紫陽花からのメッセージ…
私には 今年十九になる娘がいる
彼女は 私が四十一歳の時
我が家に降りて来てくれた
当たり前なことだが
それは可愛いもの…
私は中々出来の悪い父親の様で
気持ちが急くばかり
気の利いた言葉のひとつどころか
余計な言葉さえも
掛けてやってなどいない
娘に対して済まないと想うこと
数知れず…
彼女が確か三歳になる ほんの少し前
テレビで「火垂るの墓」が 放映されていた
既に夜だったので…
ビデオに録画してあるから明日見ようね
と言ったら
娘は喜んで 何時も通り素直に寝た
そして翌日 録画してある「火垂るの墓」を
二人で見ていた
初めから終わりまで もうすぐ三つの彼女…
何故か一言も喋らずに 見ていた
その日は八月六日…
そう言えばビデオを見る前に
広島の平和記念式典がテレビ放送されていた
娘と妻と私の三人で見ていたが
娘は矢張り 一言も喋らずに見入っていたのを
よく覚えている
それから数日経って…
娘と妻の折り紙が 始まった
未だ幼いので中々進まず…
暫くして やっと完成した時に
「ひろしまのひとたちに わたす」
そう言ってほっとした娘の
あの顔を私は今でも忘れることが出来ない
きっと今生を終えるとき
あの時の小さな愛娘の表情が
私の心に一瞬よぎるのだと想う…
ヒロシマ 行かなければ
広島に滞在しなければ
娘 美和が もう直ぐ三つのとき
広島の人たちに渡す
そう言ってせっせと折り紙を…
リボン 人々の輪 鶴
妻に手伝って貰いながら
その多くに手を掛けて貰いながら
せっせと…
難しさもあり かなり苦戦
然し 諦める様子なし
幼いながら たのしんでいる
もくてきがある 強い意志だ
最後は 妻がほぼ手を掛ける
そして完成す…
胸いっぱいの娘…
あれから もう直ぐ16 年
娘が小学生になったら広島 へ
そのつもりだったが
なかなか体力がつかず 入院もたびたび…
フクシマも…
色あせてしまった 折り紙たちが
我が家の祭壇に 今も…
先日 広島のとあるFM局の
紫陽花に纏(まつ)わる
ひっそりとした花の笑顔付きFacebook記事
を拝見して
ことしは 慈愛溢るる そして夢溢る広島に
滞在しなければ
そう想った…
広島の人たちに 長崎の人たちに
そして福島の人々に
皆んなの その優しき願いに
幸 多かれ…
鎮魂
ひとの真心と言う
浪漫に 触れるとき…