雪が…出羽最上地方に於ける 夢心地な郷愁
近くて遠い場所があります
距離と時間との兼ね合いにより
簡単に言ってしまえば
アクセスの都合で遠く感じるものと
別にそれ程遠くも無く
行くのに手間が掛かる訳でも無いが
その地を訪れることに
自らの中に辛い想い出があるとか
何か心に引っ掛かるものがあり
ずっと足が遠のいたままでいるなど
心情的なものに起因する場合とが
ある様に想います
私にとっての山形盆地は
単純に前者の事情によるものでした
山形自動車道が開通して
私の住む福島県北部からのアクセスが
まるで魔法の様に一気に良くなりました
それ以前はと言えば…
自宅から飯坂温泉を経由し
栗子国際スキー場脇を通り米沢へ
そこから一挙山形盆地へ向かうことが
ごくごく一般的でありました
別ルートとしては
福島と宮城の県境に当たる
蔵王連峰南麓を通り高畠へ抜ける道も
旧幹線道路としてはありましたが
昔は道幅が狭く車の通行路としては
中々難儀と言う他はありませんでした
山形自動車道が通り
東北自動車道村田ジャンクションから
一気に山形盆地を目指せる様になり
それ以降 私は 月山 鳥海山
機会があれば訪れる様になりました
そして何度も訪れる内に
この辺りの土地柄に対して何故か
不思議な感情が芽生えて来ておりました
雪国特有の あの…
空気が引き締まる様な寒い節に限らず
暖かい節 暑い節に於いても
この見方が変わることはありませんでした
始めの頃の感覚は唯ぼんやりとした
それはかなり漠然としたものでしたが
土地が全体的に浄化されている様な
必然 気持ちの良い凜とした様な
妙な感覚に何時も襲われておりました
初めの頃は朧げながら
これは雪国特有の積雪により
汚れが落とされ流され土が引き締まり
春の訪れと共に一気に
その厳しさから解き放たれた
土 空気 水を含めた
あらゆる生きとし生けるものたちが
その生命力を爆発させる
ある種のエネルギーをより具現化する
さしずめ量子力学で言うところの
波動が高まると言うことでしょうか…
雪国特有の共通する現象と想っておりました
しかし もしそうであれば
雪国どこに行っても大なり小なり
その感覚は受け取れるはずなのですが
私の経験上お伝えするならば
この出羽最上地方で感ずるものを
他所に於いて感ずることは
恐らくは余り無かった様に想います
ここ出羽最上地方に多くの秀句を残せた
と言う紛れも無い事実の真意は…
たまたまこの地に滞在した際の
芭蕉の体調が良かった訳でも
頭と感性が特に冴え渡っていた
と言う訳でも無かった様に想います
秀句を残せるだけの多岐に渡る
勿論 視覚的な情景だけに留まらない
多次元に於ける心と魂を揺さぶる
深い部分でのモチーフが
数多存在していたのではないでしょうか
今から二十五年程前…
スタジオジブリの劇場版アニメに
「 おもひでぽろぽろ 」
と言う素敵な作品がありました
画をみているだけで満たされる位に
各場面の情景が澄み切って美しく
儚げな感傷を帯びている様な
それ程に美しい作品でありました
何とも切ない程に憂いを帯びた
最早この世のものでは無いものに焦がれ
魂ごと吸い込まれそうな自分が
紛れも無く そこに存在しておりました
前述の通りアクセスが良くなり
山形盆地を訪れるほどに
季節に関係なく常に土地も空気感も
凛として引き締まり…
その上心穏やかなることにも
徐々にですが気付いて参りました
加持祈祷 口寄せなどが
主流だった一世代前 二世代前までの
ある意味曖昧な時節の残像が
如何せん 未だ未だ残っていた当時…
宇宙と言う神の意志の計らいか
より正確に過去 現在 未来の事柄と
それらの意味について世に伝えるべく
曖昧では無い標を示すべく
確かに存在している者たちが
徐々に世に輩出されて来ていることが
未だ未だ認識されていない時代のこと
はっきりとした説明は付かないものの
私には その答えが解り掛けておりました
山形盆地の位置する出羽最上地方には
いにしえよりの守り神が存在しておりました
日本人ならご存知かと想いますが
あの出羽の神々であります
神々は出羽三山に鎮座され
出羽最上地方の安らかなることを
そして日本の国の安らかなることを
ずっと願って来られました
因みに月山は「 過去の山 」
羽黒山は 「 現在の山 」
湯殿山は 「 未来の山 」であり
三山の参拝は即ち
死と再生を意味する訳でもあります
また一風変わった別の見方もあり
これは出羽三山についてと言うよりも
出羽山地全体についての捉え方の様です
月山を 「 死の山 」
鳥海山を 「 生の山 」
そして湯殿山を 「 恋の山 」
とするものであります
何れにしても
伝えようとしていることが
共通していることに感慨も一塩です
出羽最上地方に於ける
あの身が引き締まる様な清潔感と
穏やかなる安堵感とは
出羽の神々の弛まぬ篤き守護と
それに依るところの人々の心根では
ないかと想っております…
そして矢張り 雪…
雨に依る浄化もさることながら
何分 雪に依るそれは最大のものであり
最大の浄化をもたらします
降雪地域に於ける雪があらゆるものを
浄化し新たなるものを再生することは
言うまでもありませんが
それは遥か以前より永きに渡り
繰り返し営まれて来たこと
近年になり増えて来た現象…
掟破りの時期に まさかと思う地域に
紛れも無く雪が降ると言うことであります
これは果たして
地球温暖化に依る異常気象なのでしょうか
如何せん そんな訳はありません
誰が言ったのでしょうか…
地球は温暖化になど なってはいません
寧ろ寒冷化の一途を辿っています
地球は生き物なのです
そして何時も一定の条件で
私たちの為に存在する訳ではありません
ですから寒冷化の一途を辿ることも
生き物としての地球にとっては
しごく当たり前のことなのです
生命体としての地球にとって必要だから
その様な現象が起こるだけのことなのです
まるで天動説の時代に
何時迄も浸り切るどころか
事あるごとに振り出しに戻っていては
矢張り人間は駄目なのだと想います
何時の間にか人間は
また元の木阿弥に帰ってしまうのですから
何とも苦笑に絶えません…
神々も 我々人間を守ると言うことが
如何に大変かと言うことでもあります
大変申し訳無く 陳謝するしかありません
話を戻させて頂きます…
時期 場所 その量に於いて
掟破りと私たちが感じる雪について
実は掟破りでも何でも無い
地球からの 宇宙からの そして神々からの
貴重な贈り物です…
その時期にその地域に
浄化が必要だからこそ降るのであって
だからこそピンポイントで降るのであって
人間が勝手に作り上げた公式に
当てはまらないものは全て異常気象と
決めつけてしまうことこそ
そもそも如何なものでしょうか…
勿論 雨についても同様です
山形盆地をはじめとする
あの出羽最上地方に触れる時…
私は つくづく想うことがあります
かつて スタジオジブリが
この地域を題材にしたアニメ作品を
制作するにあたり
モチーフをより美しく企画するとか
観客により大きな感動を与える為に
意図して感動的な画を作り上げるとか
そんなことは一切していないと言う
紛れも無い事実であります
百聞は一見に如かず
実際の出羽最上地方の情景をご覧になれば
その答えは直ぐに出るはずです
あくまで素材をそのままに
ジブリのもつ類稀なる技術をもって
出羽最上地方の情景と言う
実際に美しいモチーフを
忠実に再現したに他なりません
逆にジブリだからこそ
ここまで忠実に再現し得た
ある意味 偉業なのかも知れません
そして山形盆地が忠実に
再現された画が何故にあんなにも美しく
言葉を失うほどのもの なのか…
私の住む福島県の最北端に近い地域は
戦後復興の波は緩慢であり
ややもすれば都市部の戦前の
更にひと昔前の様相 さながら…
それでも 矢継ぎ早に押し寄せる
テレビを通しての情報の過多により
何時しか欧米ナイズされ歯止めが効かず…
それなりに発展し便利になって行くのが
悪いことだとは決して思いませんが
古き良き沢山のものを捨てながら
商業的な目先の便利さに
余りにも固執し拘り過ぎた結果が
今になって歪みとなり進退極まっている
その様に想えて仕方がありません
あの時代 私の住む東北本線沿線は
どうしても準備が整う以前に
商業の波が有無を言わさずに押し寄せ
振り返ってみても…
人口があり商業ベースに乗れる地域は
それが例え田舎であろうが
営利至上主義の金融資本から逃れる術は
どう足掻いても無かったと言うことです
奥羽本線沿線の山形盆地を見た時に
私はあることを感ぜずにはいられません
戦後復興が遅くなった部分が
少しは有ったのかも知れませんが
私の育った地域もその辺は大差など無く
当時に限って言えば
交通の便が少しだけ違ったかも知れない
と言う程度のものだと想っております
そして見方を変えた時…
奥羽本線沿線の山形路 出羽最上地方は
本当は守られていたのではないかと言う
私なりの発想であり また見解であります
幼少期よりずっと東北の地で育った私は
不便さも 便利さも 不要な便利さについても
失われた古き良きものたちが
二度と再生出来ない現実とその虚無感も
全てこの目で見届け 肌で感じて来ました
昭和四十年代 五十年代に於ける
商業本位な金融資本があれ程では無く
もっと穏やかな時代の流れであったなら
修正出来たものも数多あった様な気がします
出羽の神々は出羽最上地方を
本当は長い目でしっかりと守っていた
その様に 私には想えてなりません
あの凛として清潔感溢れ
穏やかなる この地域の未来も
神々は これからもずっと
見据えてくれている ことでしょう
それと同時に…
古き良き日本の良さが足早に消えつつある
今の世の中に於いて
近頃の不思議な世相で言えば
除夜の鐘をどうするとか
正月の餅つきをどうするとか
日本人は全く迷惑に想っておりませんが
困ったものです…
誰が考え出したことなのか
まるで 取って付けた様な可笑しな話です
あの「 おもひでぽろぽろ 」
の画を そのままに…
まるで天国をループしているかの様な
吸い込まれて行く様な情景を
悠久の山形路から
何時までも 失って欲しくは無いと
切に願わずには いられません…
出羽の神々がもたらす
夢心地な郷愁と言う名の浪漫 より…