵も疑っていないからだと 想う


皆んな それぞれに

自分だけの宮沢賢治を 温め

 

誰からも束縛されること無く

それぞれが それぞれの距離感で

独自の感動を 味わっている

 

そこには 価値感の共有など

微塵も 存在しないであろう

 

教祖と信者との関係との 対極と言えよう

 

先に述べさせて頂いたが

彼の人間味が そうさせるのか…

 

 

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些か僭越を承知の上で

宮沢賢治になったつもりで 

 

皆さんに少しだけ

語り掛けてみたくなった

 

 「 何気に 遥か上を見てごらん

銀河鉄道の夜だよ…

 

そこに輝く 星たちは

ホントは  皆んなが

何度も行っている 星なんだ… 

 

本当の幸福は わざわざ

探さなくても 良いんだよ

すぐ側に 在るのだから…

 

皆んな それを

知らないんじゃ 無いよ

忘れているだけ なんだよ

 

何度 忘れてもいいから

いつか 想い出そうね …  」

 

 

ナム・サッダールマ・

        プンダリーカ・スートーラ

 


此れは サンスクリット語なので

 

美しき日本の

美しい言の葉で

敢えて 言ってみたいと 想う

 


   賢治が愛して 止まなかった


            南 無   妙 法   蓮 華   経 …

 

 

 

                                宮沢賢治に於ける法華経の浪漫

                                                     銀河鉄道の夜 より… 

 

 

 

 

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松島讃歌…或る 昭和の 忘れ難き日

f:id:toshi-kuma25317:20170131043914j:image                                                         仙台駅構内の仙石線

  

仙石線に乗って 松島へ行った

三歳の私にとって 人生初の遠出であった

 

海が大きいかどうか とても興味があったし

それは 自分の中では この旅の最大のテーマでもあった

 

車窓越しに見える海は

私にとっては勿論 初めて見る海…

 

年齢的なものと言うより 恐らくは

持って生まれた 性格なのか

 

何故か 驚きが全く無かったことを記憶する

 

幼い私が驚くのを 楽しみに

連れて行ってくれた両親に対して

今想えばではあるが 甚だ遅れ馳せながら…

 

愛想の無い反応しか出来なかった 気恥ずかしさと

在り来たりだが 感謝の気持ちで 一杯である…

 

これは 光り輝く昭和三十年代の

人々が 未だ未だ 希望に満ち溢れていた時節の

私にとっての特別な一日の 記憶である…

  

 f:id:toshi-kuma25317:20170131044306j:image                                                                       現在の松島

  

三歳のとき 両親と一緒に松島へ行った

 

三歳も ふた月み月は過ぎていたので

この頃の記憶に残っているものは 些か鮮明である

 

しかし 伊達駅から仙台駅までの記憶は 全く無い

 

覚えているのは 松島に着いて水族館を観たこと

 

遊園地で飛行機に乗って 下にいる母親に手を振ったら

あの愛想の薄い母親が満面の笑みで 思いっきり

手を振っていたこと

 

松島から仙台駅に戻る汽車の中

父親が満足気に 私に話し掛けた時のこと

 

「 おい としのり… 海はでっかいだろう びっくりしたか 」

 

私が想ったままに言ってしまったこと

「 なーんだ こんなの海かい 沼だよない つまらねえ 」

 

子供ゆえの滑稽さ なのだろうか… 

汽車の中の大人たちに 受けてしまった

 

「 お兄ちゃん そんなこと言ってだめよ

お父さんもお母さんも がっかりするからね 」

どこぞの おばちゃんが 優しく言ってくれたこと…

 

皆んなで和みながら仙台駅に着いた

 

しかしその後 仙台駅での待ち時間が長くて 大変

だったこと

 

  

f:id:toshi-kuma25317:20170131044041j:image                                                                        昔の仙台駅

 

当時は何と何と 全てが蒸気機関車

エアコンどころか 冷房さえも当たり前に無いので

汽車の窓は全開…

 

仙台駅の構内やホームには 沢山の汽車たちが停車を

していて どれかが走り出した

煙いのなんのって それはもう凄いものだった

 

そして 駅弁売りが

「 えー  べーんとー  べんとべんとー

べーんとー  だよっ 」

多分これで間違い無かったかと 記憶する

 

買ってもらった

巻き寿司を 買ってもらった…

 

自分が知っている海苔巻きとは違って

真ん中には色々な具が入っていて 驚いた

見たことが無い

 

海苔の代わりに 玉子焼きで巻いてあった

美味かった…

 

その内にまた そこいらの汽車が走り出し

真っ黒い煙をモクモクと掛けられる

私は負けじと 巻き寿司にかぶりつく…

 

  

f:id:toshi-kuma25317:20170131044109j:image                                                         昭和の駅弁売り風景

  

仙台駅を後にする時 私はもう 眠りに就いていた

 

不便さも一種の贅沢だとか 別の楽しみであるとか

考え方は色々あるとは想うが  私はこう考える

 

当時は不便だった

色々思い通りにならないのが 普通…

 

その中に ほんの少しの便利さだとか

微々たる快適さだとか

美味いものを食べれる幸せだとか

 

ほんの少しの贅沢や満足を

探すこと自体が 幸せであった…

 

だから 助け合うことが当たり前に出来たし

互いに満足を知り 幸せをしっかり見詰め

それを感じ合うことさえも 出来た

 

 

蒸気機関車が消えてから

右肩上がりで SL人気が上昇し 今では高値安定…

 

今の時代の 数多のSLファンたちには

到底味わえ無いであろう 飛び切りの贅沢を

 

 

日常の暮らしの中で

 

貧しい時代に 

 

私は沢山 味わえたのである…

 

 

 

           長いモクモクと 大きな沼 そして玉子巻き

                   とある昭和の日に於ける 心の浪漫 より…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170131044204j:image                                                  昔の仙台駅と蒸気機関車

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

拝啓 兄ちゃん 母ちゃん 父ちゃん…懐かしき昭和の日々

f:id:toshi-kuma25317:20170124141738j:image                                          母  兄  祖母(母の生家にて)

 

貧しいなりに 皆んなが寄り添い

気持ちを寄せ合い 助け合い

 

微力ながらも出し惜しみすること無く

相手の力になろうとして 世話をやく

 

そして何時も 何気に互いの心情を察しながら 

心配もし合い

 

物珍しい食べもの 美味しそうな食べ物

誰かからの頂き物を 家族で譲り合い分け合い

 

友だちや遊び仲間たちと 分かち合い 

 

それを普通に 互いの歓びとした日常

そして 当たり前に出来た時代

 

母親の生家に何の気兼ねもせずに遊びに行けた

あの何とも言えぬ心地良さ 然も心強さよ…

 

生きて行くのに人を押し退けなくとも

飢えること無く

自分次第で何とかなると言う 有難き時節よ

 

そんな時代があった…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142306j:image                                                                   兄  宣仁  三歳

  

戦後 昭和二十年代を過ぎ

三十年代 そして四十年代初頭に掛けて…

 

生命力溢るる 日本の雄々し児 たち

 

近所のガキ大将は 面倒な奴 兼

皆んなの頼れる相談役でもある

 

仲間目線で 共に涙してくれる優しい兄

面白いことに偶には 姉もいた

 

勿論 医療など充分なものは 未だ何処にも無く

本当に悪化する前には 特効薬のペニシリン注射

で完治していた

 

後は 生きるも死ぬも その者の持つ生命力に

委ねられた そんな時代であった

 

小遣いは 日に五円から十円で

アイスやらカステイラ それにコッペパン

 

懐かしいフルタのチョコ インスタントラーメン

コロッケやメンチカツ どれも一応は買えた

 

色んな くじ引きも 一日一回は出来た…

 

しかしながら それを遣ると お菓子は買えなく

なる為

必然 選択と決断が要求される

 

子どもにとっての大いなる学びが 神様から

楽しさと共に 与えられていた

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124143842j:image                                                                        筆者  三歳                       

大人たちは週休一日が普通であり それが当たり

前だった時代…

 

皆んな 疲れは笑い飛ばしながら やり過ごした

 

これから来るはずであろう輝く未来に 夢を託し

た そうして頑張っていた 

 

子どもの遊びは多少の投資を伴ったが

豆パッチ(小さなメンコ)と

虫捕り網 魚獲り網以外の出費は 殆ど無く

 

自然の中での遊びは 本当に面白く

驚きの連続でもあり また楽しかった

 

近所の子どもたちは皆んなが 半ば兄弟の様な

時代であり

それは決して 大袈裟な表現ではなかった

 

そして我が家が 一番輝いていた時を 私は

幼いながらも ぼんやりと

 

然も 鮮明にさえ 覚えている…

 

忘れない様に 心に刻み付けていたのだと想う

 

二年と五ヶ月 私よりも年長の兄が 未だ

生きている頃の我が家は

 

矢張り 慎ましくも楽しく 希望に溢れていた

 

昭和と言う 天の岩戸が全開の明るい空気も相ま

ってか

 

水が清涼でとても美しく 空気は色が明るく躍動

感に満ち溢れていた

 

農業も盛んで 田畑には何時も 手が入り

季節ごとの彩を蓄え 当たり前の風物詩として

 

皆んなの感性を 和ませてくれた

 

里山にも雑木林にも竹林にも 人の手が入り

想いがそこいら中に 満ち溢れていた

 

貧しいながらも 家族が元気に過ごし

母ちゃんも父ちゃんも

 

兄ちゃんと自分に それなりに美味いものを

配ってくれていた様に 覚えている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142541j:image                                                  兄  三歳  近所の友だちと

 

国道四号線が近くを通って間も無く だった

 

母ちゃんと一緒に芹を採りに行って来てから

さっきまで一緒に自宅の部屋にいた兄ちゃんが

 

突然帰って来なかった…

 

酔っ払い運転の三輪車に跳ね飛ばされ 亡くなった

四歳と七ヶ月だった

 

兄ちゃんの決めて来たことにせよ

 

兄ちゃん それに母ちゃんと父ちゃんの気持ちを

考えると 今でも切なくなる…

 

我が家は その後直ぐに 同じ町内の川向いに出

来た 木造一戸建ての町営住宅に引っ越した

 

昭和ノスタルジーの代名詞 木造一戸建ては

小さいが良い雰囲気に包まれていた

 

果樹畑や丘や雑木林など 豊かな風物詩との

絶妙な融合は

幼いながらも充分に 堪能出来るものであった

 

突然の公営住宅入居については

 

我が家は一度 落選したが

入居予定者にキャンセルが出た為の 繰り上げ当

選だったらしい

 

近くの学校に勤務する教員の方が

転勤の動向次第で入居すべく 押さえていた為だ

った とのこと

 

いつの時代も公務員権益とは 本当に勝手なもの

である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142637j:image                                                                筆者 三歳  父と

 

私は 自らの魂の遍歴を知っていると言うことが

特殊な能力とは 全く想わないし

 

出来れば その様な能力は 極力無い方が

楽に生きることが出来たのではないか とも想う

 

もしも 自らの過去生がとても印象に深いもので

あったにせよ

それがどんなに 共感出来るものであったにせよ

 

私は今 この世を生きている

 

兄ちゃんと 母ちゃんと 父ちゃんと過ごした

幼い日のことは 何にも代え難い 宝物である

 

皆んな もう亡くなってしまったが…

 

三人に対する感謝とか懐かしさは

どんなことがあろうとも いつ迄も色褪せること

は無い

 

 

遅くに授かった 一人娘が今春 大学に行く…

 

恐らくは 年に数回しか会うことが出来無いであ

ろう 遠くに行く…

 

妻と二人の生活に戻ることが 直ぐ目の前にある

 

幼少の頃に 遥か遠くに見えていた未来が

そこに 訪れている様でもある

 

 

拝啓 異人たちよ…

 

束の間のときを 私の為に費やしてくれた

その心に 今改めて 深き感謝を捧げたい

 

これからも いつ迄も 永遠(とわ)に…

 

 

 

             懐かしき昭和三十年代前半に於ける

                お世話になった異人たちとの日々 より…

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124142659j:image                                                                         筆者  五歳

 

f:id:toshi-kuma25317:20170124145415j:image                 大好きな ミレーの晩鐘(アンジェラスの鐘)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい秋見付けた 五十五年前の追想…

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小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた

小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた…

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見付けた

小さい秋 小さい秋 小さい秋 見付けた…

 

この曲が NHKみんなのうた 」で

新譜として発表されて間も無く

 

私の同級生 ひろちゃん こと 博之くんが

我が家の檜葉の垣根の直ぐ傍で

何気無しに 口ずさんでいた

 

一緒に遊ぼうとして 家の勝手口から

出て行ったら

 

近所のおっちゃんが ひろちゃんに声を掛けた

 

「 何歌ってるんだ 上手だなー 」

 

ひろちゃんは 顔を真っ赤にして

とても恥ずかしそうに 走って行った

 

当時は テレビが普及して間もない頃で

 

今では 伝説の様に語り継がれる歌や

様々な風物詩を

 

ほぼタイムリーに体感することが出来た

 

本当に 面白い時代だった…

 

 

博之くんは 私と

何をして 遊ぶつもりだったのだろうか

 

終ぞ 聞かずじまいで 終わってしまう…

 

 

                                 昭和三十年代半ばの

                                     秋の日の想い出 より…

 

 

                  

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