風立ちぬ…この浪漫 あなたのもとへとどきませ
映画「風立ちぬ」より
大正 昭和初期と言う
激動の時代…
若者たちは文学に詩歌に焦がれ
そして芸術にその眼を潤ませる…
自らの魂さえも呆れるほどに
然も謙虚に見詰め続け
いとも簡単にその答えを
心の在り方と言うものの中に
見い出すこととなる
ひとの為に
自らの全てを投げ出すほどに
彼らの精神性は
急ぎ足で極められて行く
浪漫に満ち溢れる中…
真正直な彼らは
本当は何を目指したかったのか
大正生まれの先人たちに対し
私には
敢えて贈りたい言の葉がある
木立の向こうの彼方から
芳(かぐわ)しき
山河の香りを取り込んで
木洩れ日と戯れながら
この私の意識さえも虜にしてしまう
天使たちの優しき吐息よ…
誰が風を 見たでしょう
僕も貴女(あなた)も 見やしない
けれど 木の葉を震わせて
風は 通り抜けて行く
風よ 翼を震わせて
貴女のもとへ とどきませ…
堀辰雄 所縁 美しい村
「風立ちぬ」
耳触りの良い言葉だ
聴いただけで空気が流れ
微かな音がし
そして風が通る…
心の目が 耳が 五感が
そして多次元の感覚さえも
過ぎて行くその姿を
悪戯に何時までも追うことは無い
大正浪漫を彩った作家 堀辰雄
明治三十七年十二月二十ハ日
東京都 平河町に生を受ける
そして昭和二十ハ年五月二十ハ日
長野県 信濃追分にて死去す
日本の小説を
それまでの「私小説」から
創るものとしての作品へと
所謂「浪漫」を確立させた小説家
である
これにより
彼の作家たる所以(ゆえん)は
正に 大正浪漫そのものとも言える
映画監督の宮崎駿は
自身の映画作品「風立ちぬ」の中で
実在する堀越二郎の半生を描こうとした
堀越二郎は
明治三十六年六月二十二日
昭和五十七年一月十一日に
七十ハ歳で亡くなっている
航空史に其の名を刻む堀越である…
映画「風立ちぬ」は言わば
堀越二郎の業績に刺激を受けた
鬼才 宮崎駿監督が
虚実を混ぜ合わせて創作した
大正から昭和に掛けての
意を決した 壮大なる物語である
宮崎駿監督の父親は
零戦のライセンス製造
をしていていた中島飛行機に
戦闘機部品を納入する為の会社
宮崎航空興学を経営していた
つまり宮崎監督にとって
堀越二郎と其の時代を描く
と言うことは
父親への想いと
自身の幼少期の憧れとを
心に刻み付けると言う事でもあった
そして更に言うならば
焦がれるものに届かんとする
正に 自身の持つ憧れへの旅であった
映画のメインタイトル
「風立ちぬ」は勿論
堀辰雄の同名小説に由来をする
宮崎監督はこの映画の製作に当たり
実在したふたりを混ぜ合わせて
ひとりの主人公「二郎」像を創り上げた
この「二郎」を通して
フィクションとしての…
自身が焦がれる
精神性が異様に高く然も足早な
1,930年代の青春を描こうとしている
あの浪漫溢るる大正青年たちの
束の間の休息とも言える
悲しいほどに急ぎ足で駆け抜けようとする
青春を である…
堀越二郎と言う
稀代の航空技術者を描くのに
堀辰雄と言う大正浪漫を代表する
ひとりの作家の
波乱に満ちた生涯と其の作品を
採り入れると言う
誰しも想像がつかない事を
大胆にもやってのけている
堀辰雄に視点を移してみたい
堀は母親 師 恋人 友人たちに
何故か矢継ぎ早に先立たれてしまう
特に母親は関東大震災で
悲惨な亡くなり方をしている
だから堀は 何時も
自らの死の影を背負いながら
苦悩の中で静かに
生と死のモチーフを追求していた
そう言う小説家 であった…
しかし 師 芥川が突然の自殺
然も婚約者 矢野綾子も看病虚しく
結核で死去す
そして其の後 様々な感情を抱きつつ堀は
自身に於ける綾子との生活と死別を題材に
小説「風立ちぬ」を書き上げた
矢野綾子
余談ではあるが
武蔵野工場が
大東亜戦争末期に
の中で
その主題歌「さんぽ」のモデルとなった
トトロの山こと「信夫山」…
街のど真ん中に
童話の世界の様に佇む山 である
その信夫山(しのぶやま)の西側山麓に
戦闘機部品の地下工場を建設した
勿論 極秘事項であった…
終戦の年 昭和二十年三月より
地下工場の建設と並行して
航空機エンジンの生産を開始したが
僅か七台を生産したところで
敗戦を迎えてしまう
もしかしたら あの二千馬力
疾風(はやて)のエンジンだったのか…
想いは募り 尽きることは無い
トトロの山こと信夫山の さんぽ道
地下工場に 纏(まつ)わる話として
日本人なら何処かで
聴いた事があるかも知れない
或る話が
私が幼少の頃の福島盆地では
マイナーながらも深遠に存在した
戦争が あのまま続けば
次かその次には…
なっていた
そしてその予定地たちは
日本国内に散らばる
或る氏族に所縁の拠点と一致していた
今となっては
事実検証のしようも無いが
子供時分から
周りの大人達が確かに話題にしていた
今 想い出しても聞き飽きる程に
密かな話題になっていたのは
紛れも無い事実である
ただし その話題に触れる時
誰もが不思議な程に静かに話した
私は幼かった上に
その時分は興味も薄く
内容まで詳しく覚えてはいない
皮肉にも地下工場が存在したという事実が
「其れは本当なんだよ」と
言っているかの様でもある
飽くまで 余談であるが…
武蔵野に於ける 山里の風景
時に 私はこのブログを綴るにつけ
とても不思議に想ったことがある
ひとつひとつの名前 地名
そして ひとつひとつの出来事
宮崎駿監督と彼の父親の会社と
中島飛行機武蔵野工場が
トトロの里 武蔵野から
トトロの散歩道 福島に疎開
航空機エンジンの地下工場建設
そして終戦…
沢山の点が全て線で結び付く
そして 其れ等が
ひとつの面になって行く
宮崎駿監督の ものを観る眼が際立つ
これは凄い…
其処に堀辰雄の半生が
雨水の如く染み入り そして染み渡る
堀辰雄は戦後
昭和二十ハ年に亡くなっている
昭和二十年 敗戦当時の日本人は
誰しもが「死」と ある意味「潔さ」に
しっかりと
向き合っていたのでは ないだろうか
少なくとも敗戦後に
数多の日本国民が 豹変するまでは…
「自分の心を充たしているものが
死の一歩手前の存在としての
生の不安である」
そう語る堀の 言葉の裏には
自身の周りの人々が
矢継ぎ早に亡くなって行く中で
堀の心の内にある
元より胸を患っていると言う
自分に対する不安と
それでも生きたいと強く想う本音
とが 常に交差をし
また往き来していたと考える…
そうした堀辰雄の心の闇と
敗戦までの一途な日本人の心とが
死を覚悟しつつも生きたいと願う
その一点に於いて
私には重なり合って見えて来る
それと同時に堀が生きた戦後の八年…
瞬く間に様変わりをした日本人の姿は
堀辰雄の眼には
どの様に映っていたのであろうか
共に同じ時代に生まれ
浪漫溢るる青春に身を焦がした
彼らは あの激動の時代に生まれ
何を考え そして何を想い綴ったのであろうか
潔き そして教養を愛する健気な
かつての浪漫溢るる日本人たちへ
心を込めて この言の葉を贈りたい
ありがとう…
この想い あなたのもとへ とどきませ…
足早に そして ひとの為に
自らの青春を駆け抜けた
気高き日本の若者たちの浪漫 を想う…
この想い あなたのもとへ とどきませ…