我が心の大正浪漫

明治維新以降の日本は、古代から紡ぐ本当の日本人の意思とは違った歩みをしている様に想えてなりません。穏やかな風土と 天に通じる唯一の言語 日本語を持しながら、自らの良さを感じ取れない このもどかしさを、何とかしなければと想います。珠玉の武士道が 明治維新により一度は破壊され掛けた時に、この国に天使たちが舞い降りて来てくれました。天使たちは文学に勤しみ 芸術を愛し 教養を身に付け、その精神性を極限まで高め、大東亜戦争で散 って行きました。そして彼ら亡き後、日本は 今日の悲しき姿となっております。本当の日本を。

法華経の聖地 七面山にて想う 日本と言う いにしえの敷島とは…

f:id:toshi-kuma25317:20170211021746j:image                                                    七面山から望む 御来光

 

どうしたことか 此の度は…

 

弘法大師が大陸から持ち帰った 密教

日蓮上人が広宣流布に命を賭した 法華経

 

真正面から触れてみたく 想いました

 

これは飽くまで 私の想うところではありますが

 

悠久の中国大陸に於ける名だたる僧侶たちを論破

感服せしめて

 

密教を我が国に持ち帰ることが出来た弘法大師空海

とは

只々凄い人物であったと 言わざるを得ません

 

真の密教というものは それを護持するに最も相応しい

者が継承すると言う 観点からし

 

当時の大陸の僧侶たちが或る意味 非常に潔かったのだ

と想いますし

 

そうせざるを得ない程に 弘法大師

最早 人間離れしたレベルで 優れていたのでしょう

 

皆さん ご存知ですか

四国のお遍路さんに於いて 八十八ヶ所の霊場巡りの際

 

何処から観ても 剣山(つるぎさん / 標高一阡九百五十

五米にて かつて石鎚山と呼ばれていた)の頂きが望め

る様に土木設計が為されており

 

それを可能にすることが出来た 人間離れした人物とは

正に 弘法大師その人でした

 

当時の僧侶は今以上に 博学必須だったとは言え

大師の才能は並外れていたのだと 想われます

 

弘法大師が持ち帰った 密教

詰まり真の密教とは 宇宙に直結すると考えます

 

密教ですから 読んで字の如く必然に口伝です

 

口伝と言うことは 世間一般に対して

大いに広めるものでは無い と言うことでもあります


即ち 代々伝承した者から 新たに伝承する者への

基本としては一子相伝 なのでは…

しかし 現実には口伝の域 だった様に想っております

 

雛形であろう日本という国が この地球が そして宇宙が

本当の意味での危機に瀕した時にこそ

 

私が想うところの 真の密教が発動される様な気がして

なりません

 

そして 真の密教とは別の意味で 衆生救済をしている

最たるものに 法華経があります

 

密教に於いての大曼荼羅と同様に

日蓮宗法華経曼荼羅に表されている内容が 矢張り

 

宇宙の真理に直結すると共に

地球の生き物のルーツとも言える理(ことわり)を

暗示している様でもあります

 

法華経の経典は 長い永いひとつの物語りであると

同時に

密教同様に 様々な魔を切ると言う 手法の側面をも持ち

併せております

 

弘法大師同様 日蓮上人は元来 霊的能力者であり

日蓮宗の荒行は上人からの様々な伝承を 引き継ぐもの

でもあります

 

法華経の経文のみならず 祈祷経 祈祷肝門 祈祷言上

膨大な数の回向 更には経文である序品第一に陀羅行

それに勧発品

 

それら 法華経の経力たるもの 甚だ強し…

 

元より遥かに長い法華経の経文は 全て方便から成って

いる為

理解しようと想えば 可能です

 

前置きが 長くなりましたが

密教法華経について真ん中から見据え 短く述べさせ

て頂きました

 

ここまでは 真の密教について比較的多く 述べさせて

頂きましたので

 

本編では聖地七面山を舞台とした法華経について

私の経験談を交えながら お伝えしてみたいと想います

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211021905j:image                                                                               七面山

 

それでは法華経の聖地七面山へと ご案内差し上げます

 

七面山を 皆さんご存知でしょうか

この山は霊山であります

 

日蓮宗総本山「久遠寺」の 裏鬼門除け

分かり易く言えば 病門除けです

 

法華経の聖地として名高い この山は

その山頂に近い平坦地に「身延山久遠寺」に属する

「敬慎院」があります

 

先の繰り返しになりますが

身延山を守護する鎮守神として 七面大明神が祀られて

いるのです

 

標高は一阡九百八十九メートルであり 隆々として大き

く その荒々しい山容は

一見して 排他的でもあり…

 

更には 全てを包み込み 覆い隠してしまう程の

不思議な山深さをも 兼ね備えております


一応 南アルプスの前衛ではありますが

それにしても大きく険しい山である感は否めません

 

七面山について少々 述べさせて頂きましたが

此れは ほんの挨拶代わりという事で 更に ここからが

本題となります

 

私は二十代終わりから 法華経の道に入りました


ライフワークというのは 所詮初めだけで 次第に本格化

して行く事となります

 

普通に禅宗の在家の家に それも分家の立場に生まれ

育った私は

至極当然に その頃は 得度もしていない訳で


法力から観たときに 一言で切り捨てれば 無力極まり

無い状態で ありました

 

飽くまで 対霊的に法力的に言えばでは ありますが…

寺に生まれた訳では無い私にとって この流れは必然

回避出来るものでは 有りませんでした

 

今の時代は 瞑想や呼吸法などの様々な手法のアシスト

なども有り

特に 霊能力に恵まれなくとも リーディングに踏み込

める時代に成った様にも 想います

 

但し 我が家の私以外の家族を 間近に見るに付け

 

元より霊能力を有する者が 前述のリーディングの手法

を 大いなる指導者の元に真剣に学び そして しっかり

と身に付けた場合の

 

清涼なる優しい波動と その多様な能力には 矢張り

目を見張るものがあることを 実感致します

 

しかし 私は家族とは違った道を歩みました

 

その訳は 私が必要に迫られて法力の道に入ったのが

今から三十年以上も前であり

 

当時 身近にある最勝の手法と言うものが  法華経

修行でありましたし

 

法華経の行者として命(いのち)を賭して 行を修する

ことで ありました

 

私が最初に修行をさせて頂いた道場は 在家の行者の方

で ご高齢の女性でした

 

ご長男が幼な子の時分に 生死を彷徨い

それを救わんが為に 行者の道に入られた方 でした

 

地元では 俗に言うところの優れた拝み屋さんでしたが

その実は 法華経の修行をきちんと踏まれた方であり

 

八大龍王の中の 徳叉迦龍王(とくしゃかりゅうおお)

を守護神と 仰いでおられました

 

方便品  寿量品  神力品  普門品  陀羅尼品 

それに在家勤行である御妙判  四弘誓願を従として 

 

主たる題目を一時間 二時間と通して 木柾と共

に 唱題される方でした

 

彼女の最期近くにお逢いしたときに

いみじくも仰っていたことが ありました

 

「 私は 助けて欲しい人々が引っ切り無しに訪れる

忙しさに かまけ

とうとう 衆生救済のみに 時間を費やしてしまった

そして そのことのみに 終始してしまった

 

気が付けば何時の間に 得度をしないまま ここ迄来て

しまった

 

としのりちゃん 貴方は必ず 得度はしらんしょよ…

 

得度をした上で 行を修し 一心不乱に題目を唱え続け

れば 大きな山も動くよ 」

 

そう 仰っておられました…

 

あれから二十年経ちますが 様々な経験を積み 想うこ

とがあります

彼女の言葉は その通りであったと…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022049j:image                                                      七面山から望む富士山

 

今では 時節が変わり

宇宙の真理からの更なる新しいステップの役割を担う

人々が  世に輩出されて来ております

 

所謂 生まれた時から既に 大いなる能力が発揮出来る

状態にある 人々です

 

私のすぐ側に普通に居てくれる妻と娘が 丁度それに

あたる為

 

なるほど なるほどと 納得せざるを得ない瞬間瞬間に

身を投じている感覚でも あります

 

私が法華経の行を修した三十数年間に於いて 矢張り

印象に深いのは

 

特に前述した最初の師匠には随分と 負んぶに抱っこで

あったと言うことです

 

今となって解ることでは ありますが

天に通じようとして宗教者を目指すにあたって 誰しも

が陥り易い事柄に


自分よりも更に法力のある者に 常に依存してしまう

と言うことであります

 

幾ら綺麗事を並べても困り果て 窮地に立たされると

迷わずに 他人を頼る様になっており

厄介なことに中々 そのことに気付くことが出来ません

 

よくよく考えれば その「困り果てて窮地にある」こと

自体が 他でも無い


自分が次々に創り出している厄介なもの なのかも知れ

ない と言うことです

 

些細な事を大きく捉え過ぎる様にもなり 病的な

程に頼り癖が付いてしまうのでしょう…

 

そろそろこの辺りで 話を七面山に戻したいと 想います


私はこの山の存在を知り 即決で いとも簡単に 登ること

を決めました

 

身延山久遠寺には幾度と無く 参拝をさせて頂いた私で

ありましたが

そこから七面山迄の道のりは 存外に遠く

 

南ア 赤石山脈から流れる早川沿いに車を走らせ

深い山々と清流の恩恵によるマイナスイオンを ふんだ

んに浴びながら

 

南アルプス街道から左手に曲がり そして 余り広くは

無い路をどんどん 登って行き

 

気付けば 七面山登山口の手前左手に 白糸の滝が現れ

ます

 

女人禁制の七面山に初めて登られた お萬の方が水を

摂られた滝 でもあります

 

因みに前述させて頂いた私の最初の先生も この滝でよ

く水を摂られておりました

 

この滝は女滝であり 滝行に於いては 荒々しい男滝より

も遥かに

この様な滝の方が 最たる修行の場となり得ます

 

短く言えば煩悩との勝負に 直結するからであります

 

滝に関しての これ以上の関与に於いては

理由が甚だ長くなる故 この度は省かせて頂きます


白糸の滝では 行者が水を摂っていると

彼方(あちら)の世の人々が結構の魂の数で 此方(こ

ちら)を見ており

 

そのギャラリーの数が次第に 増えて参ります

 

此れは紛れも無い 事実であります

 

彼方の世とは言っても その 彼方とやらに未だ行き着

いていない

未練に凝り固まり執着心の未だ未だ残る 中幽界の者達

でありましょう

 

「 自分の為に 速やかに帰るべきところに迷わずに帰

っておくれ… 」

 

その様に お伝えします…

 

「 南無 妙法 蓮華 経(私は 妙法蓮華経に帰依します… ナム サッダールマ プンダリーカ スートーラ) 」

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022411j:image                                                        七面山 南参道登山口

 

身を引き締め 七面山の登山口に立ちますと 大きな

鳥居があり いよいよです


七面山登山口の大鳥居から 表参道(南参道)を登り始

めると

それは勿論 題目を唱えながらの行の 始まりともなり

ます

 

途中には茶屋が幾つもあり

登山者への気配りからだけでは無いにしろ 行の道中

本当に助かります

 

皆様にお伝えすれば 冷えた麦茶と冷たいところてんが

格別に美味しく また溜飲が下がります

 

初めは遥か上に見えていた 一阡メートルを優に越す

身延山(みのぶさん)が

 

或る時を境に 次第に眼下に遠ざかります

 

天気次第ではありますが 山道(参道)から ほんの少

し目を逸らしただけで

 

すぐその辺りに富士山が ゆったりとくつろいで こちら

を眺めていることに 改めて気付かされます

 

些か 妙な気分にもなって仕舞います まさか あの富士

が…

しかし その度に本当であることを 徐々に確信せざるを

得なくなるのも 事実であります

 

登り始めて四時間近く 終始 坂はとてつもなく急峻と

言う他は無く

 

ふと気が付けば 登山道の直ぐ脇に建立されている灯篭

が 四十合目を示して おりました

 

未だ半分も登っていない きついなあ…

そう想いながらも更に もくもくと登り続ければ


直ぐ脇に鎮座する筈の 標高一阡百五十三メートルの

身延山が既に低過ぎて その影すら全く見えないことに

一瞬 唖然としていると

 

意表を突く様に突然 山門が現れました


そして それが五十合目の 紛れも無い七面山の山頂で

ありました

 

無知な私は 頂上は百合目だとばかり想っていたと言う

訳で

道理で 周りの景色と灯篭の示す標とが 何かと そぐわ

なかった筈であります

 

「 助かった そして とうとう着いた 」

山頂到達に於ける心の準備が 全く出来ていなかった分

 

随分と その部分だけ物足りなかった感が 存外強く

残りました

 

明早朝の御来光を拝する為に 今夜は泊まることにして

おりましたので 早速 敬慎院へと向かいました

 

宿泊施設に於ける 就寝時には

すのこに巻かれる様に 長い長い掛け布団と敷布団を

宿泊者たち自身が 協力をしながら敷き 寝床を作るの

です

 

二十人は居るであろう人々が各々一つの単位となり

長い長い一枚の布団で 寝るのです

  

その単位が 幾つも有る訳であり

宿泊した人々は随分と数多であったと 言わざるを得ま

せん

 

翌早朝 御来光を拝する為に 閉じられていた一つの

山門が開きます

 

山門から外に出て直ぐに…

未だ暗いが その内に明るくなるだろうなどと

 

そんな事を ぼーっと考えていると 次第に薄明るく

なり始め

 

そう想った直後 眼前に巨大過ぎる富士山が いきなり 

バーン と…

 

そして山頂から 一気に来光が走りました

 

その間 ほんの僅か…

 

周りの多様な信者や修験者達が相当に ざわめいておら

れました

 

私も正直 この瞬間には かなり驚きました

 

素晴らしくもありましたが それ以上に ただ一言

凄かったと言う残像が

 

実感として今尚 強烈に残っております

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022512j:image                                                 山門を潜り 御来光を待つ

 

あれから参拝の為 七面山には幾度と無く登りましたが

あの時の光景は今だに 忘れてはおりません…

 

七面山の山中では 現実的なもの 三次元の世界で捉え

れば非現実的なもの 色々なものを見ましたし


奇妙な光景も多々 有りました

 

最後に七面山の参拝登山をさせて頂いたのは 既に

二十年以上も前のことですが

 

只 がむしゃらに行動をした当時に比べ 今の私には

「 宇宙の真理の中に於いての法華経とは何か 」と言う

真実を追求したい願望が

 

甚だ大きくなって来て 仕舞いました…

 

私は昨年の師走で満六十になりました

所謂 還暦です


だからこそ 誰かに伝え行きたい物事も あるのかも

知れません

 

近頃つくづく想うのですが ひとつの考え方だけでは

不十分なことが多い と言うよりも

普通に考えても 十分に不十分でありましょう…

 

そもそも ひとつの考え方 教えばかりではバランスが

悪くなって仕舞います

人としての…

 

この日本には 古来より存在して見事な風物詩や文化を

数多創り出した

古神道や日本神道が存在しております…

 

日本人としてこのふたつの神道には 目を向けなければ

ならないと 想っております

 

古事記の中身を具(つぶさ)に 吟味したときに

自然の流れの中で起きた 事象にせよ

 

例えば 我々人類の 既存の常識には存在しない者たち

の意思で 故意に起きた現象であれ

 

全て 必然であると言うこと であります

 

世の中は 古事記の通りに 換言すれば 日本の神話の通

りに流れていると 言わざるを得ません

 

そして飽くまで それらを踏まえた上で…

 

世の中をより良く導く手立てのひとつである法華経

経典を 心と体に浸透させるべく

 

限りない 法華経を修する世界に生きている…

そんな私では あります

 

近年それ程 珍しくも無く…

「 自分は生かされている 」そう仰る方がおいでです

 

綺麗な台詞を遮って 甚だ申し訳無いとは想うのですが

私には ひょっとしたら それは真理では無い様に想えて

仕方がありません

 

皆んな この地球上の そして宇宙森羅万象に於いての

其々が ひとつのピースとなり

 

自分に足りないものを学ぶ為に 綿密な計画を立てつつ

生まれて来たのでは ないでしょうか

 

親を選び自分の名前を決め 

勿論 誰がその名前を言い出したとしても必ず その

名前になる様に

 

その上 予め決まっている魂が 名付け親となる様に

 

周りのキャストとは前以て 神の立会いの元全て 打ち合

わせを済ませております

 

そして生年月日を決めて 皆んな此方の世に生まれて来

るのでは ないでしょうか…

 

そんな訳で 私は飽くまで 自分の意思で生まれて参り

ました そして自らの意思で 生きております…

 

微塵も 生かされてなど おりません…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022549j:image                                                                    七面山登山道

 

それでは 法華経の聖地と言われる七面山について

 

この山は 如何なるところであるのか 況(ま)してや

七面山への登山参拝とは どの様な意味を 持つものな

のか…

 

ご説明差し上げたいと 想います

 

日蓮宗の総本山 身延山久遠寺の裏鬼門除けである

七面山に鎮座し 圧倒的パワーを秘め

 

法華経を護持する者たちに加護を与える龍神たる

七面大明神

 
私の実体験から成る 七面山の南参道登山道に於ける

秘話やら 宿泊の夜の不思議な他界のものたち

 

そして 南参道を遥かに凌駕する北参道の その険しき

荒行の数々


それらを 私の確かな記憶を以って詳細を 皆様に お届

けしたいと想います…


法華経の聖地 七面山とは 前述の通り

赤石山脈南アルプス)の前衛と言うには余りにも

高く険しく…

 

普通に考えれば 登山中に体力を使い果たしたとしても

些かも可笑しくは無い程の

排他的な厳しさを秘めた山であると 私は想います

  

私が 何度も命掛けで登り そして随分と四苦八苦をし

ながら下り

色々な出来事を経験させて頂いたこの山は 甚だ不思議

な山であります

 

物理的な山深さは勿論でありますが

そんなものは どうでも良くなる程の 得体の知れ無い

山深さが この山にはあります

 

 

終戦後間もない頃 血気盛んな一人の若者が 進駐軍

GHQ相手に暴れ回り 大立ち回りを演じることとなり

ます

 

この一件についは 追っ手から若者が何処に 身を隠し

ていただとか 確信の無い様々な説が あるのですが

 

結果その若者が 彼を血眼になって探し回るGHQから

身を隠し切れたことは 紛れも無い事実でありました

 

身を隠しながらの彼が ひたすら 文武の修行に励んだ

場所とは

それは他でも無い七面山 そう紛れも無く 此処七面山

に相違ありませんでした

 

後に若者は 大山道場の館長となり極真会館の総帥と

なります

 

面子を潰され躍起になったGHQも とうとう諦めざる

を得ませんでした

 

七面山は時として 全てを覆い隠す幻の里を何処かに

そして確かに 持ち合わせているのでしょうか…

 

何度か個人的に 登られてみれば自ずと 答えは見付か

るのでは ないでしょうか

 

人知では計り知れない それ程までの奥行きが この山

には有るのではないかと私は 想っております

 

幾度と無くこの山に登る度 様々な課題に遭遇せざるを

得なくなり

 

それらを解決しながらも余計に その感が大きくなるの

は 確かなことでもある様です

 

登ったその夜は 山頂で宿泊をさせて頂き 霊山での

夜修行に 身を投じます

勿論 皆さんは 寝ておられます…

 

日頃から法華経に対し 自力的に身を委ね その延長上

の七面山夜修行 であるならば

 

この 夜と言う 静粛且つ様々なものが動き廻る 特別な

時間に於いて

必ずや自らの経験として 何かを得るでありましょう…

 

それは私の紛れも無い実体験であり 確信に満ちた自身

の記憶でもあります

 

参道は一般的な南参道のみならず 険しく難儀な北参道

の登り降りをしてみるのも宜しいかと 想われます

 

但し 此れは飽くまで 物理的な見地からすればですが

非常に危険であり 十分に気を付けなければなりません

 

しかし 視点を変えれば 危険度が高い分 己を処する

良い荒行には 成り得る筈です

 

至極当たり前に 自らの力量を知りつつ自然の

大きさに関わる限り 心配は要ら無い様に想います…

 

そもそも この山に居ること自体が 七面大明神の守護

を たっぷりと享受している訳でありますから 

普通に気を付け 無茶をしなければ大丈夫です…

 

 

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張り巡らされたロープ無しでは 簡単に滑り落ちてしま

北参道

それ程までに北参道に於ける急勾配は 尋常ではありま

せん

 

話の主題からは多少 逸れては仕舞うのですが

 

南参道とは対照的に 北参道には茶屋が余り無く

俗的なものは殆ど 省かれております

 

この簡素な姿が 北参道の開かれた当初からであれ

また これが様々な時節の流れの 結果であれ

 

今のこの姿が そして在り方が 七面天女の御意志であ

ることに 何一つ 変わりはありません

 

時折姿を覗かせる荒川岳 悪沢岳など

標高三阡百メートルから三阡二百メートルの とてつも

なく高く険しい 荒川三山(あらかわさんざん)

 

この画こそが 厳しい北参道に於ける 唯一無二の

清涼剤となることで ありましょう

 

視点を 一般的な南参道に移してみます

 

標高が未だ それ程高くは無い時点では 霧や霧雨が

更には小雨が珍しく無く 湿気が異様に多いと言え

ます

 

参道の足元に目をやると三十センチ程の大きなミミズ

をごく普通に それも随所に沢山 見掛けます

 

ニョロニョロとしてその様は 正に長虫そのもの…

 

然も その三十センチの大ミミズを丸呑みにしている

更に大きな長虫が 其処彼処に居るのです

 

雷様(らいさま)ヒルです

山ヒルとも言うらしいのですが  何ともおぞましい

光景ではあります

 

そんな光景がごく当たり前に 地べたの至る所に繰り広

げられていることを 想うとき…

 

生き物の生態系を まざまざと 大いなるものから見せ

付けられる様な想いが して参ります

 

生きるとは どう言う事なのか

七面大明神七面天女)にその理(ことわり)を

丸ごと 自分の鼻先に突き付けられている現実に

 

身が引き締まる想いにも 駆られて仕舞います

 

緩やかな南参道とは言え 一瞬でも余計なことを考えた

なら 足が止まってしまう

 

一度足が止まってしまったなら そこから先は心が萎え

て登れない程の

異様に急峻な登り坂が遥かに 続くのですが

 

何やら まるで先が見えない感覚に ついつい何時も

何時も 襲われて仕舞います…

 

しかし これも「己を無にする」所謂「じぶんを かんじ

ょうにいれない」修行です

幾ら登っても更に 登り行かなければ なりません

 

引き返す者も稀にはいるそうですが

私はそういう光景には一度も お目に掛かってはおりま

せん

 

既にどれ位登ったのかは 周りの景色から ほぼ察しが

付きます

 

南参道の場合には尚更 霊峰富士が 直ぐ隣にくつろい

でくれる為 一目瞭然であります

 

登りに登り そしてやっと山頂に辿り着くと 何やら

池がざわめいて おりました

 

大明神が お迎え下さった様で あります

目を見開き 口からは息吹を吹きつつ 大きな水しぶき

を上げて そのお姿を現しておられました

 

奥の院まで参拝されるときには

身延山久遠寺の別院 敬慎院に一度顔を出し その晩の

宿泊手続きを済ませて後に 七面山奥の院へと向かい

ます

 

 

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私は今迄この奥の院には二度 宿泊をさせて頂きました

 

空気の張った感覚が薄く 穏やかな雰囲気であり

殺気立ったものは ほぼ無かったのではないかと記憶し

ております

 

この空気感の違いは 収容人員の都合からの

宿泊人数が少ないことに起因するのかと言えば 決して

そうとばかりは言え無い様にも想います

 

些か原因が 違うところにも有る様です…

 

奥の院に泊まる時には その様になるべく大明神の

御意志なのであろうと 想います

 

奥の院宿泊の夜長は 静かな霊山の夜を芯から 満喫さ

せて頂きました…

 

因みに北参道の出入り口は ここ奥の院の敷地内にあり

ます

 

敬慎院に泊まるときには 奥の院の参拝を終えてから

直ぐに 敬慎院に戻ることとなります

理由は 晩の御飯が早いからで あります

 

風呂は あることはありますが 入れないと想って居ら

れた方が宜しいかとも 想います

 

風呂の状態が一定しないこと 水が大変貴重であること

然も 男女の身体の違いに起因するところもある と言え

ます


それと同時に 宿泊なさる人々が多いと言うことも 大き

な要因であります

 

団体の人々が早朝の御来光を拝む為に 登っておられ

入山者の多い 大きな要因とも なっている様です

 

そして 七面山敬慎院での 夜のこと…

 

宿泊する際は 何時もその様だったと記憶しております

色々な方が いらっしゃる様です

 

私はこの表現自体 余り好きでは無いのですが

仏教で言うところの「因縁」をお持ちの方が確かに

多い様に お見受け致します

 

初めの時間帯は皆んな気を遣い 極めて穏やかに振る舞

うのですが

 

時間が経つにつれて 様々な異変が生じて 参ります

 

その内に泣きながら 身の上話をして来る方も ちらほ

ら出て来ます

 

夜も更けて来ると 先程迄とは全くの別人格 となって

仕舞っている方も 居られます

 

しかし此れ等の事象は それ程特殊なことでも驚くこと

でも ありません

 

殺気立ったそれらの姿は 確かに人里とは明らかに様を

異にするもので ありました

 

あの方達は今 どうして居られるのか…

 

携帯も無く増してや 未だ未だアナログな時代の最中の

出来事…

 

様々な想いは 尽きません…

 

翌早朝 身支度を整え 御来光を拝むべく

開いたばかりの山門を 潜らせて頂きました

 

方位  角度  位置関係  それに この敷島の形

世界の様々な意味のある要所との 完璧なる位置関係…

 

この日本と言う 敷島が

如何なる意味を持つ ところなのか…

 

眼前の巨大で優雅な富士山を 直視するときに

この日本と言う もののあはれの原点に 意識を集中し

 

私は 此の日本と言う國を芯から 誇らしく想います…

 


「 南無妙法蓮華経 」「 南無釈迦牟尼仏

「 南無日蓮大菩薩 」「 南無七面大明神

「 南無法華経曼荼羅御本尊 」

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022849j:image                                   七面山より望む ダイヤモンド富士

 

七面山初参拝から十五年…

 

日蓮上人始め 法華経の神々に 大きな御恩返しが出来

た様です

 

他宗のそれも 在家に生まれた身で ありながらも

幸いにも精進の甲斐あって 得度をさせて頂くに至りま

した

 

そして早いもので その得度から既に 十六年が経とう

として おります

 

穏やかで平和な世の中を 実現すべく

 

更に 日本古来の古神道を始めとする 様々な尊いもの

更には弘法大師空海が極めた 口伝たる真の密教をも 敬

いながら

 

この身 世の為に お役に立てるのであれば

 

至極 幸いで あります…

 

 

               此の日本と言う國の浪漫は 計り知れ無い

               古神道  神道  真の密教  法華経  などなど

                         そして 日本の神話に 想いを馳せる…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022942j:image                                                                    南参道と灯籠

 

f:id:toshi-kuma25317:20170211022955j:image                                                                七面山 山頂の池

 

 

 

 

 

 

 

ひとの想いとは…妹よ今何してる 逢いたいね

f:id:toshi-kuma25317:20170208211429j:image                                旧 広島県産業奨励館と灯籠

 

私がずっと紡いで行きたいテーマのひとつに

「 人の想い 」と言うものがあります

 

そして その「 想い 」と言う

何処迄も続くエネルギーは 

甚だ大きなものであり

 

更に言えば 全てを具現化する根本…

この時空の中での 何よりも大いなるものと

想っております

 

堅い話で甚だ恐縮ですが 量子力学的に

説明しても 

人ひとりがその一点に本気を出せば

 

地球七個分が跡形もなく吹き飛んでしまう

究極的にはそう言われております

 

些か現実的なものの見方をしてみましたが

これは真実であり

決して大袈裟に言っている訳ではありません

 

話を戻させて頂きます

 

人の想いは誰にも

そして何ものにも 決して束縛されることは無く

未来永劫 生き続けると言うこと…

 

そして そのことを踏まえた時

 

我々日本人は先の大戦に於いて 

これでもかと言う程の理不尽且つ

悔しく悲しい経験を

 

敗戦後に於いても

強いられて来たと言う

 

紛れも無い事実があります

 

 

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核と言うものが拡散してしまった

この現実の中…

 

先の世を鑑みた時に

この「 想い 」と言う大いなるものを

 

優しい波動として

そして毅然とした強さのある波動として

 

この日本と言う国から発信して行く以外に

最早 本当の意味での手立ては無い

 

そう想わざるを得ない 早春の如月であります

 

 「 妹よ 今なにしてる 逢いたいね… 」

 

私の内の 亡き母親からの伝言

の意味も含めまして

 

これから先もずっと紡いで行きたいと

想っております

 

平和であることの大切さを 

よりしっかりと自分自身に問うためにも

毎年 八月六日と九日の両日は終日…

 

広島の人々 長崎の人々が

幸多からんことに対して微力ながら

想いを馳せ

 

また双方の皆様が

息災であられることに深き願いを込め…

 

これからの日本に そして未来の世の中に

慈愛溢るる波動を当たり前のこととして

順送りにして行かなければならない

 

その様に想っております

 

  

f:id:toshi-kuma25317:20170208211513j:image                                   原子爆弾投下後の広島市

 

私の願いは平和な世の中です

 

戦争はどんな事が有ろうとも

絶対にしてはなら無い

その想いは未来永劫 変わることはありません

 

何故戦争をするのかを

尋ねられたとしたならば

 

皆を納得させる説明が出来る者など

誰ひとりとして

この世に存在しないでありましょう

 

その訳は 人々の為とか世の中の為になどと言う

ごくありふれた愛が

何処にも存在しないからです

 

これは理屈でも理想論でも無く真実なのです

 

皆んなが生まれ 

そして愛し愛されて育んだ

想いと言うものを 

 

決して無為に断ち切ってはなら無い 

そう想うのです

 

今一度 考えてみて下さい…

 

 

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毎年夏になると 何とも切ない想いに駆られます

日本人にとって忘れられない あの日々が

やって来るからです

 

そう 八月六日と八月九日…


私は本当の歴史を知るのが とても好きな反面

逆に嘘の歴史を聞いても時間の無駄だと

人一倍強く想ってもおります

 

何故ならば 其処には真実が無いからです

ですから 至極当たり前に

人々の想いも何も其処には無いのです

 

歴史とは人の人々の心の歴史だと

私は考えております

 

其れが真実であるならば

人々が真剣に生きた証としての趣があり

味わいがある様に想います

 

共感も出来ることでしょう…

 

そういう事ではないでしょうか

 

今から三十年ほど前に 

亡き母が一心に 私に教えてくれた話が

ありました

 

母は目が不自由で 其の時は既に

文字を見るのが相当に辛かった様です

 

母が完全に失明する

ほんの少し前のことだったと記憶します

 

眼鏡と虫眼鏡を駆使しながら

新聞記事を時間を掛けて丁寧に読み終えて

 

それから ゆっくりと噛みしめる様に

話し始めました

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208212814j:image                     健気な大正 昭和の乙女たちよ…                          私たち日本人は貴女たちのことを                                                       決して 忘れ無い

 

終戦の年 昭和二十年…

 

其の頃の広島はと言うよりは

広島もそうであったと言えましょう

 

貧しさから来る子託しがあった様です

 

裕福そうなお宅の前とか庭などに

子供を見付けて貰える様に託した時節が

ありました

 

悲しいかな そう言う時代が確かに

あったのです

 

其の家には兄と妹がおりました

勿論 本当の兄妹として育てられましたが

 

妹が年頃になり親としても

伝えなければと決め

我が娘に本当の事を伝えました

 

元より兄を慕っていた事もあり

妹は大層 喜びました

余程 嬉しかったのでしょう…

 

其の朝 兄は工場勤務の夜勤明けでした

 

妹の募る想いを知っていた母親は何故か…

彼女に胸の内を尋ね

兄への想いを理解するのでした

 

そして それ程に兄を好きならばと 

一緒になる事を許したのです

 

喜んだ妹は 大好きな兄を迎えに行くと言って

兄の勤務先へ向かう 其の道すがら…

 

昭和二十年八月六日朝 

妹は帰って来ませんでした

 

迎えにやるんじゃなかったと

母親は悔やみました

 

あの日から 我が子として愛おしんだ可愛い娘は

忘れ難き記憶を残し

何も告げずに天に 帰って行ったのです

 

母の深き悲しみは 消えず…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208211922j:image                                              広島平和記念館にて

 

その記事は 数十年後の兄の回想でありました

 

そして最後に こんな事が書かれてありました

 

「 本当に可哀想な事をした

もしも あの妹が生きていたならば

自分はあの人と結婚をしていた 」

 

そう結んでありました…

 

 

私に この記事を 誠心誠意伝えてくれた

私の母親は その時…

 

もう直ぐ 閉じようとしている

五感としての 自らの目の最期の力で

 

若く至らない私に…

 

この話を 贈ってくれた様な気がして

なりません

 

殆ど見えていない その眼からは

ほんの少しだけ 涙が流れておりました…

 

 

妹さんの ご冥福を

心より お祈り申し上げたいと 想います…

 

 

 

              ひとの想いを断ち切ろうとしても

                        そんなことは出来はしない

                           何故なら 我々日本人には

                     ひとの幸せを願うだけの

        限りなき魂の浪漫がある…

 

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170208211708j:image                         広島の春 美しい… 人々に 幸あれ

 

f:id:toshi-kuma25317:20180209212415j:image                                  そして 長崎の鐘が鳴る… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然と生活圏とが入り交じる融合美 独歩とともに武蔵野を見る…

f:id:toshi-kuma25317:20170208043547j:image                                                                 武蔵野 情景 画

 

飽くまで 個人的な好みで言えば

私が最も好きな景色は 街場に隣接している郊外

である

 

河岸や丘陵地などがあれば 尚更 心焦がれる

 

その中でも都心の郊外である武蔵野は

私の中に於いては かなり魅力的なところと言える

 

抑え気味に言ってしまったが直接的に言えば

私は武蔵野が好きである

 

国木田独歩の随筆に触れ そして その情景は勿

論のこと風物詩に焦がれ

 

宿泊がてら ひとりで何度も足を運んだ

 

街と自然とが絶妙に交じり合って その境目が見

当たらない

正に 入り交じるとは このことであろうか…

 

街が自然の一部となり また自然が街の延長上にある

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043636j:image                                                                武蔵野の はやし

 

独歩が 今の武蔵野の姿に大きな影響を与えてい

るのは 紛れも無く確かなことであり

 

ひとりの随筆家が この様な形で

街づくりは勿論のこと

 

周辺の自然と人間社会との関わり方にまで

その想いの息吹を吹き込めるということは

余りにも稀なことでは ないだろうか

 

 

国木田独歩「武蔵野 」より 次にお届けしたい

 

『 武蔵野を除いて日本に このやうな処が どこにあるか

北海道の原野には むろんのこと 奈須野にもない

そのほか どこにあるか

 

林と野とが かくもよく入り乱れて

生活と自然とが このやうに密接している処が

どこにあるか 』

 

これは 明治の随筆家 国木田独歩 執筆「武蔵野 」から

の ほんの短い抜粋である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043750j:image                                                                武蔵野の はやし

 

独歩は 都市からそう遠くない

人間の生活圏と自然とが入り交じる田園地帯として

新時代の武蔵野を描き出そうとした

 

そして武蔵野を主題として その風景美と詩趣を

描察した

 

そこには関東平野の 阻害するものの無い あの広がり

が起因しているのかも知れない

 

中央線を高尾山に向かい 一気に広がりが増す

私が若き頃も また四十年後の今も

 

あの広がりが 郷愁を誘い

都会に近い「粋で洒落た」雰囲気をも醸し出す

 

明治は勿論のこと 大正期にも

独歩の「武蔵野 」は影響を与え

 

後世の武蔵野のイメージ形成に多大なる彩りを添えた

様である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170208043839j:image                                                 子どもとのひととき 独歩

 

文化とは かくも その時代は勿論のこと

時として若者達に 向上心までをも もたらす

 

大正期の青年達が 詩歌や文学に勤しみ

芸術を愛し 常に心を清涼に保ちつつ 教養を身に付け 

ものの哀れを知る様になる

 

彼らは知的であり道徳心のみならず

想い遣りの延長にある潔い心

つまり武士道までをも 束の間に身に付けた

 

それは正に 我が国再生に於いての ある意味 真の

切っ掛けだった感が 否めない

 

 

再度 「武蔵野」の抜粋である…

 

『 昔の武蔵野は 萱原のはてなき光景をもって

絶頂の美を鳴らしてゐたやうに いひ伝えてあるが

 

今の武蔵野は はやし(里山の雑木林)である 』

 

 

JR中央線 武蔵境駅から徒歩で 程なく

 

関東平野の広がりの中に かつて

自然と生活圏との融合する理想郷を 見詰め続けた

 

あの 独歩の碑が ある…

 

 

 

                                  武蔵野を こよなく愛した

                                             或る随筆家の浪漫 より…

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170208061636j:image                                                                        国木田独歩

 

 

 

 

 

 

 

倭(やまと)の浪漫よ…ノスタルジーこの美しい湖は 北信濃 野尻湖に想う

f:id:toshi-kuma25317:20170207172517j:image                                                                 斑尾山野尻湖

 

人との出逢いは 忘れ難く

時として 心の旅路と成り得る程に 魂に染み渡り

何にも代え難き 終の宝物となる様にも想える

 

そして その忘れ難き人との出逢いには必ずや

自然や周りの風物詩が織り成す 情景のキャンバスやら

 

様々な気質の 多様な光やらエネルギーやら

風の通る音や鳥の声 更には虫の羽音などさえも

 

それらはまるで 自然界のバックグラウンドミュージッ

クが 存在しているかの様でもある…

 

忘れ難き人々と共に これらの演出も

我々の人生にとって 心の糧となっている様にも想えて

仕方が無い

 

長野県の北信濃に 北信五岳と言う 明媚で洒落た山々

がある

 

北アルプスのすぐ側に在ると言うのに

その存在は些かも 見劣りすることは無い

 

信濃に於いては それぞれが交わること無く 自らを

主張し合う

多様な個性を持つ 幾つもの古(いにしえ)の里があり

 

これらが一体となる時に

他所では見ることの出来無い 或る意味一風わった

独特の魅力を 醸し出すのだと想う

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172552j:image                                                                 黒姫山妙高山

 

北信の山々に囲まれた紅一点 野尻湖について

私が初めて訪れた時の 徐々に沸き立つ不思議な驚きと

 

湖畔に佇んで…  自分が今 何時の時代に生き

そして一体何処にいるのだろうと…

 

想わず模索してしまった あの異様な嬉しさと

微睡んでしまった あの可笑しさを

 

溢るる想いを込めつつ皆様に お届けしたいと想う

 

 

私の住む福島市の郊外旧 伊達町(現 伊達市)から

会津に向かって

左に猪苗代湖を眺め 右手に会津磐梯山を仰ぎながら

会津若松市

 

そして そこから一路 遥か新潟市へと…

 

今でこそ 東北自動車道から磐越自動車道に入り

新潟からは更に北陸自動車道へと 簡単なアクセスで

あるが

二十数年も 前のこと

 

福島市から新潟市までは 国道4号から同49号へと

一路西方へ…

それは高速無しの 仲々覚悟の要る道のりであったと

記憶する

 

新潟市からは北陸自動車道に乗り

燕市 三条市を抜け上越市で高速を降りて

 

そこから 北国街道(ほっこくかいどう)を 長野市方面

へと向かう…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172644j:image                                                                               野尻湖

 

右手には 何処に行っても余り見掛け無い程の大きな

山並みが…

妙高山 火打山 焼山である

 

何れも標高 が2,400m級の山塊である頸城(くびき)

アルプスが 目を惹く

 

加賀の白山を除けば 中部日本以外でこんなに高い

山たちは 誰も居無い…

 

ここを抜けると黒姫山 標高2,000  戸隠山 飯綱山何れ

も ざっと標高2,000弱

 

これは愉快だ 皆美しい 胸が 踊るばかり…

 

黒姫山を過ぎて直後…

長野市に向かい左手に 何か記念館を見付ける

余り目立たないのだが 小林一茶の生家である

 

或る意味 精力的な生涯を送った彼の実像とは裏腹に

それは 私の中の勝手な妄想なのか はたまた願望なのだ

ろうか…

 

私の内に於ける一茶は 儚き薄幸の人である

家族との縁が薄く 心さすらう浮き草の様なイメージ

が…

如何にしても 払拭出来無い

 

当時はナビなど無く 必然に地図を広げる

近くに 湖がある筈だ

 

一茶の観ていた湖 それに畔とは 如何なるものなのか…

大層気になったことを 覚えている

 

一茶の生家から左に入ると 其処は斑尾山(まだらお

さん)の麓である

そして 湖が見えて来る…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172713j:image                                                                 妙高山野尻湖

 

かなり広いと言うよりも 程よく広いイメージであり

早速 湖岸に 車を走らせてみた

そして 段々と嬉しくなって来る

 

今迄観た どの湖とも 何処か趣きが違う

 

湖岸を走りながら その雰囲気に慣れて来ると

趣きが 何処か違うと言うよりも まるで違うと想えて

来る

  

手付かずの自然が 溢れていて

更に 湖畔が足元まで迫り その造形美が何とも

洒落た雰囲気を 醸し出す……

 

波が能動的な音を携えながら今 目前に寄せる

 

湖岸も自然に 整っている

この湖畔に携わった人々と 土地の神々とが織り成す

この清涼なるイメージを 何と表現したら良いのだろ

うか

 

軽井沢にある塩沢湖を 何処迄も広げた様な そんな感じ

である

 

関東 東北 北海道の何処にも無い

和風でも無く 洋風でも無い

洋風でもあり 和風でもある

 

然も 全体としての雰囲気は 純倭風(じゅんわふう)

と強く想える

 

当時は 上手く 言えなかった…

 

しかし今なら 適当な言葉を知っている

勿論 良い表現も 知っている

 

大正期の景色の その中にあり

ノスタルジックで然も 皆を惑わせる

 

その小々波は まるで 吐息の様

 

浪漫チックで 洒落た雰囲気 …

 

 

野尻湖 素敵だなあ…

 

 

                          大正浪漫にこの身を委ね

                                  何処に居るのか暫し忘る

                                  あれは弥生の 野尻湖讃歌…

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170207172733j:image                                                                妙高山野尻湖

 

 

 

 

 

本当の 皆んなの さいわいのために…心優しき文豪が 伝えたかったもの

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宮沢賢治銀河鉄道の夜 皆んな忘れている

だけなんだよ」の続編且つ 外伝です…

 

 

この広大で深遠なる夜空を 見上げるにつけ

まるで ついこの間(あいだ)存在した 遠い過去の

自分からのメッセージを携え

 

こちらは これから必ず訪れる 遥か未来の

自身の後ろ姿を探し そして頼もしく追いかけ

いつの間にやら 夢心地な気分にさえなって仕舞います

 

また わくわくする様な 本当の自分を

未来の自身に投影しながら ついつい愛おしん

仕舞う 今の自分は…

 

近未来のみならず何処迄も続く 未来からの招待状を

ひどく 心待ちにしている様でもあります

 

日本人には

宮沢賢治を語らせたなら自分の右に出る者はいない

と言う人たちが 多い様に想います

 

それ程迄に彼の人柄に想いを寄せ

増してや 共感するからでありましょう

 

恐らくは賢治の童話の意味や宗教観に

心ときめく と言うよりも

 

彼の人生観や優しさと言った人となりに

惹かれるのでは ないでしょうか

 

手帳の走り書き「アメニモマケズ」が

余りにも 日本人の心情に寄り添う余りに

 

律儀な余韻を清涼に残した 反響も

時空を超え今尚 大きいのだと想います

 

彼の言う 「本当のさいわい」とは…

胸踊る想いが何処からか 急ぎ足でやって来ます

 

 

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『 午後の授業で天の川について

先生から質問をされた ジョパンニは

答えを知りつつ 答えることが出来無い

 

次に指されたカムパネルラも 答えられない

家計を助ける為に始めた活版所でのアルバイト

を終え 家に帰ると配達されていない牛乳 

 

そして星祭りの夜のこと…

ケンタウル祭の夜を経て 天気輪の柱の丘で

ジョパンニは一人寂しく孤独を噛み締め 星空へ

と想いを馳せる

 

突然のアナウンスと共に 目の前が強い光に包まれる

気がつくと彼は 銀河鉄道に乗っていた

見るとカムパネルラもいる

 

ジョパンニは 自分の持つ切符だけが

「天上どこ迄も行くことが出来る 特別な切符」

である事を知る

 

ケンタウルスの村を通過するのだが

そこでは 少女達との別れの際に

「たった一人の 本当の神様」についての

宗教的な議論を交わす… 』

 

これは 宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」粗筋の

冒頭であります

 

この作品のみならず 彼の作品に共通して言える

ことは

 

作者若くして逝去の為 未定稿のまま遺されたことと

多くの造語が使われていること などがあり

依って今尚 様々な解釈が論じられている訳です

 

またこの作品から生まれた派生作品も 数多く存在

します

 

 

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銀河鉄道を旅する中…

天上と言われるサザンクロス(南十字)で

大半の客は降りて行く

 

ジョパンニとカムパネルラが残され

二人は「本当のみんなのさいわい」の為に

共に歩むことを 誓い交わす

 

しかしカムパネルラは突然 消えてしまう

 

川に落ちたザネリを救った後

カムパネルラが溺れて 行方不明になった事を

ジョパンニは 後で聞かされる

 

そして最後に…

様々な経験をしたジョパンニは 胸がいっぱいになり

 

配達されていなかった牛乳と

父の知らせを持って 母の元へ帰る 』

 

物語りの内容を極めて簡単にお伝えすると この様な

感じと なります

 

「天上どこ迄も行くことが出来る 特別な切符」

それに「たった一人の 本当の神様」

 

この部分について 賢治が何を指して 読者に伝

えようとしているのか 解からなければ

 

この物語全体が曖昧で 何を言っているのか解ら

ない 夢うつつなもので終始して仕舞います

 

その様(さま)は正に「わかるかなぁ わかんね

ぇだろうなぁ~」

容易に想像が付く感は 否めません

 

後世に於いての 様々な解釈が有ったとしても

 

法華経を終のライフワーク としていた

当の宮沢賢治自身は それ程難しくは考えてない

と言うよりも…

 

読者が理解出来ないことを 理解出来ないままに

他界してしまったのではないかと

私は 想っております

 

 

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前述した二つのキーワードが何れも「法華経

のもの」であることを

 

ほんの少しだけでも 直接的に

読者の方々に開示をしてあげれば 良かったのかも知れ

ません

 

但し 読み手に解かり易く伝えることが出来るか否かは

俗に言うところの文才のひとつ なのでしょうし

 

これについては 生まれ持ったもの なのかも知れません

 

賢治の童話から 私的(わたしてき)には 甚だ逆説的に そう想えて来る訳です…

 

心優しき文豪 宮沢賢治

大乗仏教である「法華経」を根本に置いて

 

皆んなの為に 方便を更なる方便でもって 優しく紐解き

 

物語である法華経を より解り易く 自分なりの物語で

綴ろうとしたのでは ないでしょうか…

 

そして 迷える衆生を救済しようと 努めたのではなかっ

たかと 考えます

 

これらのことを ほんの少しだけでも解った上で

この作品をお読みになると

 

今迄難解だったこの物語も 少しずつでも理解出来る様

な気がして 参ります

 

 

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余談ではありますが…

現在の暦(太陽暦)に於ける七夕は毎年 七月七日で

あります

 

旧暦(太陰暦)の場合 月の満ち欠けによって月日が

決まりますので

 

現在の暦に当てはめた時に 旧暦の七夕の日付は

毎年 変わります

 

何気に 天の川に想いを馳せながら ふと見上げれば

夜空に輝く 満点の星たち…

 

本当は 誰もが知っているのに

そこに居た記憶を ただ忘れてしまっているだけの

愛しき 遠い故郷…

 

遠い故郷である あの星たちに 願いを込める

 

本当の みんなの さいわいのために…

 

 

今年の 伝統的七夕

 

なんがつ なんにち でしょうね…

 

とても 楽しみです…

 

 

 

                        銀河鉄道の夜

                            私の心の浪漫をもって

                           皆様にお届けしたく 想いました…

 

 

 

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「遠野物語」から映画「河童」へ… 日本人に於ける約束とは

f:id:toshi-kuma25317:20170206020533j:image                                                                           遠野にて

  

民俗学者であり作家の 柳田國男収筆「遠野物語」と

楽家であり映画監督の 石井竜也監督の映画作品

「河童」…

 

この二つの作品をモチーフとして

 

私が今迄 ただ漠然と感じていたことに留まらず

この度改めて 心の奥底で感じ切ったことを

 

詳細に そして有りのままに 綴ってみました

 

双方とも極めて 深遠なる内容のものであり

必然 記事も長めになりましたが…

 

岩手県遠野と言う 遥か古(いにしえ)より続く

様々な意味に於いて風光明媚な土地柄に根差す

「ひとの想い」と言う 永遠の浪漫

 

是非に触れて頂きたいと 切に願っております…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020610j:image                                                                           遠野夜景

 

舞台は昭和二十ハ年の田舎

病床の身を推して故郷に帰る 主人公

 

子供の頃の忘れ得ぬ 家族との想い出と

幼い河童との約束を 心に抱きつつ…

 

 

私の中での 河童は何故か「真正直で純粋な

日本人」そのもの…

強引にも 重なり合う

 

「約束」は 日本人にとっては至極 当り前のこと

それが魂と魂とを繋ぎ 互いの穏やかなる記憶を紡ぐ 

何より大切なもの

 

それは まるで ひだまりの様…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020847j:image                                          映画河童のワンシーン 祖父と

 

              「ひだまり」

 

遠い記憶を 辿り行けば 

そこに 懐かしい笑顔

 

深い深い心の奥で 今も生きる

あなたのことは いつ迄も忘れない

 

あなたが残してくれた 想い出たち

赤く赤く沈む夕日は 胸を染めた

 

もう一度 せめてもう一度

逢えるなら 伝えたいことがあるんだ

今 素直になって

 

もしもいつか あなたのもとへ

行く日が 訪れたなら

青い青い 丘の小径で 逢える気がする

 

走り抜けた月日を越え その胸に

抱かれて いつまでも夢を漂っていたい

 

そよぐそよぐ 草の隙間に揺れる ひだまり

今も今も あなたは僕を包む ひだまり

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020906j:image                                             北上山地の最高峰 早池峰山

  

「恰(あたか)も片仮名の へ の字に似たり」とは

柳田國男が「遠野物語」に於いて

 

北上山地の主峰 早池峰山(はやちねさん)を表した

下りである

 

早池峰には 宮沢賢治も好んで登り

この山を彼自身の童話にも 取り入れている

 

標高1,917mの大きな山で アプローチが長い

所謂 山深いのである

 

この山の麓にあり 岩手県の内陸部に位置する遠野市

一言で言えば 風光明媚な土地柄であり

 

冒頭に述べた 早池峰山を古里の守り神とし

また 山からから見た遠野の街は さしずめ 里…

 

遠野物語

柳田國男が明治四十三年に発表した

遠野地方に伝わる 逸話 伝承などを記した 説話集である

 

そして 日本の民俗学の先駆けとも 称される

 

また柳田は「妹の力」の執筆により

今で言う世俗的な使われ方とは 解釈を異にする

 

現代とは違った意味の 古代に於いての「妹」と言う

言葉…

 

近親者や配偶者となった 男性に

女性が其の霊力を分かち与え 加護を与える

妹とは そして女性とは そう言う存在であった

 

柳田は其の事についても解説をし また明言もしている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206020934j:image                                                                   遠野 田園風景

  

遠野物語には 幾つかの話がある

 

一つめは…

農家の娘と 其の家で飼われていた

立派な雄馬との悲恋が切っ掛けとなり

その悲しき結末が養蚕へと繋がる「オシラサマ」

 

この「オシラサマ」とは 眼の神でもある…

 

二つめ

美味そうな馬を食べようとした 河童がいた

 

しかし馬の力が強過ぎて 淵へ引っ張り込めずに

河童は逆に引っ張られて 馬の飼主の家に持って

行かれてしまう

 

馬の飼い主の旦那に とくとく言い聞かせられて

許して貰った河童の話「河童駒引きの話」

 

三つめは

土淵の孫左衛門の家の座敷童子ざしきわらし)の話

 

多くの豪家の屋敷や蔵に住まいし

目には見え無い家の神として 昔は畏敬されていた

 

座敷童子が其の家にいる間は 家は富貴自在だが

他人にその姿が見える様になると 其の家は忽(たち

ま)ち衰退し 

幸運は他家に移る と語られる…

 

其れ等は まるで夢物語を聴いているとしか思えない

何と表現して良いのやら ぴんと来ないのが 正直な

ところである

 

しかしながら その反面 不思議でもある

私自身の本当の心の奥底では

文化人類学に近くて遠い この物語を信じて止まない

自分が居る…

 

特に 疑ってなど いない

脈々と流れる日本人の血が そうさせるのか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021028j:image                                                                           遠野にて

  

古神道や日本神道 

そして 古来よりの日本の神話

古(いにしえ)より伝わる 様々な説話

この日本という國は何と 奥が深いことか…

 

元より此の國の民は 嘘をつくことを 良しと

しない

寧(むし)ろ 恥と考えている様だ

 

其れら 日本の風土と文化 そして特質を私は

どんな時にも 信頼している

 

 

河童の話で想い出す…

 

二十数年前になるが 石井竜也監督の映画作品

「河童」を観て

日本人の神との関わり方を まざまざと見せ付けられた

 

既に成人した息子のいる 主人公…

其の報道カメラマンの中年男性が 暫くぶりに海外から

帰る

 

彼は 小学生ぐらいの時にハーモニカが切っ掛けで知り

合った河童の子供と

 

ある約束をした事が

心の奥の 遠くて深いところに ずっと引っ掛かっていた

 

悲しいかなそれは 少年にとっては忘れてしまう程の

何の変哲も無い 日常の一言だった

 

「テン また来るからな 待ってろよ」

子河童は其れを信じて 待った

友である少年の残像を拠りどころに ずーっと待った

  

 f:id:toshi-kuma25317:20170206021121j:image                                                            少年と子河童テン

  

この 子河童は 少年と知り合った頃に

母河童を亡くしていた

 

主人公の男性が この少年だった頃

少年の自宅から友達宅への 道の途中にある

天神沼で 悲劇は起こった

 

天神沼… 所謂この河童沼が怖くて

家に帰れないと言う友達に 仕方無く少年が貸した

バット

 

天神沼の脇を通る時に

母河童が誤って立ててしまった物音に びっくりした

その友達が

 

音がした所へ思わず バットを投げ付け

其れが母河童の頭に ぶつかってしまう

そして母河童は 酷く苦しんで 亡くなってしまう

 

其の事をテンは知っていた 全て観ていたのである

激怒した父河童を 子河童のテンは押さえ そして説得

した

あれは 故意では無かったと…

 

河童は能力が高い テンは真実を知っていた

勿論 子供たち各自の 其々(それぞれ)の心根も

だからテンは その中でも純粋な 主人公の少年を庇った

 

テンは少年と心を通わせ 自らの中で 信頼出来る友と

していた

だから 少年の友達をも 庇った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206021155j:image                                                河童沼と言われる 天神沼

  

しかし 悪い事は続いた…

村人達が河童を捕まえようとして 発破を仕掛ける

 

其の時 子河童テンの説得を受け入れた

父河童の悲しみの念は 如何ばかりであったろうか…

 

河童親子の住んでいた洞窟は 崩れ落ちてしまう

そして テンと外界とを結ぶ道がこの時 無くなってしま

った

 

時が過ぎ…

主人公が何かと気になり訪れた 河童沼は酷く

様変わりをしていた

 

何気に主人公が 自分の父親のこと 

かつての天神沼のことを 愛する息子に話していると

何者かが昔在った筈の 河童の住み家の扉を開けた

 

主人公の男性が 自らのカバンから溢れた玉に導

かれ 洞窟の中に入ると

 

だいぶ歳をとり 容貌は変わってしまったものの

其の眼が あの時と同じだった

眼差しが 子供の頃のままだった

 

澄み切っていて 全ての悲しみと宇宙の真理を受

け入れた 美しい瞳

 

テンだった…

 

「 テン 待ってたの…


  どうしたの  ずーっと待ってたの…


  あれからずーっと  待ってたの…


  ごめんね  ごめんね  ごめんね 」

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206024720j:image                                                     年老いたテンと主人公 

  

主人公は其の時やっと 気が付いた

「約束」が人間にとって

本当は どんな意味を 持つものなのか を

 

それなのに 自分の中では どんな意味を持って

いたのか を

 

其れと同時に

テンにとっては どんな意味があったのか を

 

私が 極めて素朴な感覚で 答えるならば

約束は「全て」…

何を差し置いても 約束は「全て」なのだと 想う

 

テンは あの時から ずっと…

数十年前に会ったきり ずっと音信不通であった

数十年越しの友の 優しい言葉の投げ掛け に対し

 

其の 年老いた顔の表情が 和み

然も 旧知の友に対する 慈愛に溢れた

 

甘える様に そして愛おしむ様に

真っ直ぐな其の眼は 何も言わなくとも 

心の中で…

 

「やっと 気付いて くれたの…

  想い出して くれたの…

 

  遠い古里へ 帰らないで

  君が約束を果たしに 来てくれるのを

  待っていたよ… 

 

  でも これで帰れる

  友人である君との 約束を 果たしたからね

 

  ありがとう…

  来てくれると 信じていたよ」

 

そう言っていたに 違い無い…

 

テンとの再会を果たし かつての少年は ここで絶命する

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022405j:image                                         テンとの再会後 主人公の最期

  

映画「河童」のラストでは

寡黙で穏やかなテンが 小型の宇宙船を操り古里

へと帰って行く

 

亡くなった我が友と その愛息へ

テンなりに精一杯の別れを告げて…

私には そんな気がした

 

末期の病であった主人公は

魂の記憶を辿りながらの 人生の最期に…

 

テンとの約束を 果たす為に

この場所に 自らの意思で…

肉体という名の 自らの乗り物を 連れて来た

 

そんな 気がする…

 

 

「約束とは 自分一人のものじゃ 無い」

其れを知り 掛け替えの無い人生を終える事が出来た

主人公は 幸せだった…

 

実は 私には今の今迄 気付けなかったこと がある

此のブログを書いていて ふと気が付いた

 

主題歌の歌詞が どんな意味なのか やっと解った

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206025407j:image                                                  主人公を待っていたテン

  

              「手   紙」

 

君とはなれて ひとり想う 今は元気 それとも

あの頃のままの 笑顔なら それが本当にいいね

 

別れてから ずっと考えてた やさしさとは何かを

誰のためと言う わけでも無く 愛は自分の中にある

 

全てゆだねては また待ち望み

知らずに ときは流れて

闇にさけんでも ただ風だけが 心を吹き抜ける

 

かたすみの記憶さえ この胸を迷わせる

届くあてのない この手紙を なんどもなんども

書きつづけた

 

あんなにこらえていた恋でも 今となれば 懐かしい

選んだひとだと お互いに想い込んでた あの日々

 

 

歌詞は紛れも無く テンの

友を信じて待ちわびる心だった…

 

そして私は二十数年間も この事に気付けず

 

テンの想いに対し 

 

本当に 済まない事をしたと 想う…

 

 

 

 

                              友が 約束を果たせるのを

                                          ずっと待ち続けた

                                或る幼い河童の 心の浪漫 より…

 

 

 

 

  f:id:toshi-kuma25317:20170206022457j:image                                                                       テン 旅立つ

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206022507j:image                                                                       約束とは…

 

 

 

 

 

 

 

風立ちぬ…この浪漫 あなたのもとへとどきませ

f:id:toshi-kuma25317:20170205115419j:image                                                    映画「風立ちぬ」より

  

大正 昭和初期と言う

激動の時代…

 

若者たちは文学に詩歌に焦がれ

そして芸術にその眼を潤ませる…

 

自らの魂さえも呆れるほどに

然も謙虚に見詰め続け

 

いとも簡単にその答えを

心の在り方と言うものの中に

見い出すこととなる

 

ひとの為に

自らの全てを投げ出すほどに

 

彼らの精神性は

急ぎ足で極められて行く

 

浪漫に満ち溢れる中…

真正直な彼らは

本当は何を目指したかったのか

 

大正生まれの先人たちに対し


私には

敢えて贈りたい言の葉がある

 

 

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木立の向こうの彼方から

芳(かぐわ)しき

山河の香りを取り込んで

 

木洩れ日と戯れながら

この私の意識さえも虜にしてしまう

 

天使たちの優しき吐息よ…

 

 

誰が風を 見たでしょう

僕も貴女(あなた)も 見やしない 

 

けれど 木の葉を震わせて

風は 通り抜けて行く

 

風よ 翼を震わせて

貴女のもとへ とどきませ…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120606j:image                                                      堀辰雄 所縁 美しい村 

 

風立ちぬ

耳触りの良い言葉だ

 

聴いただけで空気が流れ 

微かな音がし 

そして風が通る…

 

心の目が 耳が 五感が

そして多次元の感覚さえも

 

過ぎて行くその姿を

悪戯に何時までも追うことは無い

 

 

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大正浪漫を彩った作家 堀辰雄

 

明治三十七年十二月二十ハ日

東京都 平河町に生を受ける

 

そして昭和二十ハ年五月二十ハ日

長野県 信濃追分にて死去す

 

日本の小説を 

それまでの「私小説」から

 

創るものとしての作品へと

所謂「浪漫」を確立させた小説家

である

 

これにより

彼の作家たる所以(ゆえん)は

正に 大正浪漫そのものとも言える

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115717j:image                                                                             堀辰雄

  

映画監督の宮崎駿

自身の映画作品「風立ちぬ」の中で

実在する堀越二郎の半生を描こうとした

 

堀越二郎

明治三十六年六月二十二日

群馬県 藤岡市に生まれ

 

昭和五十七年一月十一日に

七十ハ歳で亡くなっている

 

零戦零式艦上戦闘機)の設計者として

航空史に其の名を刻む堀越である…

 

映画「風立ちぬ」は言わば

 

堀越二郎の業績に刺激を受けた

鬼才 宮崎駿監督が

 

虚実を混ぜ合わせて創作した

大正から昭和に掛けての

意を決した 壮大なる物語である

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115804j:image                                                                         堀越二郎

  

宮崎駿監督の父親は

 

零戦のライセンス製造

をしていていた中島飛行機

戦闘機部品を納入する為の会社

宮崎航空興学を経営していた

 

つまり宮崎監督にとって

堀越二郎と其の時代を描く

と言うことは

 

父親への想いと

自身の幼少期の憧れとを

心に刻み付けると言う事でもあった

 

そして更に言うならば

焦がれるものに届かんとする

正に 自身の持つ憧れへの旅であった

 

 

映画のメインタイトル

風立ちぬ」は勿論 

堀辰雄の同名小説に由来をする

 

宮崎監督はこの映画の製作に当たり

 

堀越二郎堀辰雄

実在したふたりを混ぜ合わせて

ひとりの主人公「二郎」像を創り上げた

 

この「二郎」を通して

フィクションとしての…

 

自身が焦がれる

精神性が異様に高く然も足早な

1,930年代の青春を描こうとしている

 

あの浪漫溢るる大正青年たちの

束の間の休息とも言える

 

悲しいほどに急ぎ足で駆け抜けようとする

青春を である…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195116j:image                                                                           堀越二郎

  

堀越二郎と言う

稀代の航空技術者を描くのに

 

堀辰雄と言う大正浪漫を代表する 

ひとりの作家の

波乱に満ちた生涯と其の作品を

採り入れると言う

 

誰しも想像がつかない事を

大胆にもやってのけている

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205115943j:image                                                                               堀辰雄

  

堀辰雄に視点を移してみたい

 

堀は母親   師  恋人  友人たちに

何故か矢継ぎ早に先立たれてしまう

 

特に母親は関東大震災

悲惨な亡くなり方をしている

 

だから堀は 何時も

自らの死の影を背負いながら

苦悩の中で静かに

生と死のモチーフを追求していた

 

そう言う小説家 であった…

 

 

堀は 室生犀星芥川龍之介に師事をする

 

しかし 師 芥川が突然の自殺 

然も婚約者 矢野綾子も看病虚しく

結核で死去す

 

そして其の後 様々な感情を抱きつつ堀は

自身に於ける綾子との生活と死別を題材に

小説「風立ちぬ」を書き上げた

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120009j:image                                                                           矢野綾子

  

余談ではあるが

群馬県にあった中島飛行機

武蔵野工場が 

 

大東亜戦争末期に

福島県福島市疎開をした

 

宮崎駿監督の映画「となりのトトロ

の中で

その主題歌「さんぽ」のモデルとなった

トトロの山こと「信夫山」…

 

街のど真ん中に

童話の世界の様に佇む山 である

 

中島飛行機

その信夫山(しのぶやま)の西側山麓に 

戦闘機部品の地下工場を建設した

勿論 極秘事項であった…

 

終戦の年 昭和二十年三月より

中島飛行機

地下工場の建設と並行して

 

航空機エンジンの生産を開始したが

僅か七台を生産したところで

敗戦を迎えてしまう

 

もしかしたら あの二千馬力

疾風(はやて)のエンジンだったのか…

 

想いは募り 尽きることは無い

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170206195206j:image                                  トトロの山こと信夫山の さんぽ道

  

中島飛行機

地下工場に 纏(まつ)わる話として

 

日本人なら何処かで 

聴いた事があるかも知れない

或る話が

 

私が幼少の頃の福島盆地では

マイナーながらも深遠に存在した

 

戦争が あのまま続けば 

次かその次には…

福島市原子爆弾の投下予定地に

なっていた

 

そしてその予定地たちは

日本国内に散らばる

或る氏族に所縁の拠点と一致していた

 

今となっては

事実検証のしようも無いが

 

子供時分から

周りの大人達が確かに話題にしていた

 

今 想い出しても聞き飽きる程に

密かな話題になっていたのは 

紛れも無い事実である

 

ただし その話題に触れる時

誰もが不思議な程に静かに話した

 

 

私は幼かった上に 

その時分は興味も薄く

内容まで詳しく覚えてはいない

 

皮肉にも地下工場が存在したという事実が

「其れは本当なんだよ」と

言っているかの様でもある

 

 

飽くまで 余談であるが…

 

 

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120127j:image                                              武蔵野に於ける 山里の風景

  

時に 私はこのブログを綴るにつけ

とても不思議に想ったことがある

 

ひとつひとつの名前  地名

そして ひとつひとつの出来事

 

例えば 堀越二郎零戦   

 

宮崎駿監督と彼の父親の会社と

中島飛行機

 

中島飛行機零戦

 

中島飛行機武蔵野工場が

トトロの里 武蔵野から

トトロの散歩道 福島に疎開

 

航空機エンジンの地下工場建設 

そして終戦

 

沢山の点が全て線で結び付く

そして 其れ等が

ひとつの面になって行く

 

宮崎駿監督の ものを観る眼が際立つ

これは凄い…

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120218j:image                                             軽井沢町 堀辰雄文学記念館

  

其処に堀辰雄の半生が

雨水の如く染み入り そして染み渡る

 

堀辰雄は戦後

昭和二十ハ年に亡くなっている

 

昭和二十年 敗戦当時の日本人は

誰しもが「死」と ある意味「潔さ」に

しっかりと

向き合っていたのでは ないだろうか

 

少なくとも敗戦後に

数多の日本国民が 豹変するまでは…

 

「自分の心を充たしているものが

死の一歩手前の存在としての 

生の不安である」

そう語る堀の 言葉の裏には

 

自身の周りの人々が 

矢継ぎ早に亡くなって行く中で

 

堀の心の内にある

元より胸を患っていると言う

自分に対する不安と

 

それでも生きたいと強く想う本音

とが 常に交差をし

また往き来していたと考える…

 

そうした堀辰雄の心の闇と

敗戦までの一途な日本人の心とが

 

死を覚悟しつつも生きたいと願う

その一点に於いて

私には重なり合って見えて来る

 

それと同時に堀が生きた戦後の八年…

 

瞬く間に様変わりをした日本人の姿は

堀辰雄の眼には

どの様に映っていたのであろうか

 

 

f:id:toshi-kuma25317:20170205120242j:image                                                             堀越二郎堀辰雄

  

共に同じ時代に生まれ

浪漫溢るる青春に身を焦がした

 

ふたつの異才 堀越二郎堀辰雄

 

彼らは あの激動の時代に生まれ

何を考え そして何を想い綴ったのであろうか

 

 

潔き そして教養を愛する健気な 

 

かつての浪漫溢るる日本人たちへ

 

心を込めて この言の葉を贈りたい

 

 

ありがとう…

 

この想い あなたのもとへ とどきませ…


        

 

                       足早に そして ひとの為に

                       自らの青春を駆け抜けた 

                       気高き日本の若者たちの浪漫 を想う…

 

 

 

 

 

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f:id:toshi-kuma25317:20170205120341j:image                                             この想い あなたのもとへ                                                                        とどきませ…