昭和浪漫…時代の息吹について 想うこと
昭和三十年代初頭のこと…
私が生まれ そして育った
東北の地 福島県北部に於いては
地方の田舎町とは言え
単に一過性のものとは異なった
賑やかな街場が彼方此方(あちこち)
にありました
何処(どこ)へ行っても地場に
独自の産業がしっかりと根付き
増してや外部から来た商店なども無く
地元の人間が営む店舗や施設が
弛まぬ人の繋がりと共に穏やかに
そして賑やかに軒を並べておりました
然も養蚕業を始めとする農業が
未だ未だ活発に且つ安定しておりましたし
それら第一次産業が
あらゆる地元産業の活躍の礎を
十分に支え切れていた様に想います
農作物に目をやれば
飽くまで基本は稲作であり
米価審議会なるものが存在し
稲作農家のやり甲斐を国が担保し
またそのことが当たり前のこととして
皆んなの意識の中に定着しておりました
昭和ノスタルジーの代名詞とも言える
木造一戸建て公営住宅が
其処彼処(そこかしこ)に現れ
取り巻く自然との多様なバランスも
極めて良好だったと記憶しております
次第に土地の有効活用からか
コンクリート工法の利便性からか
更に核家族化に拍車が掛かったからなのか
何れにしても
俗に言うハーモニカ住宅なるものが
あっと言う間に公営住宅の主流となり
木造公営住宅が増えて行くことは
それ以降 二度とはありませんでした…
不思議なもので
木造と言うものは時を重ねても
ただ単に古くなって行く訳でも無く
逆に周りの風物に溶け込み
時空に紛れて馴染んで行く様な
素材が持つ 自然に帰結すべく原点が
そもそも備わっているのかも知れません
私が二歳半ばの時 我が家は
それまでの街場の借家から
前述の一戸建木造住宅に移りますが
一度は抽選に落ちると言う…
当時に於いては 当選より遥か狭き門
栄えある落選に 当選してしまいました
失礼しました…
少々 冗談が過ぎた様です
しかし一棟 キャンセル空きが出た為
繰り上げ当選で急遽入居の運びとなりました
越した先は偶々だったのでしょうが
雑木林が広がる自然のど真ん中でしたから
三十棟にも満たない木造住宅は
とっぷりと木立の中に紛れてしまい
木と言う素材も相まって
周りの風物に溶け込むことは
何ら難しいことではありませんでした
周りにある里山たちは
なだらかで 宛(さなが)ら丘の延長の様
民家から里山までの地形は
緩やかな斜面の果樹畑となっており
絵本の中の挿絵の如くそれは明媚なものでした
未だ未だ農業が盛んな時節
果樹畑 野菜畑 桑畑などには人の手が入り
一年を通して何時も整えられ
季節折々の綺麗な状態が保たれた情景には
今更ながら人の息吹を感じることしきりです
稲作農家も未だ未だ多く
農閑期の田んぼは広い草原と化し
春には草花が数多咲き乱れ
寝転がって遊べる子供たちの憩いの場
近くには至る所に小川が走り
兎に角 水が清流で嬉しい程に美しく
毎春始めに 決まって驚いていた
懐かしい記憶さえ残っております
農薬散布が普及する前は
魚は勿論 多様な生き物たちが
時には サンショウウオさえ泳いでおり
トンボにバッタ 夏には蛍も生息し
ごく普通に色んな生き物を見掛けることが
四季を通じての贅沢な風物詩でありました
自宅の前には雑木林が広がり
赤松の周りには様々な広葉樹が植生し
四季の移ろいを肌で感じながら
感覚的に心地よく暮らせたと想っております
国の立場を決定する者たちに限らず
内外の金融資本家たちの思惑も絡む中…
日本の農林業と言うものが
結果的に急激に衰退してしまったことは
紛れも無い事実であり残念でなりません
私が過ごした少年時代 昭和三十年代は
これから訪れるであろう
幸せな社会をしっかりと視野に入れ
皆んなが それを疑うこと無く心焦がし
自分の誠実な頑張りは社会貢献となり
家族の幸せにも繋がると信じておりました
我が国日本の戦後復興の要因を
色々と列挙される方もおいででしょうが
矢張り 最たる要因は飽くまで人
我々日本人の強い想いと希望であったと…
もう直ぐ還暦の私は
確信を持って且つ 甚だ冷静に想っております
自分が子供だった時代は何故に
皆んなが楽しげに そして前向きに
様々な周りの風物詩にも関わりながら
週休一日の疲れを笑い飛ばしながら
目の前の日々に没頭出来たのでしょうか
人が希望を持つと言うことが
世の中にとって どれ程大切なことなのか
今の時代にこそ本当は
とても重要な事柄ではないでしょうか…
日本人ひとりひとりの
明るく前向きな強い想いが
物事を具現化する波動となり
更に言えば肯定のエネルギーとなり
小さな奇跡の積み重ねが日常的に
連鎖し起きていたのかも知れません
だからこそ世の中に人々の想いが溢れ
空気感が光り輝いていたのだと想います
今でもあの時節の空気感を
忘れ得ぬ私にとってのキーワードは
何と言っても「 時代の息吹 」であります
そして息吹こそは「 生命力 」であり
心に「 浪漫 」を招くことの出来る
言わば 根本ではないかと想っております
希望に満ちた戦後昭和の時を
自らの実体験に基づき想いを巡らす時
今の時代に生まれたことの意味を
いたずらに見過ごしてしまうこと無く
弛まず見詰め続けて行きたいと想いつつ
そろそろ 今の時に戻りたいと想います…
私の昭和浪漫紀行 より…